洋酒とコクテールの店 アルコホル

東北沢駅の裏、閑静な住宅街の中でひっそりと営業しております。メニューのご紹介、お店の事など綴っていきたいと思います。

バートンの「赤い三角印」

2009年10月28日 | その他
嘉永六年(1853年)六月、アメリカ合衆国からの親書を携えたペリーが東インド艦隊を率いて浦賀沖にやってきました。世に言う黒船来航、幕末の始まりでもあります。

  

伝馬としてペリーの艦隊に乗船した平野政七の回顧録には振舞われたワインについて「赤黒い水を持ってきた。これは人間の生き血に相違無い」と記されています。
1760年代以降インドを中心としたアジア市場を牛耳っていたのはロンドンの醸造所ホジソン社で、安全な水を得ることが出来ないインドに輸出されていたIPA(インド・ペール・エール)は輸送に耐え、暑い気候でも腐敗しにくいようホップの苦味を強烈にきかせたエールでした。
イングランド中部のバートン・アポン・トレントという町に1777年に創業したバス社は主にロシアなどの北方への輸出で潤っていましたが、ナポレオンの台頭による妨害や酒税の引き上げなどによってその市場をアジアに求めました。「赤い三角印」のバートン産エールはその高い品質で人気を博し19世紀後半には輸出ビールの代名詞となっていました。

  

翌年1854年に開国を要求しに再び来航したペリーの船上では70名の日本人が招待され酒宴が開かれました。ビール、シャンパン、ワイン、ウイスキー、リキュールなどが西洋の料理と共に振舞われたそうです。現在の横浜市中区の開港資料館のある場所に応接所が設けられ、協議を経て日米和親条約が締結されます。江戸幕府2代目征夷大将軍 徳川秀忠の時代から続く鎖国の時代が終わりへと向かい文明開化の足音が聞こえてきます。
横浜港は1859年の開港以来、今年でちょうど150周年を迎えました。当時は東海道から離れたへんぴな港町だった横浜村に外国商船が入港し、山下町を始めとする居留地が設けられ外国商社が立ち並ぶ商業地区として華やいでいきます。明治の初期にはイギリスからジン、ウイスキー、ブランデー、ラム、シェリーなどと共にビールの輸入も盛んになりました。「コクテール バンブー」の考案者をして名高いルイス・エッピンガー氏が支配人として招かれた「グランドホテル」がオープンしたのもこの頃です。
長くなったので続きます。
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日米和親条約 グランドホテル ナポレオン イングランド 東インド艦隊 アメリカ合衆国
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