数少ない樺太犬の研究報告のうち、高橋多蔵 著 「樺太犬について−主として系統学より観た樺太犬の由来」
(樺太庁編集 樺太時報37〜40号 昭和15(1940)年5月〜8月)と、
竹内恭(やすし) 著 「樺太犬」(北海道学芸大学紀要第2部 昭和33年)を参考にまず犬種という面から考察していくと…
補足:
竹内恭氏は北海道学芸大学(現・北海道教育大学)の学生だった頃、1945(昭和20)年に樺太に渡り樺太犬の調査・研究をしたが、
戦争による事情で論文の発表が差し控えられ、戦後にはじめて公にされた。
竹内恭氏は高橋多蔵氏の著書が発行された後に研究をしているので、高橋氏の研究内容も参考にまとめられているため、
竹内氏の論文「樺太犬」から以下、抜粋・要約をしながら記します。
−−−−−−−−−
樺太犬は樺太、北海道各地に広く見られ輓曳犬として注目されて来た。
短毛種と長毛種の2種あり、前者は主として樺太地方に、後者は北海道地方に分布している。
樺太犬の学術的研究はほとんど省みられず、僅かに高橋多蔵氏の研究報告があるくらいで、
諸外国に比してわが国においてはこの方面の研究は非常に遅れている。
著者は1945年3月より4月初旬にわたり、犬ぞりの最も普及している樺太敷香(しすか)地方に赴いてその実態を調査し、
主として体型、飼育管理に力を注いで研究を進めてみた。
今日、樺太犬と普通云われているものは、元々樺太に生じたものでなく、
Canis Familiaris Inostranzewi と云われる北方地方家犬に属する種々の犬が、
その飼い主である各犬ぞり使用民族の渡来やら、交易などによる交渉の結果樺太にもたらされ、
そしてこれらの犬が互いに自然繁殖を遂げ、適者生存の理法に従って繁栄し今日の樺太犬となったものである。
シベリア大陸のギリヤーク民族(樺太ではニブフと呼ばれる民族)はこの犬種を今日も原形のまま有しており、
かつシベリア大陸と本島(樺太)とは間宮海峡によってわずか三里を隔てているに過ぎず、
これより見て恐らくシベリア大陸から渡来したものと思われる。
また土地の人達の言に依っても昔ギリヤーク人が犬ぞりで氷上を渡って来て交易し、住み着くようになったと伝えられている。
−−−−−−−−−−
(次回に続く)
文責:Mamiko Kasai
(樺太庁編集 樺太時報37〜40号 昭和15(1940)年5月〜8月)と、
竹内恭(やすし) 著 「樺太犬」(北海道学芸大学紀要第2部 昭和33年)を参考にまず犬種という面から考察していくと…
補足:
竹内恭氏は北海道学芸大学(現・北海道教育大学)の学生だった頃、1945(昭和20)年に樺太に渡り樺太犬の調査・研究をしたが、
戦争による事情で論文の発表が差し控えられ、戦後にはじめて公にされた。
竹内恭氏は高橋多蔵氏の著書が発行された後に研究をしているので、高橋氏の研究内容も参考にまとめられているため、
竹内氏の論文「樺太犬」から以下、抜粋・要約をしながら記します。
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樺太犬は樺太、北海道各地に広く見られ輓曳犬として注目されて来た。
短毛種と長毛種の2種あり、前者は主として樺太地方に、後者は北海道地方に分布している。
樺太犬の学術的研究はほとんど省みられず、僅かに高橋多蔵氏の研究報告があるくらいで、
諸外国に比してわが国においてはこの方面の研究は非常に遅れている。
著者は1945年3月より4月初旬にわたり、犬ぞりの最も普及している樺太敷香(しすか)地方に赴いてその実態を調査し、
主として体型、飼育管理に力を注いで研究を進めてみた。
今日、樺太犬と普通云われているものは、元々樺太に生じたものでなく、
Canis Familiaris Inostranzewi と云われる北方地方家犬に属する種々の犬が、
その飼い主である各犬ぞり使用民族の渡来やら、交易などによる交渉の結果樺太にもたらされ、
そしてこれらの犬が互いに自然繁殖を遂げ、適者生存の理法に従って繁栄し今日の樺太犬となったものである。
シベリア大陸のギリヤーク民族(樺太ではニブフと呼ばれる民族)はこの犬種を今日も原形のまま有しており、
かつシベリア大陸と本島(樺太)とは間宮海峡によってわずか三里を隔てているに過ぎず、
これより見て恐らくシベリア大陸から渡来したものと思われる。
また土地の人達の言に依っても昔ギリヤーク人が犬ぞりで氷上を渡って来て交易し、住み着くようになったと伝えられている。
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(次回に続く)
文責:Mamiko Kasai









