しおりの日記 ~恋と仕事、時々×××~

「お局」とか「負け犬」とか言われるけれど、30代独身の生活って結構悪くない。仕事・恋、その他のつぶやきです。

走った!

2007-02-25 16:31:45 | マラソン部
マラソン大会がとうとう終わった。
10㎞、ちゃんと完走してきた。

大会は2kmの部・5㎞の部・10㎞の部があり、全体の参加者は1,558人、私の出場した10㎞の部は827人が参加した。
スタートは前から順に「30分台」「40分台」と走る速さで位置が刻まれており、どう考えても完走するのがやっとの私は、一番後ろの「60分台」の位置から走り始めた。
先頭集団がスタートしたときにはまだまだ後ろの方は止まっている状態。
それでも一度走り始めると あっというまに他の選手に囲まれて、せっつかれているような気分になった。
コースは田んぼの中の畦道だったので、最初の頃は先頭集団まで見渡すことができた。
なんで800人余りの人が、この寒い中 朝から集まって物好きにも走ったりしているんだろう?と自分のことは棚に上げて 思わず考えてしまう。

今朝はこの冬一番の冷え込みと言われたとおり非常に寒く、私も4枚重ね着の準備。
走り始めはそれでも寒いと感じたけれど、どんどん体が熱くなって、上の1枚を脱ぎたくて仕方なくなった。
でもゼッケンを付け替えられないので断念。
黙々とひたすら走る。

5キロ地点までは距離の表示が全くなくて長く感じたが、それ以降は1キロごとに書いてあったのでそれが励みになった。
7キロから8キロは体が慣れてきて、非常に爽快に走ることができて「気持ちいいなぁ」なんて呑気にしていたけれど
8キロを超えたら途端にしんどくなってきて、そこから1キロごとの表示が待ち遠しかったこと。
完走を目標にしてゆっくり走っていたからあまり息は上がっていなかったが、8キロからはさすがにハァハァいい始めた。

せっかくマラソン大会に出たから、と給水も初体験。
テレビのシーンを夢に描いていたけれど、実際はプロの選手のように 走りながら飲むなんて全くできない。
ゆれて こぼれてしまう。
仕方がないから1度だけ止まって一口飲む。
ところが、止まって飲むのもうかくいかない。
息があがっているので誤嚥してムセてしまった。
このムセが後半になっても残っていて、咳払いをするたびにこみ上げるアクエリアスの匂い。
プロ選手を別角度からも見直してしまった。

残り800m位でゴールの建物が見えてきたのに、なぜかコースは右折している。
ここまできてまた遠回りか…と落ち込みながらも、あと5分もしないでゴールできるはずだと言い聞かせてラストスパート。

記録は58分11秒。827人中627位で、一般女子53人中では39位。
学生時代の持久走大会では必ず入賞していたが、今となってはこんなもんだ。
順位はともかくとして、完走できたことが嬉しい。
一緒に参加した同僚は32位で52分52秒、部長(男子)は51分丁度だった。

汗をかいた分、ゴールすると直ぐに体が冷えてきたので
近くの日帰り温泉に寄って疲れを取り温まる。
早くも筋肉痛が始まっている。
けど、いつもと違うストレス解消になったかな。

それにしても、10キロは長い。
5キロなら余裕。
42.195キロをいつか走れるかな。


いよいよ本番

2007-02-25 07:04:05 | マラソン部
とうとう、10キロマラソン大会の日となった。
先週末もそして昨日も、休日返上で働いてしまった身としては
今日はゆっくり休んでいたいところ。
しかも、忙しいのを理由に また半月くらい走っていない。
大丈夫か?

でも行くしかないか。
寒いからよくストレッチして準備しよう。
ランナーズハイ目指して、頑張るぞ。

京都の旅-ホテル編-

2007-02-12 21:51:23 | できごと
2泊3日で京都に行った。
冬の京都は初めてで、どんなに寒いことかと覚悟して行ったけれど
到着するとそれ程でもない。
私が一番厚着していて、地元の人ではパーカー姿の人もいた。
ついたのが10日午後2時という、丁度暖かい時分だったからかな。

まずはホテルへ直行。
今回は研修ではないからビジネスホテルは避け、夏の研修旅行との違いを出したかった。
インターネットで予約を取ろうとすると、ビジネス以外のシングルは少なく予約済みが多い。
また「受験生の宿」と銘うった数々のプランに阻まれもした。

でも「1~2名で宿泊可。一人でも二人でも費用は同じ。大きなベッドでゆったり過ごそう」というプランを発見。
写真には、ゴロゴロ寝返りをうっても一人なら決して落ちないくらいのベッドが写っている。
おぉ。これならいいか、と「大人一人」で予約を取った。
大きなベッドで贅沢にごろ寝する自分を想像しながらチェックイン。
するとフロントで最初に謝られた。
「すみません。こちらの都合でツインのお部屋でご用意させて頂きました。」

鈍いのか、その時はどんな結果になるか予期できなかった。
「分かりました」と言って部屋まで行ってやっと、フロントの「すみません」の意味が分かった。

一人で泊まってシングルベッド二つって、全く意味無いじゃーーーん。
カップルの予約をツインに変更したら怒られると思って、
一人予約の私が選ばれたのだろう。
広々ごろごろの夢が、一瞬にして崩れ去る・・・。
部屋自体は、無意味に広い。
ベッド一つ分のデッドスペースもあるし。

とはいえ、がっかりしたのは最初だけで
2泊3日をこの部屋で寛いで過ごしてきた。

ま、宿にこだわらないのであればビジネスホテルでも十分かな。
京都には老舗旅館もたくさんあるし、ビジネス以外で予約をするなら そういうところに泊まってみたい。




誰がため?

2007-02-09 01:30:26 | 仕事
ずっと担当していた患者さんが、内科系の疾患で 数ヶ月前に入院した。
状態が安定して、救急病院からリハビリ病院へ転院し、そこももうすぐ退院となる。
今日はその方の今後を話し合うカンファレンスに参加した。
メンバーは患者さんの妻・息子、病院の看護師・PT/OT/ST・MSW、在宅で担当していたケアマネージャーと訪問看護師・訪問PT(=私)。

患者さんは元々要介護5だったが、今回の疾患で胃瘻を造設し、しかも流動食を胃瘻に流しても逆流してしまうことが多く、内科的に安定している状態とはいえない。
だが、転院したリハビリ病院では、一番の問題が内科的なもの(=胃瘻が安定しない)であるし、リハビリの日数制限の問題もあるために 退院を考えなくてはならず、今後の方向性を話し合うカンファだった。

カンファの場に患者さんは居なかったが、本人の希望は「家に帰りたい」。
そして主介護者である妻も「前より大変なのは目に見えているけれど、家族のために頑張ってくれたお父さんだから家で看たい」という。
妻自身も慢性疾患を持っており、以前より介護量が多くなった患者さんを家でみるのは難しいとは思った。
患者さんの胃瘻が安定していて流動食となった分、前より食事介助が減って楽、と言えればいいが、逆流→誤嚥→肺炎→入院(あるいは・・・)という可能性が高い。

そんな状況の中、今日のカンファは家族以外のスタッフの意向で『療養型に転院する』という方向で話が進められた。


家に帰った場合、介護量の多さに離床時間も減少するだろうし保清(入浴や清拭)も大変、夜間の体位交換だって必要となる。
だから、病院に居た方が人手が確保できる分だけそれらのケアが確保され易いことは明らか。
いくら介護保険を使ったとしても、全てを必要なときにタイムリーにカバーできる
訳ではない現実。

本人と家族の命が長くいられることを前提にしたら、療養型に転院というのは最良の選択だと思う。
でも、本人は「家に帰りたい」妻は「お父さんが帰りたいならそうしたい」と言っている。
一度は家に帰って、在宅では難しいと実感したときに入院(あるいは入所)という選択肢は無いのだろうか。

リスク管理の観点でいえば、療養型の病院に移った方がいい。
担当者の一人としてそう思う。
でも。
しつこいようだが、本人も家族も「家に帰る」ことを希望しているんだ。

一体、誰のために「療養型」の選択をしているのだろう。
良かれと思って医療従事者がしていることが、本当にためになっているのだろうか。

在宅療養に従事している身としては、帰った途端に命を落とす場合でなければ
在宅リタイアの道を残しつつ、家に帰りたい気持ちを支えていけないものだろうかと思ってしまう。
(場合によっては、命を落とすと分かっていても家に帰ることが大事だったりするだろうし。)

療養型を勧めた背景も理解できるけれど、私達は一体何をみているの?

誰のために転院を勧めているの?

それを「専門職だからリスク管理ができている」と言ってしまっていいの?


転院して、ひょっとしたら妻に「あの時、自分は決心できなかったけど、転院を勧められてよかった」と言われる日が来るかもしれない。
それと同じ位の確率で「やっぱり帰れるときに、あの人を家に帰してあげれば良かった」と言われるかもしれない。

家に帰ったとして、本人が「病院に居た方が良かった」と思うことがあるのかもしれない。

でも今は本人・家族とも在宅療養を見ている。

意向が変わるときにも寄り添って力になれる在宅医療従事者というのは、ただの理想でしかないの?

何がいいのか、時々わからなくなる。

とにかく命が長くあるように、ということだけだけを前提にすればいいのなら簡単なのだけど。


『それでもボクはやってない』をみた

2007-02-04 22:34:07 | できごと
周防正行監督の映画『それでもボクはやってない』(東宝)を観てきた。
テーマが「痴漢冤罪」と聞いて興味を持った。
※内容にも多少触れていますので、これから見る方はご注意を。ただ、内容を知った上でみても面白い映画だとは思いますが。


主人公のフリーター金子徹平(加瀬亮)は、満員電車でまん前に居た女子中学生に痴漢と間違えられ、降りたホームで彼女に袖をつかまれる。そのまま駅員室に連れて行かれ、痴漢行為を否定するが全く聞き入れられないまま警察へ。警察でも否認し続けたため拘留され、裁判で潔白を証明しようとする。


私はどこか「ちゃんと裁判をすれば、潔白は証明されるのではないか」という甘い考えを持っていた。
もちろん冤罪が存在することは分かっているが、もし自分に身に覚えのない嫌疑がかかっても、ちゃんと話せば分かってもらえる筈だという幻想を抱いていた。
更に言うなら、「自分は冤罪でつかまることはないだろう」という根拠のない自信もあった。
だが、そんなのは幻想だと知った。
主人公はどこにでもいる自分と代わらない日常を送っている人間で、
自分も同じ事態に巻き込まれる可能性はゼロではない。
最初から無実を主張していても誰も耳を貸してくれないし、一度張られた『犯人』のレッテルはそうそう簡単には剥がせない。
ちょっとしたショックを受けた。

映画では、冤罪で捉えられた主人公より、実際に痴漢行為をはたらいて罪を認めた人のほうが遥かに早く釈放されている。
最初に面会した当番弁護士も、やってなくても罪を認めたほうが得と言う。
警察官は最初から犯人扱いで、手荒い扱いで取調べが進む。
主人公の無実を証言する目撃者が見つからないのをいいことに、
事実が歪曲され、証言として残されていく。

見ていて警察に、検事に、裁判官に、そしてこの事態に、だんだんムカムカしてきてしまった。

ただ、これは主人公が犯人ではないと分かって見ているためで、
シロかクロか分からずにいたら、やっぱり被害者の証言に偏って見て
主人公が嘘をついているように思えたかもしれない。


「裁判は真実を明らかにするのではなく、無罪か有罪かを決めるところだ」という台詞が、この映画のテーマをよく表している。
この作品がアメリカで上映されたとき、日本の裁判制度の未熟さに失笑をかったというのも頷ける。
悪いことをしたら償って欲しい、それは勿論そうだ。
ただ、悪いことをした当事者に償って欲しい。

自分が善良に生きていれば、悪いことは起こらない。
そんなのは幻想なのだろうか。


余計な仕事

2007-02-04 22:04:45 | つぶやき
子どもの頃、お客様が来る直前だとか、出かける前だとか
とにかく忙しいときに限ってお茶をこぼしたりコップを割ったりして
「余計な仕事を増やさないで」と よく母に叱られた。

国会議員の方々も、失言に贈収賄、愛人問題などなど
自分達で余計な仕事を増やすのが得意なようだ。
国会で議論しなくてはならない問題は 他にも沢山あるのに。


禁煙効果-マラソン部活動-

2007-02-01 00:24:55 | マラソン部
すぐ前にも書いたが、禁煙半月である。
禁煙のきっかけは、40分走ったら脈が飛んだこと。
その後、仕事で時間が持てなかったので走っていなかったし、前回のことで 走ることにナーバスになってもいた。
でも、大会まであと1ヶ月を切り サボってもいられなくなったし、他の部員に「ちょっと怖いんだよねー」なんて強がりの私には言えなかった。

今週はなんと昨日・今日と2日連続での練習。
昨日は前回リタイアしたコースをゆっくりと50分余りかけて走り、今日はもう少し長い距離を53分で走った。
正確な距離が分からないのが難点だが、今日のコースで7キロ位だろうか。
大会で完走して欲しいという思いからか、部長の提案で「ゆっくりでもいいから ある程度の時間走り続ける」ことに重点を置いた。
そしてその通りに、ペースは遅いが休まずに50分余りを走り続ける事ができた。
昨日も今日も胸痛や絞扼感、不整脈はなかった。
元気に走り切れると嬉しくなってくる。
これはやっぱり禁煙のお陰、なのかしら。