憧れのAudio☆お知らせブログ☆

メインブログアドレス⇔http://longingforaudio.blog.fc2.com/

出雲大社の千木・・・4(再掲載)

2016年12月24日 | 歴婆の勝手な解釈

二つの千木から考えることをいえば、

下記の1)、2)も矛盾が生じる。

まず、2)のほうを先に考える。

1)(三穂津姫命は大国主神の幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま)である「大物主神」の后神。事代主命は神屋楯比売神(かむやたてひめ)と大国主神との間の子供なので義理の母親にあたる)

 

2)『出雲国風土記』には、大穴持命(大国主神)と奴奈宣波比売命(奴奈川姫命)の間に生まれた「御穂須須美命」が美保郷に坐すとの記述がある。元々の当社の祭神は御穂須須美命のみであったのが、記紀神話の影響により事代主神と三穂津姫命とされたものとみられる。


まず、奴奈川姫というのが、奴奈宣波比売命のほうが、正解なのであるが、

奴というのは、ヒスイのことであるという。

糸魚川当たりのヒスイは上質なもので、

出雲の玉造とのかかわりもでてくる。

が、この場合、どちらかというと

奴奈宣波比売命のほうが、本質であると思う。

おそらく、奴奈川姫は巫女のような人物であったと思う。

その名前の意味は

奴(ヒスイ)奈(~の、~でという接尾語)宣(言う、宣言するという意味、言うの尊敬語、のたもう。という意味)

破は、見破るというような使い方で、言い破る。

と、考えられる。

つまり、よくある水晶を覗いて占うというようなかんじでありながら、

占うという程度でなく宣破するという非常に精度のある透視?ができたようである。


と、なると、ヒスイの産地、技術というところばかりでなく、

奴奈川姫の特殊能力も大国主命には必要であり

このことについては、不承不承でありながら

スセリビメも文句はいえなかっただろうし、

ややもすると、むしろ素戔嗚が後ろで糸をひいていたとも思える。

故に、美保に、丁重に迎え入れられたと思えてくる。


ところが、この娘であるという美穂須須美の記述は風土記のみのようで、

いなかったとか、行方が分からないとか、これまた、諸説芬々なのである。


そして、美保須須美ひとり、残っていたとは、どういうことであろうか?

時代があうか、わからないが、

実は、大和朝廷がわも、奴奈川姫の能力はほしかったのではないだろうか?

天照大神という存在を抱えながらも、実際のところは

コンタクトがとれていたとは思えない。


例えばだが、

奴奈川姫を手中に収めようにも、

すでに出雲のものとなっており、(奴奈川にかえっていただろうし)

ヒスイによる透視?はおそらく、娘の美穂須須美にも

うけつがれていただろう。

この透視によって、仮に日食を予言したとしたら、

この話を天照大神の威信につかうのにはちょうどよいのではなかろうか?

日食の時期は271年だったかに、大きなものが起きているらしい。

そうなると、まるで、卑弥呼のごときであるが、

大和朝廷側はこの「血」をほっしたのではないだろうか?


と、なると、美保神社を壊すよりも、

なにか、新しいカムフラージュが必要になってくるだろう。


そして、美保須須美が大和朝廷側と血を混じらすとなったとき

事代主の系譜から、天皇家へ嫁ぐものがでてくるという

不思議も納得できる。


ところが、大国主命の娘

奴奈川姫の娘を大和朝廷、天皇の血のなかにいれてしまったという事実は隠蔽するべきである。

そこで、出雲風土記はそこにはふれず、

美穂須須美が居たという事だけを書いたのだと思える。


 

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 出雲大社の千木・・・終わり... | トップ | 出雲大社の千木・・・3(再... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

歴婆の勝手な解釈」カテゴリの最新記事