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事代主と美穂神社 歴史の中の経緯・9

2023年10月17日 | 歴史の中の「経緯」

聖徳太子から、ここまで、引っ張ってきたが

実は、

一番不思議だったのが

事代主だった。

 

何年か前に、美保神社・・美保崎にいったことがあるのですが・・

事代主が釣りをしていた磯とか、

美穂関灯台とか・・・

史跡とともに、風光明媚なところで、

見どころのある場所であったのですが、

ここで、驚きの発見。(いや、遭遇)

 

*******

 

ところが、美保のほうにいくと、

美穂神社というのがあり、

この神社は

横並びに天千木と地千木を掲げている。

 

そして、この神社は国譲りに深くかかわっている。

国譲りに成った時、大国主命は私一人では決められない。

事代主の意見にしたがおうというのであるが

その美穂神社のある岬、美保岬に事代主が釣りに出かけているということであり

美穂神社の現在の祭神は

祭神

 

右殿に大国主神の子の事代主神、左殿に大国主神の后の三穂津姫命を祀る。

 

(三穂津姫命は大国主神の幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま)である「大物主神」の后神。事代主命は神屋楯比売神(かむやたてひめ)と大国主神との間の子供なので義理の母親にあたる)

 

出雲国風土記』には、大穴持命(大国主神)と奴奈宣波比売命(奴奈川姫命)の間に生まれた「御穂須須美命」が美保郷に坐すとの記述がある。元々の当社の祭神は御穂須須美命のみであったのが、記紀神話の影響により事代主神と三穂津姫命とされたものとみられる。

 

と、いう出典なのであるがウィキから取ってきたものなので

小さいが社殿の奥に二つの千木が見えると思う。

千木は地千木である。ウィキでは、

こちらが、事代主

別号二御前(事代主大神)
 
千木は天千木である。
ウィキでは、三穂津姫命
 
別号大御前(三穂津姫命)
 
不思議なのはなぜ、横並びで天千木・地千木であるのかということである。
 
横というのは、まさに夫婦という横の筋と考えられるし、
国譲りの時にこの神社はこの形態であったと思われる。
 
出雲国風土記』には、大穴持命(大国主神)と奴奈宣波比売命(奴奈川姫命)の間に生まれた「御穂須須美命」が美保郷に坐すとの記述がある。元々の当社の祭神は御穂須須美命のみであったのが、記紀神話の影響により事代主神と三穂津姫命とされたものとみられる。
 
と、あるが、
この美穂須須美が、座したということで、「美穂」という地名になったというのであるが、
元々の当社の祭神は御穂須須美命のみであったのならば、
千木が二つある事が不可解である。
 
大穴持命(大国主神)と奴奈宣波比売命(奴奈川姫命)の間に生まれた「御穂須須美命」
と、いう記述もどこで、産んだの?ということは伝えられていない。
 
奴奈川から、そこを統治する奴奈川姫を出雲に迎え入れた。
奴奈川に残るという奴奈川姫をさらっていった。
暫く、出雲にいて、奴奈川に帰った。
いや、一歩も奴奈川を出ていない。
と、所説ふんぷんであるが
 
これが、本当に、奴奈川姫を迎え入れようとしたなら、
神社形式の住まいに住むのもどうか、わからないがwww
天津神の系譜である奴奈川姫を迎え入れ
夫婦として、ともに並びながら
大国主命は「あなたをおまもりします」と地千木を掲げ
奴奈川に天千木を掲げさせ、
この出雲の国、美保に住まう事は天意に沿うというふうに
大舞台で奴奈川姫を説得し
そこに住まわせたのではないか?
 
そう考えると、
美穂須須美一人が祀られていたというのも、
すでに、祀り変えっぽくなってくる。

出雲大社の千木・・・3(再掲載)  より。

 

******

不思議だったのは、

事代主と美穂津比売が、祀られていると言う事だった。

千木の様子からも、どう考えても

横並びの二つの千木。

この形態はここにしかない。

とのことだったが、

y.tama @tama311 8月27日

 

村屋坐弥冨都比売神社(むらやにますみふつひめじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町にある神社である。式内社で、旧社格県社大和三道の一つ「中つ道」(橘街道)に面して鎮座している。

三穂津姫命(別名 弥富都比売神)を主祭神とし、大物主命を配祀する。三穂津姫命は大国主命の后神であり、記紀神話では大物主と大国主は同神としている。大物主命は大神神社の祭神であり、その后神を祀る当社はその別宮とされる。

村屋坐弥冨都比売神社

の、HPになると、鳥居の影になって、千木がハッキリ見えない。

あちこち探して、y.tama @tama311 8月27日 のフェイスブックにいきあたり

無断拝借と相成った。

 

美穂神社とおなじような、横並びの千木であるが・・・

このような形態はここにしかないと言われていたことに矛盾をかんじたのであるが・・・

よくよく、見たかった千木の、その形態が違う。

美穂神社は

天千木・地千木の並びである。

この主祭神が

大国主命と美穂津姫で、

美穂津姫は、天津神の娘である。

大国主命はといえば、出雲大社出判るように、地千木を掲げている。

(ただし、この考え方は日御碕神社で崩れる。

天千木は天意をうけていると取る場合もある)

 

美穂津姫がまつられているならば、天千木・・

大物主・・大国主命    は、 地千木

と、なるのではないかと思うが

両方の千木が地千木である。

 

と、なると、場所も奈良・・

美穂津姫の名前も、美保神社では、

美穂に暮らしていたというところから、ともあるので、

美穂津姫という名前の別人ではないか?

と、かんがえていたが・・・

よくよく、見ると

弥富都姫・・みふつひめ、とある。

 

どうも、妙な状態なのだが、

国津神(地津神というか、地方豪族)であるならば

地千木も頷ける。

 

妙な合祀や祀り変え・同一視は、どこでもあるのだが、

千木もひとつの判断材料になる。

で、あるのに、当の神社HPから、

千木を写していないし、

多く、写真を撮られる人も、千木を写さないことが多い。

 

美保神社の話から始めるつもりだったが、

話が長引いたので、一端、終わる。

 

ーーー続くーーー


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