言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

冬の墓参

2017年01月04日 22時52分49秒 | 日記

  正月に静岡の実家に帰つた。我が家の墓所は山梨県の西念寺といふ時宗の寺にある。父親は正月に私が帰省した折に墓参を求めるので、雪が降らない年は籠坂峠を越えて(今は高速が出来てトンネルが通り便利になつた)出かける。

  今年は特に温かく、今日車で出かけた。往復3時間。快適な墓参旅行だつた。

  時宗といふのは不思議な宗教である。以前、お話をうかがつたこともあつたが、あまり深い関心を抱かなかつた。ただあまり信心深いわけでもない父親が年と共にお寺に関心を寄せる姿を見て、救ひといふことを考へたりもする。

 

   果たして、この寺に私もお世話になるのだらうか?

 

   一遍上人とは、そもいかなる御仁か。

 

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