言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

両義的かな、人生は。

2016年10月14日 20時43分57秒 | 日記

  今朝から故あつて帰省中。明日の朝には戻るのでいつもながらのトンボ帰り。

   昨日は夜中まで、同僚たちと対話。結構いい時間だつた。疲れたけれども。知識といふものはいかなる『もの』か。いや、知るといふのはそもそも『こと』なのではないか。その言葉の意味を分からない人にはどうでも良いことであらう。事実、使用価値でしか知識をとらへてゐない人には、知識はものとしてしか意味を持たない。それで十分だと思つてゐるのだらうし、それ以上でもないと信じてゐるはずだ。

  しかし、知識は構成主義的にいかやうにも意味を広げていくものであると思へば、知識は交換価値として現出する。

  さういふことを考へてゐた。学校が使用価値しかないと考へるのと、交換価値でもあると考へるのとでは、きつとその人の生活は変はつてくるのだらうと思ふ。

  両義的なものの見方、どうやれば伝はるかな。

 

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