言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

『意識は実在しない』

2016年10月12日 08時02分05秒 | 日記

 河野哲也といふ哲学者がゐる。立教大学の先生で、ご専門は何かは私には分からない。一般書はたくさん出てゐて、私は『意識は存在しない』といふ本で、この方を知つた。

 例へば、かういふことである。

 2×2の計算は、すぐに4と出てくる。意識といふか精神といふかはともかく、脳が計算をしてゐる。

 ところが、適当に4563894×9573274は、と言へば計算は出来ない。

 「紙と鉛筆があれば」とか「計算機があれば」とかといふ条件つきでなら出来る。その通りであらう。つまり計算といふのは脳(意識)の働きといふよりは、紙や鉛筆や電卓などの外界の存在を伴つて成立するものである。

 意識は脳にあるといふよりも、環境の中で脳が媒介として意識を生み出すと考へた方がいいのではないか、さう河野氏は考へるのである。とても面白いと思ふ。

 起きてゐる事象を心理主義的に考へれば、外界に影響を与へる主体の問題に還元してしまふ。遅刻をする。虐待をする。あるいは努力するといつた場合でも、すべて環境に働きかけてゐる主体の成果と考へれば、主体が原因となる。遅刻するのも虐待するのも、主体の病理となるので、主体のみの改善を図らうとする。しかし、そんなことが有効でないのは、臨床の場や教育の場にある者には十二分に知られたことであつた。

 環境といふ言葉によつて、人間の身体や心理を考へることはとても大切なことだと思ふ。果たしてかうした知見が今後どう発展していくのかは不明だが、関心を深めていきたいと思ふ。

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