言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

天皇は、もはや人民の気分の造型だ。象徴とはさういふ意味であつたか。

2016年10月19日 07時57分55秒 | 日記

  相当に天邪鬼であるからなのかもしれないが、世の中と自分の考へとがどんどん乖離してゐるやうに感じる。

 その例の一つが、天皇の退位といふ話である。先日の「正論」に興味深い文章が載つた。

(以下引用)

 法学士は憲法に記載がないと言及しないが、皇室は天照大神を祖神と仰ぎ、天皇は神道の大祭司である。万世一系と続く天皇は民族の永生の象徴で、日本の不滅を信ずる民の心のよりどころである。その陛下が祈ることにより死者と生者は結ばれる。それが「国民統合の象徴」の真の意味で、いま生きている人の統合だけではない。

 先帝をお送りするご大喪あっての新帝の華やかな即位の式典である。大正天皇が、日本の天皇の意味をクローデル大使はじめ人々の心に訴えたのは、冬の夜の厳かなご大喪の儀によって「死と再生」を参列者に感じさせたからだった。その清らかな伝統を忘れるべきではないだろう。(東京大学名誉教授・平川祐弘 ひらかわすけひろ)

(引用終はり)

 これに尽きてゐると思ふ。国の歴史は長いのに、そしてこれからも続くべきなのに、人民は自分の生きてゐる時代のことしか考へられない。その矛盾を一身に引き受けて縦の時間を貫く人生を生きられるのが天皇といふ存在であるのに、「行為」する職能としてしか理解されてゐない。そして、今上ご自身もさう理解されてゐるやうである。天寿を全うされるまで天皇であり続けた昭和天皇のお姿を、あるいは将来さう考へる天皇の誕生を、遠ざけるのは果たして幸福な事態であらうか。私にはまことに危機的だと思はれてならないのである。

 平川氏がかう「正論」を書かれても、「生前退位」は実現するのであらう。市場社会の職能としての役割しか果たさない天皇は、もはや「人民の気分の造型」でしかない。いやになるが、それもこれも商人国家の日本の帰結と思へば致し方ないか。

 行くところまで行くしか解決の道はないのらしい。

 

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