言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

時事評論石川 6月号

2017年06月18日 20時02分23秒 | 日記

「時事評論石川」6月号のお知らせ。

 今月号の内容は次の通り。 どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。
 1部200圓、年間では2000圓です。
(いちばん下に、問合はせ先があります。)

 1面吉田先生の論は、亡くなつた松原正を彷彿とする斬れ味である。東大法学部の宍戸常寿氏が『正論』に書いた「これまでの憲法論議に欠けていたこと」への批判である。

 東大法学部と言へば、先日も井上達夫氏と石川健治氏との激論をBSフジで見たが、ひどい内容であつた。「リベラルのことは嫌いでもリベラリズムは嫌いにならないでください」の著者である井上氏は、改憲論者も観念的護憲論者も共にばつさりであるが、特に観念的護憲論者の権化のやうな石川氏を痛罵してゐた。石川氏は石川氏で「法哲学者気楽なことを言つてゐればよいが、憲法学者は現実の憲法を問題にする」などと懸命に井上を攻撃してゐたが、まつたく中学生のやうな詭弁を弄してゐた。

 宍戸氏のものを私は読んでゐたが、吉田先生が引用してくれたもので十分である。東大法学部といふのをひとくくりにすることはできないが、学者といふ職業が自分の専門領域への忠誠を最優先にするのは致し方なく、それを相対化できるかどうかはどうやら人格の次元の問題であるやうに思ふ。特に現実の政治にかかはる問題を対象とする法学の場合には、善(GOOD)と正(RIGHT)とをわきまへて、善に囚はれすぎて正しくない判断をすることを戒めなければならないだらう。それは人格の力であると思ふ。

 その意味で、3面の「この世が舞台」の留守先生のホーソンの『想像の見世物箱』は時宜を得た評論となつてゐた。細かい粗筋は省略するが、「なんぴとも『最も罪深い者』の『同類』たる可能性は免れない、断じて例外はない」とホーソンの主張を要約する留守氏の評言は至言である。さういふことを書ける文学を持つてゐるアメリカの本質を改めて知らされた。日本の文學のその底の抜けた貧しさを感じるのである。内村鑑三が、源氏物語を評して次のやうに書いてゐる。

「なるほど『源氏物語』という本は美しい言葉を日本に伝えたものであるかも知れませぬ。しかし『源氏物語』が日本の士気を鼓舞することのために何をしたか。何もしないばかりでなくわれわれを女らしき意気地なしになした。あのような文学はわれわれのなかから根コソギに絶やしたい」

 これを読んだ大学生の時、少し言ひ過ぎではないかと思つたが、今は内村に近いところに私もゐる。

 

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 憲法読みの憲法知らず

 東大法学部教授よ、しつかりせい

          宮崎大学准教授 吉田好克

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ヨーロッパから見た極東の慰安婦問題

          早稲田大学教授  有馬哲夫

   
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教育隨想

 天皇陛下の「ご不満」発言に想ふ(勝)

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「この世が舞台」

 『想像の見世物箱』ホーソン

       早稲田大学元教授 留守晴夫

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コラム

  九条の「御利益」がなかった証拠 (紫)

  選挙と世論調査(石壁)

  嫌な感じと好い感じと(星)

  右翼左翼の本性は同じ(騎士)

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問ひ合せ

電話076-264-1119
ファックス 076-231-7009

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