言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

吉田好克先生の新著出来。

2016年11月26日 10時38分27秒 | 日記

 宮崎大学の吉田好克先生の新著が出版されることになつた。

 吉田先生は、宮崎にゐた時に何度もお会ひし、勉強会にも出席し、思想的に感化を受けた方である。「竹の会」といふ勉強会は今も続いてゐるのだらうか。学問のあり方、大学の現状、日本人の精神的課題等、さまざまな話題を縦横無尽につなぎ語られる様は、迫力があつて体の芯から熱が湧き出てくるやうな気がした。

 先生の個人史は決して平坦ではなかつたと思はれるが、さういふことを表には出さずに、絶えず前を見てゐる(やや上方をといふ感じがしてゐる)やうに感じられた。

 新著の題は『言問ふ葦』である。すぐにパスカルの「考へる葦」が思ひ浮かぶタイトルである。推薦文を書かれた吉田先生の師匠の竹本忠雄氏はその中で、「パスカルは、『沈黙は最大の迫害』として世界の虚偽を言問ふ――糾弾する人だった」と記してゐる。世界の虚偽をまさに糾弾した本書は、吉田先生の講演の声が耳元で聞こえるやうな熱を帯びてゐる。まだ讀み始めたばかりだが、それが実感される。

 考へるとは言問ふことである、といふ当たり前のことを実践するのが学問である。そのことを忘れた「研究」ばかりが流行するから、社会は大学を必要としなくなつた。そんな気がする。

 中に「宮崎日日新聞」に連載された文章が収録されてゐた。これは宮崎県民しか分からないことであらうが、この新聞はかなり左翼的である。あるいはそれが不適切な表現なら、社会正義派の新聞である。反体制的に文句を言ふことがジャーナリズムだと思つてゐる記者たちが書いてゐる新聞だ(10年ほど前の印象だが、今夏宮崎に帰省したをりにも読んだが同じ印象であつた)。その新聞に吉田先生の連載があつたといふのは驚きである。社会に物申す場は、「敵陣」にも及んでゐる。

 出版社からのコメントを引く。

「本書は保守系の数々の論壇誌に裂帛の気合いで文章を寄稿して来た著者の集大成である。その簡潔で鋭利な文章は、時事問題、歴史、文化、文学、哲学、国防、教育、等々、何を語っても悪しき政治主義に陥ることがない。今後ますます混迷を深めるであろう我が国において、日本人としての揺るぎ無き思想、歴史観を持つためにも是非お読み頂きたい。尚、福田恆存に私淑して来た著者は、今回、全篇において歴史的仮名遣を用いている。言葉を「保守」せずに、何の保守派かと考えるからであろう。これも一つの「文化の継承」である。 」

 これから、しばしば本書の感想を記していかうと思ふ。

 

 

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