言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

この百年の間に。

2016年10月29日 14時45分43秒 | 日記

  母親の眼の手術も無事終はり、出がけに母親の昼食の話になつた。冷蔵庫の物を温めて食べてと言つたが、朝の残りで十分だといふことだつた。そんな話の流れの中で戦前の弁当の話になつた。昭和四年生まれの母は国民学校(?)に通つてゐたらしい。東京市内の学校であるが、昼はお弁当を持つて行つたといふ。保温庫のやうなものがあり、弁当はそこに入れて温めてくれてゐたといふのだ。驚いた。

  中身はどんなものなの?  と訊くと、それはサツマイモ入りのご飯のやうなものが多かつたなといふ記憶のやうだ。もちろん、イモの方が多かつたやうではある。

  今87歳である。相当に昔であることは間違ひないが、一人の人間の一生の間の出来事である。二人して目を合はせて、すごい時代だつたねと言ひ合つた。懐かしい訳でもなく、憎らしいでもない。不思議な時間の経過である。

  さう言へば、話の中で戦時中の恐怖体験が話題になつた。機銃掃射で母親の家の辺りを襲つて来たことがあつたやうで押入れの中で祖母と一緒に隠れてゐて怖かつたといふ話があつた。そして焼夷弾の話も出て来た。それがふるつてゐる。焼夷弾が落とされ火を祖母と一緒に消してゐる中、祖父は目の前の家の未亡人の家に手伝ひに行つて心細かつたといふ話の方が強く印象にあるらしい。男の人はどうしてあのやうにいいカッコしいなのかといふ非難の気持ちを話してくれた。我が家だつて祖父がゐなくなれば女二人になつてしまふのではないか、さう言ふことである。

 

    かういふ話をしてくれたのが嬉しかつた。私にはまつたく想像もできない時代であるが、さういふ時代を生き抜いて来てくれた人が母親であるといふことに、妙な喜びがある。時代を非難するのではなく、祖父への怒りを語つて生きてゐる母親が誇らしい。今はだから、せめて美味しいものを食べてゐて元気でゐてほしい。食ひ道楽の我が家ならではの感謝の思ひである。

 

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