新・からっぽ禅蔵

元サーファーで、後にタイ上座部仏教僧としてタイで修行。その後日本の禅僧となった水辺を愛し宗派にこだわらない禅僧のブログ。

禅話107ーわかったか?ー

2017-08-13 06:51:32 | 日記
◆羅山和尚〔道閑〕


●原文

問、「急急来投、請師一接。」
師云、「會摩?」
對云、「不會。」
師云、「箭過也!」


●試訳

問う、「急急(きゅうきゅう=急いで)〔用事を〕投げて来たる。師の一接を請(こ)う。」
師云(いわ)く、「會摩(えま=わかったか?」
對(こた)えて云く、「不會(ふえ=わかりません)。」
師云く、「箭過也(せんかなり=矢が過ぎる!転じて、的はずれだ、といった所か)!」
〔〕内は補足。


※問者(修行僧)は、師匠(師僧)による指導を求めた。
しかし師匠は、問者と接した時点で即「わかったか?」と問うた。
接した時点で、“接した” という事実がズバッと完結していた事を、問者は気づかない、といった所か?

まあ、少なくとも、僕らは誰しも、いつ何どきでも常に、今このときと直面している。
にもかかわらず、今この場に無いものに考えを巡らせるのは、想像や妄想や迷いでしかなく、それらは事実ではない。
勿論、考える事や想像する事が悪いとは、僕は言わない。
そもそも考える事をしなければ、自らの行為を反省し改める事も出来ないし、考えの上に成り立つ言葉を否定してしまったら、我々人類が持つ言語伝達能力を否定する事になってしまう。
しかし、禅家に於いては、まさに “言語伝達能力” の否定か?と思われるほどに、今このときの事実を最優先する側面がある。
また、禅思想の影響を受けている茶道に於いても、その場にある床の間の花や掛け軸、それから、菓子や茶や茶器の事を話題にするのがマナーのようだ。
少なくとも、僕が出席した茶の席では、その場に無い事を話題にする者は1人もいなかった。




◆新・からっぽ禅蔵◆
ジャンル:
モブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 夏!台風の海へ!! | トップ | ホントかよ?(笑) »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。