☆燕京備忘録☆

-ダイバーさんの北京マイナー日記-

洛陽にて観光 その3

2009年03月30日 02時31分20秒 | 生活

龍門石窟

ホテルをチェックアウトして、今回の一番の見所である「龍門石窟」へ。中国三代石窟の一つです。後の二つは、敦煌と大同にあります。大同は北京から更に近いので、近々行こうと思います。


最近事故づいております(^^;

到着して車から降りたとたん、バックしてきた車がこちらの車に衝突しました。何か最近は自動車事故によく遭う気がします(^^; 一度お祓いでもしてもらいましょうか(^^; さっそく集まってくる野次馬一同。運転手さんには申し訳ないですが、時間のない我々はさっさと石窟へ(^^; 中国の方の交渉は長いですから。


「龍門石窟」入り口

伊河に沿って造られた北魏から唐にかけての石窟寺院です。
北魏の様式はほっそり系、唐の様式はふっくら系で首に3本線なのが特徴だそうです。多数の石窟や仏像が彫られていますが、多くは顔とかが彫り取られています。盗掘を相当受けたそうで、人体サイズを大幅に超えるような大きな物以外はかなりダメージを受けています。でもこの石窟の規模自体には感動を受けます。





ところどころの崖沿いの複数の主要な石窟を見ていきます。



「潜望寺石窟」

唐の時代の石窟です。


Vサインするお茶目な如来様、なはずないですね(^^;



「三仏洞」

こちらは北魏の時代の石窟が三つ彫られていて、中央洞がお釈迦様です。
確かにこちらはほっそり系でした。


「万佛洞」

内部に数センチサイズの合計15,000の仏像が彫られています。



このサイズなのに目とかもはっきり分かる器用さです。上海博物館にも切り出したような彫刻がありました。


「蓮華洞」

天井に大きな蓮の花が彫られています。削り出しである以上彫るときは一発勝負でしょうから、職人は苦労したでしょうねぇ。


メインの巨大石仏への階段

足が笑いそうです(^^;

ご対面



則天武后を模したという高さ17mの如来像。
遠目には穏やかですが....




近くで見ると目が怖いです(^^;





U字型に岩山にテラスが彫り込まれていて、その壁に像が彫られています。このU字型のスペース自体岩山を掘り崩して設けられたそうで、その作業の大変さが創造できます。則天武后は度々ここの作業状況を視察したそうで、それで職人がこの如来像の顔を彼女に似せたのだ、という話なのだとか。


関林廟

次は関林廟。三国志時代、関羽が孫権に捕らえられて処刑され、首だけが曹操に送られた後様々な怪異が生じたので、曹操が手厚く葬った場所、ということです。関羽は道教の神様になりましたので、周りの建物も道教系です。入り口には関羽が書いたという笹の葉が文字になっている石碑があります。ガラスでカバーされていて、写真を撮りましたが、私の姿が反射で丸写りなので載せられません(^^;。



関羽様、やはり道教のこの色彩感覚はちょっと合いません(^^;

関羽の首塚は中国の方と同様にぐるりと一周してきました(100m位です)。ちょっと写真は、ねぇ(^^;


3本の枝振りがきれいな樹で、3義兄弟を思わせるということだそうです。しかし、私の興味はむしろそのお隣。


この傾いだ木を支える右側の木、どう見ても根っこまであって木そのものなのに、コンクリの柱だという方でした(^^; いやあさすが模倣大国、いい仕事していらっしゃる(^^;

昼食は「龍泉閣」にて洛陽名物の水席料理。水のように流れて次々と来るから、というのが名前の由来だとか。(ホントかどうかはガイドさんの話なので知りません(^^;)が、確かにどんどん出てきて料理の名前が分かりません。 給仕してくれるお嬢さんは17才で、中学卒業して既に1年の仕事経験があるそうです。


牡丹の花をあしらった酸味のあるスープ



お肉の揚げ物餡かけソース?

いずれも料理は美味しく、この旅行で一番のお店でした。


窯洞

河南省の古い建築形式の一つで、10m四方くらいに地面を掘り下げて中央を中庭、周囲の壁に横穴式の住居を設けています。


ちょっと端に寄るのは怖いです(^^;


中に降りるのは掘っただけの階段です(^^;


ここは清代の纏足をしたおばあさんが一生涯住んでいて、観光名所になっていたとのことです。昨年お亡くなりになったため観光客が大分減ったそうですが、息子さんはそれまでの観光収入でこの立派な鉄筋の家を建てたとのこと。

地下にあるで、ひんやりとしています。夏とかも過ごしやすそうですが、何もカバーしていない掘ったままの土の天井は、どうしても生き埋めが連想され、私は安心して眠れそうにありません(^^;

中央の庭には井戸があり、深くなっています。排水坑があちこちにあり、水が溜まることはないそうです。


洛陽古墓博物館

漢から北魏、隋唐、明清に至る数十の墳墓を実物、レプリカ取り混ぜて地下に移築して展示しています。まるでエジプトのピラミッドのような壁画の墓もあり、中国の墳墓の形式推移がよく分かります。大変通好みの場所のようで、広大な敷地で客が我々くらいしかいない貸し切り状態です(^^; (後から少しだけ来ました)




黄河

黄河を見たいということで、黄河大橋(5.9km)を渡ります。ここの川幅は今は1kmほどで、残りの平地は耕作地や工場などになっていますが、水面との差は余り無いので、氾濫したら水浸しでしょうね。



このあたりの水は上流にダムがあって土を止めるせいで澄んでおり、「黄色い河」のイメージではありませんが、景色は雄大です。水に触るととても冷たかったです。同行者は川縁の砂をいじって土遊びしながら楽しんでいます。水を含んだ土は粘土質で、陶器を作りやすそうですし、水気がない部分の土は風に撒くと砂埃が広がります。川縁には誰かが勝手に植えた小麦が既に畑になっていますが、葉っぱがモザイク状になるウイルス病に罹っていました。あれでは大した収穫も期待できないでしょう。




洛陽市街へ戻る途中も広大な畑が広がっていますが、あちこちに浮島のような大小の土盛りが浮かんでいます。いずれも墳墓とのことです。奈良飛鳥を思い出しました。


「火に会」麺(Hui Mian)

夕食は、回族(イスラム系)の店で「[火に会]麺」を食べました。きしめんより太いそばでスープが大変美味しいです。しかし、ボウルのようなサイズでボリュームがすごくて、半分くらいでダウンしました。横を見ると還暦を過ぎたようなお婆ちゃんが同じサイズを悠々と食べていました(^^;



今回の旅は基本的に食事は問題なかったのですが、どうやら最後のこれ、付け合わせの羊肉を麺に入れすぎたせいか、この後一週間ほど胃をやられました(^^; 麺だけにしておけばよかったんでしょうけど、麺に入れると実に美味しかったんです....


空港で。

空港はやはりローカルすぎてまだ人もおらず、ロビーに我々しか居ません。北京から来る飛行機が折り返し運転となるのですが、到着が大分遅れました。その割には定刻から20分くらいの遅れで離陸しましたので、整備とかはこっちではやらないんでしょうね。行きと違いすぐ寝てしまったので、帰りは目覚めると着陸準備が既に開始されていました。1時間もかかりません。

家に帰り着いたのは11時も半ばを過ぎています。明日は当然仕事です。

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