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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

[シリーズ集団的自衛権批判(3)]イラク戦争-最優先されたのは「WMD保有の真偽」ではなく「対米関係」

2014-08-11 | 集団的自衛権

 あらためて、昨年2013年3月、福田康夫元首相が朝日新聞のインタビューに応じて語った、米国のイラク戦争への小泉政権による支持表明の経緯を問題にしたい。

 第一に、福田氏はこの中で、米のイラク戦争の根拠とされた「大量破壊兵器(WMD)に関する情報が全くなかった」と語っているが、ここでの問題が情報の量や質、情報収集機関の整備でないことは明らかである。米国が「ある」と言い張るものを日本が「ない」ということは出来ないという、日米関係の単純な事実を示している。
 安倍首相は特定秘密保護法を施行する最大の目的について「米国が世界中から集めた情報について、安心して日本に手渡すことができる」こととしているが、そんなことは問題になっていない。米国がもたらす情報を国民の目から隠し、真か偽かを国民が判断できないようにし、政府が外交でも戦争でもなんでも好き勝手にできるようにしたいという、それだけである。
 第二に、日本政府によるイラク戦争支持表明が極めて政治的に行われたということである。ブッシュ大統領が孤立する中で、英国議会でブレア首相が支持表明をすることになっていたが、それにさきがけて小泉首相が米だけでなく英の参戦をも支持する政治的意図を持って支持表明が行われたということである。これについて記者は「開戦支持は、ひとえに日米関係なんですね」と所感を述べている。
 第三に、イラク戦争を支持するという重大な表明が、閣議決定もなく首相独断で行われたということである。福田氏は「意味のない会議をしたって意味ない」と述べ、首相の独断による暴走を正当化している。
 第四に、「WMDが・・・結果的にはなかった、見つからなかった」ことを認め、米による「情報操作」といい、「英国も結局、だまされたのではないか」と言いながら、情報操作しウソを垂れ流した米国に対する怒りも批判も何もない。
 むしろ「WMDがないということになったら、米国が開戦する理由がなくなる。そういう心配がある」などと、開戦理由がなくなる心配をする始末で、「ない」という情報を持っていなかったことに安堵しているのである。
 第五に、全く開戦根拠のないウソの戦争によってイラクで数十万人もの無実の人々が殺され、国土が破壊され、大統領が処刑され、国の分断と大混乱に至っているにもかかわらず、日本は「実にうまくやった」と何の反省もなく自画自賛していることだ。戦争をすることや人の命を奪うことを何とも思っていない。ひたすら「日米関係が大事だ・・・日米関係の基軸を壊すようなことをしてはいけない」と「日米関係こそ最重要」との価値観を臆せず表明している。

 福田氏は、安倍政権に対して「集団的自衛権だろうが、個別であろうが、日本が危うい時は何でもやる」「議論をして余計になんか変な風にしちゃう、ということがないようにやってほしい」と、無駄な議論をせず、数の力を背景に強行突破することを主張して終わっている。
 福田氏の発言は、情報がウソであろうと開戦理由がデタラメであろうと対米関係を重視する日本政府は、支持表明以外の選択はなかった、それで「実にうまくやった」ということに尽きる。日本の侵略戦争への反省も、イラク戦争への反省もなにもないこんな政治家連中が集団的自衛権を手にしたらどうなるのか。 

※イラク戦争と憲法9条(4)--戦争の大義=大量破壊兵器はなかった 日本政府は責任を明らかにすべき(リブインピース)
http://blog.goo.ne.jp/liveinpeace_925/e/9e9d19d489cbc90b35d6f584b238d56f
※イラク戦争 福田元首相、当時の背景語る(日本テレビ)
http://www.news24.jp/articles/2013/03/23/04225366.html

---以下引用(朝日新聞より)----

「日本は結構うまくやった」福田元首相が語るイラク戦争(朝日新聞 2013年3月20日)

 ◆2003年開戦まで

 ――小泉内閣の官房長官当時、米国のイラク攻撃を想定した検討はいつからしていたのですか。

 「米国が2001年9月の同時多発テロ後、アフガニスタンを攻撃して成功した。その後、いずれイラク(攻撃)だ、という話は外交筋ではあった。でも影響が大きく、それをやられてはかなわないとの気持ちが僕にはあった。ただ指をくわえて見ているようなことで済まされるかどうかと考えていた」

 ――2003年3月の開戦時、当時の小泉純一郎首相が支持表明をしました。もっと早い段階で支持を決めていたのでしょうか。

 「決めていたかもしれない。日米同盟重視は間違いない。でも、それを外に言えるような状況ではなかった。米国もそんな早くから『開戦します』と決めていなかったと思う。戦争をするかしないかわからない段階で、支持すると言う必要はない。あるとすれば首脳同士の信頼関係を守りますよ、ということ。その辺の雰囲気を想像してほしい」

 「02年2月にブッシュ大統領が来日した時の首脳会談で、小泉首相は『どういうことになろうが日本は米国を支持する』と言った可能性はある。ただ、『米国は戦争するだろう。戦争したら支持する』という具体的な言い方はしていません。米国の行動は支持するが、開戦を支持すると言ったとは思わない」

 「ブッシュ大統領が来日した時、小泉首相は、まだ戦争というものが現実的ではなくて、日本の立場としてはそういうことにならないようにという気持ちも強かったと思う。小泉首相は最後の最後まで、国連を中心とした(国際社会がイラクに一致して対応するための)調整に期待をかけていた。我々も全く同じ立場で各国への説得をした。(国連安全保障理事会で米英と対立した)フランス、ドイツにも説得をしていた」

 ――開戦を支持するかどうかについて、当時の官房長官として、有識者などの意見を聞いていたようですが。

 「そりゃあ、聞いた。(当時神戸大教授の国際政治学者だった)五百旗頭真さんや(国連で難民高等弁務官などを歴任した)緒方貞子さんは皆、戦争に反対だった。武力でイラクを鎮圧することには圧倒的に反対が多かった」

 ◆大量破壊兵器の情報

 ――米国は開戦前にイラクの大量破壊兵器(WMD)保有を公表しました。

 「基本的には(米国がイラク攻撃の理由とした)WMDがあるかどうか、ということ。結果的にはなかった、見つからなかった。それがわかったのは開戦してからだ。(03年に開戦後に就任した)マクレラン米大統領報道官が08年に出した本を読めばわかるが、ブッシュも02年からWMDを(イラクに)使われたら大変だと脅威を感じていたんじゃないか。チェイニー副大統領がある時期からWMDがあると一生懸命宣伝をする。そういうムードを作るため、いろんな情報を流していたということも書いてあった。情報操作があった可能性がある」

 「我々も情報は特別にあるわけじゃない。情報がない。それが最大の問題だった。日本なんて情報がない国ですから。イラクはどういう状況で、WMDを持っているかなんて情報は、そう簡単に入手できない。我々は本当にだるまさんみたいだなあ。手も足もない。そういう感じがした

 「ですから情報(の収集・分析体制)の強化は、その頃から検討している。本当に機密な情報を入手する。人材を育成する。財政的な支援をしなければいけない。英国、米国、ロシアにしたって、そういうものを持っている。中国も韓国もそう。自前の情報は持たなければいけない」

 ――開戦支持表明をして、もし後で大量破壊兵器がなかったということになった場合の、政治的な影響を考えませんでしたか。

 「WMDがないということになったら、米国が開戦する理由がなくなる。そういう心配があるから、(日本も)一生懸命情報集めをした。しかし、外務省に聞いても『わからない』と。他にそういうことがわかる国際情報を持っているところがあるか。信頼できるのはない。日本政府が自分の手で、こういうルートで情報を取りましたという、確固たるものはない。WMDは、英国だって(情報を)持っていなかった。情報機関を随分持っている英国も結局、だまされたのではないか」

 「僕らは、WMDがあるんだという前提で物事を考えていた。だから、イラクが(査察に)素直に応じないというのはどういう事情か、米国と協調しないフランスがどういう情報を持っていたのか。(結果的に)うその情報に塗り固められた(ことがわかった)」

 ――一方で、イラクは開戦前に至るまでに、WMDに関する国連の査察に非協力的でした。

 「イラクは消極的な対応をした。自らすべてを明らかにしなかった。戦争に反対したドイツやフランスはもっと調べた方がいいんじゃないかとも言っていた。でも(国連による査察継続は)無理な話。米国は軍隊を15万人くらいあの辺に集結させていた」

 ◆開戦支持表明の経緯

 ――ブッシュ大統領は日本時間の03年3月18日午前10時から、イラクへの最後通告演説をしました。その後、小泉首相は午後1時から開戦支持の考えを記者団に語りました。最後通告演説があれば開戦支持表明をするとの考えは首相から事前に聞いていましたか。

 「その段階でも絶対に米国が攻撃するという風には僕は思っていなかった。フセイン大統領が投降する可能性もあった。小泉首相からは、18日朝の閣議後の閣僚懇談会で『イラク攻撃の開始の可能性が高い。その場合に安全保障の問題があると同時に経済が変動するかもしれない。万全を期すように』と指示があった」

 ――その閣僚懇で首相は開戦支持の考えを示したのですか。

 「そうじゃない。まだ事態がどう動くかわからないということで慎重に事態を見極めるということだ」

 ――閣僚懇はブッシュ大統領が最後通告演説をする前だが、首相はどうしてイラク攻撃の開始の可能性が高いと言えたのですか。

 「前日の17日(日本時間)に米国、英国、スペインの3首脳によるアゾレス会談があった。(開戦前に対イラク武力行使容認決議案を共同提案した3カ国の首脳会談。ポルトガル領アゾレス諸島で会談し、国連で決議案を採択する外交努力を打ち切ることで合意し、)17日に最終判断するということを決めている。(安保理常任理事国の)フランスは拒否権で、ブッシュは一生懸命説得したけどダメだなとあきらめた」

 「閣僚懇の後、ブッシュがテレビで最後通告演説をした。フセインと息子たちは48時間以内に外国に退去するように、さもなくばその後適当な時間に攻撃を始めるという話だった。その後の与党3党首会談で、公明党の神崎武法代表は『決議なし(でのイラク攻撃)は遺憾だ。北朝鮮への対応を考えた苦渋の決断だろうから、やむをえないと判断しました。だから国民への説明をしてください』。保守新党は『与党の結束が優先だ。総理に任せる』。それが終わってすぐ、首相がぶら下がりで『米英を支持する』と表明した」

 ◆英「先に支持表明を」

 「実は、ブッシュ演説の頃に英国の外交筋から連絡があった。『英国議会は今晩開会する。ブレア首相はこの問題でスピーチをしなければいけない。日本がその前に英国と米国への支持を表明してほしい。英国も(米国とともにイラクを攻撃することを)ほとんど決めているが、その英国の行動も支持してほしい』と。英国は軍隊も派遣していて、日本は英国も支持しますよという感じであれば(ブレア首相は)スピーチしやすいということだった。ブレアも国内で(米国)支持を発表しなければいけない。『その前に日本で先に支持表明を発表してくれ』という要請だった

 ――その要請を、小泉首相が支持表明をする前に首相に伝えたのですか。

 「僕は言わなかった。僕の所で処理した。『もうじき小泉総理が(ブッシュ演説について考えを記者団に話す)ぶら下がりをやります。それを見て判断をしてくれ』と返答した」

 ――結局、英国より日本の方が先に支持表明した。

 「そう。時差の関係があるからね。僕が申し上げたいのは、その判断についてそれくらい英国も困っていたということ。最初は人気があったブレアもだんだん人気が下がってきて、開戦の瞬間には相当英国も困っていた。米国からもそういう機微な頼まれごとはあった」

 ――開戦支持という重大な判断をするため、関係閣僚が集まって議論をすることはなかったのですか。

 「意味のない会議をしたって意味ない。情報が外に出てしまうだけ。僕が中心になり、首相、外務省、防衛省関係の本当に限られた人に絞ってどうするかという細かな相談はする。関係ないところに相談したって仕方ない。役人も入ってる時もあれば入ってない時もある。大事なのはやっぱり外交(を担当する外相)。それから最終決断者の首相。調整役で僕が入った。首相が大臣とよく相談することがあるけども、本当に1日に何回も何回も綿密にやっていた」

 ◆開戦支持への経緯

 ――開戦支持に至る検討で、小泉首相はどんな点にこだわっていましたか。

 「やはり、日米関係が大事だ、ということ。日米関係の基軸を壊すようなことをしてはいけない僕も(当時の)ベーカー駐日米大使から『米国も困っている。ドイツもフランスも離れてしまう』と聞いた。世界で賛同してくれるところが限られている。となると国連決議でやりたい。全会一致で(安全保障理事会で対イラク武力行使容認決議を得て)やりたかったが、そうならなかった」

 「日本がその状況の中で支持すると言った理由は、まず大量破壊兵器があると我々は聞かされてきたわけですよ。米側からも国連からも。(03年2月5日にパウエル米国務長官がイラクの大量破壊兵器に関し国連安保理で新情報を公表した)パウエル報告もある。それ以外の情報がなかった」

 ――小泉首相は開戦支持表明の前に、「国際協調と日米同盟の両立を図る」と語っていました。

 「日本としては、戦争にまで突入してくれるな(という思いで)、戦争しないでイラクがWMDを全部破棄するという形をとってくれれば一番よかった」

 ――開戦を避けるために、小泉首相からどんな指示があったのですか。

 「顔を見ていれば分かるじゃない、あの人は。政治家としていろんな経験をしてきているから、直感的な判断能力はある。そんな顔をしたら、こっちは『ああそうなんだな』と。そのために一生懸命やらなきゃいけないなと思った。開戦しないでほしいという気持ちは小泉首相も非常に強かったと思う。僕もそのために一生懸命にやりました。嫌がる外務省に指示してやらせたこともある」

 ――国際協調のため、米国に対しても外交努力を続けたのですか。

 「もちろん米国に対してもやった。(イラク攻撃をするなら武力行使を認める)国連安保理決議を全会一致で出すように、随分説得した。ブッシュ大統領にも、パウエル国務長官にも、ラムズフェルド国防長官にも。他国には特使を派遣して、戦争をしないためだと働きかけた。皆が気持ちをあわせて国連安保理決議を出せば、イラクもこれはいかんと(対応が柔軟に)なるじゃないですか。反対したドイツ、フランスは、この戦争について消極的な責任があると思う。それぞれ事情はあるでしょう。だけど、国連で一致結束してやれないということを、イラクはチャンスと思ったんじゃないか。今の北朝鮮と似ている。(核問題に関する)6者協議でも(他の)5カ国がまとまらなければ北朝鮮はいい。それと同じようなことで、国連で一致しなければイラクは楽観する。攻める攻めると言って最後は攻めないんじゃないか、という期待を持っていたと思う」

 ――結局、小泉首相は開戦支持を表明しました。

 「小泉首相に一貫していたのは、日米同盟、首脳同士の信頼関係は壊してはいけない、という確固たる信念だった。それに、北朝鮮問題もあった。開戦する寸前には、03年1月10日にNPT(核不拡散条約)脱退表明、2月24日には日本海に向けて(地対艦)ミサイル発射、2月下旬には寧辺(ヨンビョン)の5千キロワットの原子炉を再稼働した。そういう状況で、米国の抑止力に我々は期待しないわけにいかない。ことを構えるようなことをしたくない」

 ――小泉首相と開戦支持表明の前にやりとりは。

 「さんざんやっている。まあだいたい、僕が言ったようなことは、首相がそういうふうに思っているということですよ。だけど(開戦は)バタバタバタと来た。最後は、議論する暇もないんだよ」

 ――意見が対立することはなかったですか。

 「なかった。小泉首相が(開戦前のブッシュ大統領の最後通告演説を受けて開戦支持を表明し)先走ったとか。僕もそういう意味でいえば先走った。ただ、小泉首相独特の政治判断というか。どうせ支持するなら早くしたほうが日本をたくさん売れる、という気持ちがあったんじゃないかな。そういう意味では良いタイミング。政治判断は正しかったというのが僕の結論。何しろ米国は開戦すると決めたんですから。決めたならなるべく早く支持を表明しようというのは小泉さんの政治的な勘だ。結果的には正しかったと思う。積極的に開戦支持表明を真っ先にやったことを面白くないと言う人もいるが、これは日米関係だから」

 ――開戦支持は、ひとえに日米関係なんですね。

 「日本は戦争するんじゃない。もう米国は(戦争すると)決めているんだから、日本が反対すると言ったってやるんです。日本が必死になって食い止められなかったかと言われてしまうと日本の非力さを感じざるを得ないけども、そんなことはできない」

 「米国はその半年くらい前からチェイニーを中心として(WMDなどについて)いろんな宣伝をしている。米国民もそう思っている。(イラク攻撃を)やらないとなると、ブッシュは弱腰とか言われ、行き詰まってしまう。そういう切羽詰まった状況にいた。(イラク周辺に米軍を)15万人集積して、その費用はばく大だ。それだけ国費を使って準備をしてやめました、と言ったら一体どうなるかという問題がある」

 「米国による開戦の是非はそう簡単に論評できないと思う。少なくとも日本は戦争してない。カネは復興支援に使ったが戦争そのものには使っていない。(イラクに派遣した自衛隊による米兵の)輸送で若干使い、燃料費くらいは出ているかもしれないがそれ以上のことはしてない。(自衛隊は)1人も人間的な損失はしてない。英国は大変だ。200人近く兵士が死んだ。戦争から引き揚げて、(ブレア首相は)もう本当に人気がなくなって退陣した。そういう意味で日本は結構うまくやった。こういう言い方は不謹慎だと言われかねないが、実にうまくやったと思いますよ」

 「開戦支持をして、日本が何をやるかという役割ははっきりしていた。(3月20日、開戦を受け小泉首相が改めて支持表明した後に、政府方針を)官邸で決めて公表し、(21日に首相が電話で)ブッシュ大統領にも表明している。復興支援だ。戦争をすると決めているんだから、戦争が終わった後に復興支援、人道的なことをしましょうと。当たり前のことですよ」

 ◆自衛隊のイラク派遣

 「自衛隊の派遣も復興支援ということでやった。事故もなく本当によかった。小泉首相も自分の手で任期中に引き揚げた。それはやはりそういう問題をはらんでいるから、問題のないように対応しなければいけないという強い気持ちを持っていたと思いますよ。彼の責任感だと思う」

 ――小泉内閣はイラクの人道復興支援活動のため、04年から陸上自衛隊と航空自衛隊を派遣しました。

 「イラクにどう対応したらいいかについて、外務省も経験がない。だから随分いろんな人に意見を聞いた。どうしたらいいのか本当に迷った。自衛隊派遣はアラブ諸国と日本の関係に悪い影響を与えると言う人が結構いた。02年8月の初めごろ、英国のオックスフォード大学の先生がバグダッドで調査した結果を見せてもらったら、日本への好感度が非常に高かった。英国は中東と関係がある。そういう人脈が日本はない。中東については、結局第三者の情報に引きずり回されてしまう可能性が強い。ただ、復興、民生支援なら大丈夫という確信はあった」

 「04年4月に日本人3人の人質事件があった。(カタールのアラビア語衛星テレビ局)アルジャジーラで放送されたテログループが、自衛隊を撤退させれば釈放すると瞬間的に言ってきたことがある。自衛隊は撤退しないとすぐ結論を出して返答した。撤退する理由はないと。米国や英国が戦争して破壊した後の復興支援をしている自衛隊が撤退する理由はない。イラクのためにやっていると返答した。『自衛隊は撤退しない』と返答しようという話が最初あったが、それは捕まった3人がかわいそうだということで、『撤退する理由はない』ということにした。我々のやっていることに自信を持っていることの表れだった」

 ――民主党政権下の09年10月に、イラクでの航空自衛隊による空輸支援活動について防衛省が詳細な実績を明らかにしました。空輸人員の7割近くを米軍兵士が占め、小銃や拳銃を携行するケースも多くありました。自衛隊派遣のために制定されたイラク復興支援特別措置法では武器や弾薬の輸送を禁じており、問題だとの指摘があります。

 「そこは難しい問題だ。兵士は一切だめだといっても、あの辺には兵士しかいない。お医者さん乗っけてっても軍医だ。(憲法上、自衛隊が)戦線に軍医を派遣するのはダメなんだ。戦闘行為に加担したことになるから。看護婦もいけない。だけど戦争後、あそこでテロ対策をやっている最中に、この兵隊はテロ対策に従事するのか、この荷物がなんのためなのか、といちいち吟味していられない。厳密に言えば問題があったかもしれないけど、テロ対策だ。戦争じゃない。(イラク特措法で武器、弾薬の輸送が禁じられている、と)そんなこといったら、仕事の邪魔になるだけだから早く帰ってくれ、となる。だから、協力したいという気持ちのなかで、それはある程度やむを得ないという判断をした可能性はある。ちょっと、厳密によく覚えていないけど。国会で議論があったのを覚えている」

 ◆復興支援の検討

 ――イラクでの復興支援活動をどうするかについては、小泉首相の開戦支持表明の前から、福田官房長官のもとで関係省庁で協議していたのですか。

 「僕は正直言って開戦したくないと思っていた。開戦したらどうするということはあまり考えていなかったね。開戦に至らないようにどうしたらいいかということを外務省とよく相談しながら、本当にぎりぎりまで働きかけをしていた」

 ――関係省庁で、事務レベルでは検討していたのではないですか。

 「(20日の開戦と首相の支持表明を受けて)復興支援をすると表明してますから。もう随分前の段階から準備していた。問題は戦争がいつ終わるかわからないことだった。どういうニーズが発生するか。破壊行為がどのくらい行われるか。5月に終わったが、役人は心づもりはみな持っていた。いきなり(官邸から復興支援策をと)言われたときはどうしようかとあらかじめ考えていた。開戦支持をしたら、日本は軍事的な行動はしない、終わったら復興支援に協力しますということは、もう最初から分かっている。そのうえで支持をするということ」

 ◆日米同盟への影響

 ――小泉首相の開戦支持表明が日米同盟に与えた影響を、どう考えますか。

 「その後、日米関係でいろいろあってもそんなに大きな問題にならないで済んだ。(開戦支持で)米国に対し、ものすごく日本のプレゼンスを高めた。その前から蜜月という状況はあり、ブッシュ・小泉の相互信頼関係は非常に厚かったが、これは決定打になった」

 「04年4月にイラクで日本人3人の人質が捕まった。現地の米軍とのやりとりで、あそこにいるんじゃないかとか、それを攻撃するとかいった話もありましたよ。われわれは人命尊重でやってくれと。情報も取れました。大変協力してくれた。危ないなと思ったときもあったけど、(米軍が)攻撃しないで済んだこともあった」

 「それから、日本とイランのアザデガン油田の契約があった。(イランの核開発を懸念する)米国は絶対に反対で、議会で大問題だと駐日米国大使館からさんざん聞かされた。しかし、僕は『イランと日本はケンカしているわけじゃない。うまくやっているとすれば、それはそれでいいんじゃないの』と言った。こっちも頑張った。ずいぶん長い間交渉した。最中に、ベーカー駐日米大使が夏休みで米国に帰っちゃう。しかし、この問題があるから常時連絡はつけるようにしようと。その間ずっと連絡をとりあった。最後は『じゃあいいよ』と言ってくれた。こちらも譲歩して、契約の規模を減らした。ベーカーとはしょっちゅう会っていた。親しいというか、それだけ仕事があった。綿密に話をしているから、大きなそごは起こさない。(官房長官は)そのくらいしなきゃいけない」

 「北朝鮮問題でも米国は非常に協力的だった。拉致の問題について日本の言い分をよく聞いてくれた。08年に僕は(首相として)ブッシュ大統領にワシントンで会った。パンフレットを持っていき、非常に関心を持ってくれた」

 ――拉致された横田めぐみさんの母、早紀江さんが06年に訪米した際、ブッシュ大統領と面会できました。

 「そう。協力的でした。その前に(拉致被害者の曽我ひとみさんの夫)ジェンキンスさんのことも、一生懸命やってくれた。(ジェンキンスさんは在韓米軍に従軍中の1965年、国境を越えて北朝鮮に入った。脱走など四つの罪に問われ訴追されたが、判決後に減刑された)」

 ――もし日本が米英軍のイラク攻撃を支持せず、イラクに自衛隊を派遣しなかったら、日米関係はどうなっていたでしょう。

 「拉致問題で被害者が5人、(2002年に北朝鮮から日本に)帰ってきた。(日本政府は北朝鮮に)帰さなかったでしょ。あれもし帰っていたらどうなったかな。そういう仮定の話というのはいろいろある、歴史の中ではね。開戦時に反対していたらその後の日米関係は大変だったろう。日米関係、ブッシュ・小泉関係はダメになる。冷たい関係になったでしょう。ブッシュも国内で、なんで開戦したんだ、日本が支持表明をしなかったということで批判を受けて、支持がなくなったら思うようにいかない。彼の外交における選択肢は狭まってきますよ。(04年の大統領選で)2期目は当選できなかったというようなことも。まあ、想像すれば、いろんなこと考えられる」

 ――当時、自民党政権には日米安全保障条約の「紙切れ論」がありました。日米間に信頼関係がなければ、米国が日本を守る安保条約は紙切れになる。だからイラク戦争を支持すべきだという意見です。どうお考えになりますか。

 「首脳が誓うのは日米関係にとってより大きな効果がある。日本の支持というのは、戦争に参加するわけじゃない。米国が戦争することを決めた後でそれを支持し、復興支援をすると言っている。米国の開戦は失敗だった、支持した日本は悪い、という単純なものではないだろうと思う」

 ◆今後の課題

 ――今後、イラク戦争と同様の状況が起きたら、日本はどう対応すべきでしょう。

 「米国の立場、役割、経済情勢とか財政問題とかいろんなことがあるからね。すべてが同様の状況が起きるとは思いませんけど、首脳同士の信頼関係がやっぱりなければ、話は何事もうまくいかないんじゃないでしょうかね

 ――自衛隊による国際貢献の要求には、今後どう対応すべきでしょう。

 「それはPKO(国連平和維持活動)協力法ができてから、ずっと議論している。例えば、イラクに派遣した自衛隊の部隊視察に総理大臣が来ました、総理大臣が攻撃を受けたときに総理大臣を助けることができるかできないかって問題。厳密にいえば助けられない。緊急避難なら応戦してもいいけどね。だけど、イラク問題のあたりから、自衛隊が助けてもいいと(いう議論がある)」

 ――開戦支持によって日米関係を維持しないといけない理由として、北朝鮮問題への対応があったとのお話でした。当時、中国の軍拡、海洋進出への対応については考えましたか。

 「今と全然違う。あのころは日本のプレゼンスが大きかった。米国との関係が良かったこともあったでしょうけどね。6者協議の進行は日本が全部仕切ってシナリオを書いたんだ。(議長国の)中国にもこのシナリオで、と手取り足取り、会議の進行の仕方とかね。そのくらい日本が国際政治を取り仕切ることをやっておかしくなかった。それがなんでこうなったのか。(いま)日本は発言権がない。これを立て直すのは容易なことじゃない。3年の(民主党政権の)仕業の結果。恐ろしいことだ。日米関係の緊密さがない。それで日中関係、日韓関係でぎくしゃくしている。外交の幅は狭まった」

 ――日米同盟の強化が今後、もっと必要になるということですか。

 「日米同盟、日米同盟なんて言わないで済むようにしなければいけない。(あまり言うと)何するんだって思われるじゃないの。そう思わせないように、当たり前みたいな顔をしていればいいんですよ」

 ――安倍内閣は同盟強化のためとして集団的自衛権の行使を検討しています。

 「集団的自衛権、集団的自衛権なんて言わないでいい。自衛権に個別とか集団とかがあるというのは日本的な発想。憲法から来ている話で、極めて特殊な例です。日本だけでこういうことを議論している。集団的自衛権だろうが、個別であろうが、日本が危うい時は何でもやる。(安倍首相は行使検討のために)具体例を挙げている。具体例なんていらない。ミサイルが飛んだら迎撃するというが、3、4年前だったら北朝鮮への対抗だと言えるけど、今だと中国や周りの国々にいろんな余計な臆測を与える可能性がある。そのこと自身が日本の外交をしにくくする可能性があるということじゃないか」

 「(外交や安全保障を官邸主導で進めるため安倍内閣が検討する)NSC(国家安全保障会議)は必要だ。ただ、冷静に判断できる専門集団をつくるのはいいが、誰が責任を持つのか、誰が指令するのかという問題がある」

 ――安倍内閣に心配なところがありますか。

 「まあ、心配というかね、議論をして余計になんか変な風にしちゃう、ということがないようにやってほしいということですね」(肩書は当時。聞き手・倉重奈苗、藤田直央)

--引用終わり--

(ハンマー)


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