気ままなハンドル

先の見えない道を気ままに走れ

読む 書く 聞く 話す

2010-12-26 23:07:10 | 雑記
就職活動、研究の傍ら
最近は中学生の受験対策にもっぱら力を入れています。


私が塾で担当している中学生は、
高校入試で100点中、50~60点を狙う層。
「学力レベル」でいえばハイレベルクラスではない。
いわゆる「基本だけは出来るようになりましょう」みたいな感じ。


冬期講習に入り、
約6時間あまり授業を進めていますが、
その授業で気づいたこと、それは

「この生徒は理科が分からないんじゃなくて、
 自分が何を読んでる?書いてる?聞いてる?話してる?」

がわからないんだよ。この子たちは!


授業中に15名の生徒を観察していると、

・目が泳いでいる子=どこをやっているのか分からない。
・「何℃か答えて」→「10g!」=何を聞かれているか分からない。
・「先生これ覚えられない」→「これはどういう意味なの?」→「???」=読んでる内容が分からない。

そんな子が居たり、

逆に

・自分から質問をしにくる
・入試問題を欲しがる
・指したら、すぐに応答できる

といった子もいて、
そういう子ほど前期試験の面接を心配していますが、
授業での態度を見る限り、大丈夫だなと思ってしまう。

心配していない子ほど、心配なのだ。


授業では「科目を頑張ろう」と意気込んでてさ、
どんだけ頑張っても、わからない。点数が上がらない。
非常に悔しくなりました。

でも、それは科目の内容がわからないんじゃなくて
読んでる、書いてる、聞いてる、話している日本語が分からないんだよね。
新聞や本や教科書が嫌いになるのもわかります。


いや、違う。
本や教科書を読んでない→活字が読めなくなる→読み書きが嫌いになる→活字と必ず巡り合わす勉強を嫌いになる。

その根拠として、
活字で書かれたことを図や表にする→先生がアナウンサーみたいに説明する→「あーそういう事なのか!」
つまりはニュースの原稿を読むテレビのアナウンサーみたいなのものですね。

この役割に全うすることは、
先生の評判=「わかりやすさ」は上がるし、客=生徒も集まり、商売的には成り立つ。
しかし、これは生徒の読み、書き、聞き、話し、理解するというチャンスを奪っているという見方もできる。

私たちの本当の役割は何なのか?
今日はそんなことを考えていました。



今日の再試居残りで、
なかなか同じ問題で合格点取れなくて、

「これはこういう意味なんだよ!」→「あーそういう意味だったんだ!」

文字が無味乾燥として、記号にしか見えていないのか!?

気づくのには時間がかかったけど、、
今までとは少し違った事をしなくてはならない。
でも、何か工夫したら、いいことあるかもな...


久しぶりに書き込みしましたとさ。