お彼岸

2017-03-21 12:12:22 | 生い立ち・家族
お彼岸で実家に行き、墓参りをしてきた。

姉が言う。母の結婚式の写真が出てきたと。
前に帰った時に、母の花嫁姿の写真は見せてもらった。
そう言うと、それでなくて、ちゃんとアルバムに貼られたものだと。

古いアルバムが3冊。
結婚式の集合写真。
母と、父の両親との3ショットも。
その後の、新婚時代に撮られたと思われるこちらの親戚と写した写真など。
その中に、父と母との2ショットが一枚。

2冊目には、若い頃の母がたくさん写っていた。
剥がされている写真もたくさんある。
細かくコメントが書かれている。
そのコメントの字は明らかに母の字ではない。
でも、最初の方には母が一人で写っているものがほとんどで、
他の誰かがこのアルバムを作ったとも思えない。
母は昔、こんな字を書いていて、その後で字を習ったのかなあとか思って見る。
(母は、なかなかの達筆であった)
途中空白のページが何枚かあったような気がするが、
その後ろの方に、「我が一族」と書かれたページがあった。
ほとんどの写真は剥がされていたが、明らかにそれは父方の家族だった。
そうか。これは父の字なんだ。
父がきっと母の写真をたくさん撮って、アルバムにしていたんだと思う。

そして3冊目。
それは、姉のアルバムだった。
姉の誕生を祝うアルバム。
1ページ目には、引き延ばした生後間もないと思われる姉のアップの写真に、
姉の命名の理由が書かれてあった。
父の姉への愛情のあふれたものだった。
なんだか嬉しかった。
姉もこれを見つけた時は、どんなにか嬉しかったんじゃないかと思う。

姉がこれらのアルバムを出してくる時、
多分一緒に収納されていたものだろう、赤ん坊の写真を手に取って見ていた。
「お姉ちゃんの写真?」
「そう」
「私のはないの?」
「みなみの赤ちゃんの時の写真はないの」
「どうしてか、この前話したよね?」
「聞いてないよ」
「そうだった?じゃあ、また今度教えてあげるね」

「また今度」そう言ったのは、隣の部屋に私の夫がいたからだと思う。
それで聞きそびれた話。
一体何だろう?

私が産まれたのは、姉が3歳になる少し前。
姉は、母から父とのことは何も聞いていない様子だったけど。
私の赤ん坊の時の写真がないということは、
もうその時には、父と母はうまくいっていなかったということか?
写真が趣味だったと思われる父。
姉が産まれた時に、あれだけ愛情こめたアルバムを作った父が、
私の写真を撮らないはずがない。

父と母が離婚したのは、私が8カ月の時だ。
でもそれは、戸籍上の日付。
そうだな。
役所に届けを出す8カ月前に、もう夫婦が成り立っていなかったとしても何の不思議もない。
私の出生の届け人は、父の名前になっていたが、それは形式上のことなのかもしれない。
私の長子が産まれた時、役所に出生届を持って行ったのは母だった。
私は単純に、届け人というのは、役所に届けを持って行った人のことだと思って、
母の名前を書こうとして母に止められた。
「届け人に父親以外の名前を書くのは、父親のいない子の場合だ」と。

私は、3歳になる少し前、母と姉が帰って来た時のことを記憶している。
ちょうど同じ年頃の姉が、妹が産まれた時のこと、そして父親がいなくなった時のことを記憶していたということは、
充分有り得ることだと思う。

私は父に抱いてもらったことがあったのだろうか?
父と対面したことがあったのだろうか?
母が私を産んで帰ったのが、父と暮らした家ならば、
もう離婚を考えていた夫婦だとしても、父は私の写真くらい撮ったのではないのか?

でも、それならば、私が初めて父の家を見に行った時感じたあの懐かしさは何だろう?
ただの気のせい?
それとも、母のお腹の中にいた時の感覚なのか?

今度姉と会った時に、姉がこの話を始めるとは限らない。
私も、敢えてこの話を持ち出すとは限らない。
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