LIPRIVERの部屋 (フォトブログ)

1日数枚の写真を掲載 花の写真、神戸の素敵な所、関西を中心とした写真を紹介。ただ、写真と記事とは余り連携していません。

阪神大震災

2011年01月17日 | 神戸

あれから16年。悲惨な姿だったけど、今はそんな事も感じさせない神戸。思い出すたびにこれからどうなるのだろうと不安になったあの頃、良く此処まで戻ったものだと、ある意味驚きもある。当時の頃を思い出せば、道が混み、普段ならすぐ行ける所が道が陥没。仕方なしに遠回りをして、何十分もかけた道。高速道路が走れず。ホント、30kmぐらいの道のりが何時間もかけ、仕事に向かい。大変だった事を思いだす。それが今では何も感じさせない阪神大震災。大勢の方が亡くなり、悲惨な日は忘れてはならない。でも、あの時の私は、悲惨な写真、家の倒壊、壊れた道。何も残していない。カメラが好きだったけど、何か心の中に残したくない何かが働いたのか、震災からカメラを何年間持っていない事に・・・・。復興しはじめて記録と思った写真も残していない。また、壊れた家やあの頃の写真を見るのもしていない。家内の親の家や、自分の母が住んでいた家は勿論、壊れ、今は跡形さえ残っていない。何もかも変ってしまっている。そう言った意味では寂しい気もする。毎日のようにガレキを積んだトラックが、行ったり来たり、公園がガレキ置き場になったり、それは、今は勿論姿を消している。家内の家においては、ガスのにおいと、揺れの中から、大事なものを最小限、奥にもぐって取り出した事。今から考えるとゾッとしますよね。あの時は一体何が起こったのか、ドーンとした下からの突き上げ、そして、何日も余震に怯え、余り生きた心地しなかった事。最初は大した事がないと思ってたら、明るくなる事により、トンでもない事になっていた。会社も10日間ほど休んだのを覚えている。会社では家が壊れた人のアンケート。そして、半壊や倒壊などの報告。そんな中においても、12月の末に偶然に逢った後輩が、来年、結婚しますねんと報告を受けた人が震災の犠牲に。良く知っていただけに悲しみは大きかった事を覚えている。やんちゃな奴だっただけに、まさか、こんな事で死ぬとは思わなかったし、悔しかったでしょうね。あれから16年、まだまだ、心に傷を残している人が大勢いると思います。でも、前を向いて歩く、生かされた私達はこれしかないのでしょうね。死んだ人の分まで頑張っていくしかないのでしょうね。

 


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