放送大学で学ぼう

1994年に放送大学、科目履修生として、京都学習センターに登録、入学金は3,000円、1科目7,500円でした。

森田療法施設 京都 「三聖病院」閉院 以降

2017年05月26日 | 森田療法・宇佐療法・終焉

現実的には、東福寺の元三聖病院の跡地にできた「三聖モータープール」ができたおかげで、今熊野にある関与先を訪れるとき、便利になりました。

私が、宇佐晋一先生の元で、入院森田療法を受けたのが、19才の時でした。

たまたま、最近、日吉ヶ丘高等学校の同窓会のお知らせが来ていたので、思い出しました。

森田療法の原法に沿った入院療法については、すくなからずの入門書や解説書が出ているので、ここでは、あまり触れません。

 

当時は、まだ、現・京都森田療法研究所の岡本 重慶先生が来られる前で、高齢の精神科医が、宇佐先生のサポートをされていた。そのサポート医は、その診療が終わると、宇佐先生の診察室に一緒に行き、指示を仰ぐのが常でした。

とある日、いつもの通り、宇佐先生の診察室のドアを開いたところ、藤森中学の同窓生で、顔なじみのあるの方が、まさに、宇佐先生の診察を受けておられる事態に遭遇したのでした。

私は、見てはいけないものを見たような衝撃を受けたが、「そのまま」ずっと、こころに秘めていました。

その偶然的事態が、2回あったので、強く記憶に刻まれています。

確か、その方は勉強もできたし、ボランティアもされていたので、何か、その方は、ごく軽症な問題で来られているのだろうと思っていた。

また、ある意味では、「見るなの禁」をも連想されたものです。

当時は、私が、重篤であると思っていたので、それを知られてしまったことへの不安もありました。そのため、話しかけることもありませんでした。


それ以降、なんで、あのように立派な同窓生が、このような森田療法施設に来ていたのかは、ある種の「公案」として、心の片隅にありました。


日吉ヶ丘高等学校の同窓会の度に、そのことが連想されます。

 

私にとっての森田療法は、すでに何回か書いているが、正当な精神療法として、私自身のバックボーンのひとつになっているものです。

ただ、約3ヶ月の入院療法により、卒業してからは、44年間、一度も、三聖病院を訪れることはありませんでした。

 

亡父も、一時期、三聖病院の外来を利用させて頂きました。

当時の父は、一時期、仕事がうまくいかない時期があって、今で言う軽症の「うつ病」であったのだろうと思います。

 

宇佐晋一先生には、若い頃、大変お世話になり、ありがとうございました。

 

 

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« お坊さんへのお布施 | トップ | 私淑という生涯学習の可能性 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。