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第47回宝塚記念

鉛色の空は既に泣き出していた。
雨足はさほど強くないもの、止みそうな気配は全く無い。
春競馬の締め括りはこの季節のらしい雨の中で行われることとなった。

天気は何とか持って欲しかった。
良い馬場で走らせてあげたいというのはもちろんある。
だが、一番の理由はレースが観られないかも知れないからである。
傘で視界をふさがれターフビジョンすら見えなくなる。
それでは何のために現地観戦したのか分からなくなってしまう。
私は競馬場に到着するなり傘を差しスタンドに向かった。

この天気でまだお昼時ではさすがに人も疎らである。
だが、一番前のベストポジションには空が無い。
いつものゴール板付近の場所を諦め4コーナー側へ歩く。
結局、ターフビジョンの前に落ち着くことにした。
一番前とはいかないがその直ぐ後ろならば大丈夫だろう。
この場所を死守するためにレースまで立ち尽くす覚悟を決めた。

周りを見回すと私と同じような人が居る。
傘を差し馬場を見て佇む若者。
合羽を着て楽しそうに会話している父と娘。
頭にタオルを乗せただけで既にびしょ濡れのカップル。
皆、雨などものともせずただその時を待っている。
嫌なことなど全て忘れてしまうような爽快な瞬間を。

予想通り雨は止まず、時折雨粒の大きさが増した。
馬場は軽いスピードだけでは通用しないものへ変わって行く。
今日のレースは様々な意味での力勝負になる。
ならば、今日もいけるだろう。
そう私が期待する馬がターフビジョンに映し出された。

パドックでの姿はいつも通りだった。
最初はスキップを踏むようにチャカつく面をほんの少し見せる。
その後は気分良さそうに尻尾を振りながら悠然と歩く。
雨を嫌がることもなく、欠伸でもするように口を開け舌を動かす。
海外への壮行レースでもあるここでは負けられない。
そんな周囲からのプレッシャーなどどこ吹く風である。
だからこそ、あれほど常識外れのレースができるのだろう。
今日も楽しく走ってくれそうだ。

本馬場入場となり待ちわびたファンの表情が明るくなる。
皆、笑顔で姿を追い近くを通るとつい声が出る。
私も彼の首を下げたゆったりとキャンターを見て頬が緩む。
長時間立ちっぱなしだった疲れもどこかへ行ってしまった。

ちょうど目の前がゲートだった。
発走時間が近づき直ぐ近くに集まり輪乗りを始める。
ここで私は傘を閉じた。
雨は相変わらずであったが私の傘で視界を遮られる人がいるだろう。
折角の現地観戦でレースが観られないのでは忍びない。
やはり皆で感動を分かち合わなくては。
それに対して今私ができるせめてもの行動だった。
さすがに周りにも行動を促すことはできなかったが。
だが、そう思っていたのは私だけではなかった。
周りの人たちが次々と傘を閉じ始めた。
最前列の人までもが。
そんな暖かい雰囲気に溶け込むようにファンファーレが響き渡った。

ゲートに入る瞬間をこの眼で見届ける。
直後、乾いた音と共にゲートが開いた。
スタートは可も不可もなく普通に出たように見えた。
そして、いつものように先行争いを尻目にのんびりと1コーナーを回った。

向正面流しに入り、先頭から順番に映し出される。
この時点ではまだ後ろだなと思ったとおりに最後方近くを走っていた。
そして、また前に視線を戻して徐々に後ろへと移して行く。
最近はこの辺りで猛烈な勢いで上がって行く彼を捉えることになる。
だが、今日はまだ後ろの方に居た。
一瞬「えっ」と思ったが直ぐにあの時のレースが頭を過ぎった。
この地で偉業を達成したあのレースが。
あの時も同じような展開だったじゃないか。
いや、あの時の方がもっと絶望的だったじゃないか。
だから、白く煙る景色に紛れて彼を見失っても不安にはならなかった。
4コーナーで大外に持ち出すころでようやく彼を見つけた。

既に先行集団から抜け出す位置まで来ていた。
そして、まだ前で粘る馬を捕らえるべく追撃を始める。
そんな場面で私の目の前を通り過ぎて行く。

騎手、馬ともに泥だらけ。
しかし、そんなものは意に介さず前だけを見据えて走って行く。
重心の低いフォームは前向かって跳躍しているかの如く。
そう、彼は今日も飛んでいた。

先頭を走る馬も良く伸びていた。
だが、彼はあっさりと交わし去りさらに脚を伸ばして行く。
まるで目標はもっと先だと言わんばかりにひたすら前へ。
遥か遠くのものを追い求めるようにただひたすら前に。

ジョッキーが右手の鞭を逆手に持ち替える。
その手をグッと握りかみ締めるようなガッツポーズ。
そのまま世界への扉と繋がるゴール板を駆け抜けた。


勝者にのみ許されたウイニングラン。
スタンドの観衆は拍手で彼を迎えた。
その拍手はどこかいつもと違うように私は感じた。
素晴らしい映画のエンドロールで巻き起こる拍手のような。
心に染みる音楽を聴いた後の感動の拍手のような。
とにかく手を叩かずには居られない。
スタンディングオベーションという表現が相応しい。
そんな、興奮だけとは少し違う暖かさを感じるような万雷の拍手だった。

それは彼が私たちの夢、そのものだからなのだろう。
日本の馬が世界最強に。
そんな競馬ファンが必ず一度は想像する夢。
だが、それは競馬を観続ける程に分かってくる。
実現不可能な儚い夢だと。

でも、彼の走りを観ているともしかしたらと思えてくる。
忘れかけていた想いを蘇らせてくれる。
そして、今日も彼は素晴らしい走りを見せてくれた。
私たちの前で飛んでくれた。
無限の可能性を見せてくれた。

胸が熱くなったとき、人はただ手を叩くしかないのだろう。
それを見せてくれたものに感謝の気持ちを込めて。


やがて、勝者の証を身に纏い再び彼が姿を表す。
スタンドからはもう一度、大きな拍手が巻き起こる。
鞍上の男もパートナーへ馬上で拍手を贈る。
皆、最高の笑顔で英雄に対して拍手を送り続けた。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 6 )
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コメント
 
 
 
こんばんは (どかにし)
2006-06-28 20:07:25
競馬は馬券の中にだけじゃなくレースそのものの中に夢とロマンがあるんですよね。

きっと 凱旋門賞では今回のワールドカップで落胆してしまった我々日本人に必ずや感動をもたらしてくれるでしょうね。

期待しましょう
 
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