ゴルフィーライフ(New) ~ Get Back , Jo-Jo 上々

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スティングの多幸感

2017年06月09日 | 日記

ここでのスティングは、フランスの哲学者ラカンの言う「三界」、
すなわち、「現実界」・「想像界」・「象徴界」を行き来しているように見える。

まるで「多次元境界仮説」のような感じだ。
(人間は光のようなものではないか ~ ゴルフィー仮説(多次元境界仮説))

見倣うべきは、三界を行き来しながらにして、
絶えず、「多幸感」を感じているような落ち着き。

喜怒哀楽を激しく出したまま競技は続けられない。
非常に舞い上がりもしなければ、非常に落ち込みもしないというのは、頭のよい証拠である。
計算や判断に優れているのと同じように、情緒を安定させられるのも、知能の高さを示している。
                    (元気の秘密は超快復/田中誠一・矢澤一良/プレジデント社)

Sting - Fields Of Gold

映画マトリックスに出てくる仮想世界「マトリックス」が想像界だ。
想像界は偽物のイメージの世界であり、マトリックスの内部では、カンフーの達人だったり、飛んでくる弾丸を体を反らしてよけたりもできるようになる。
マトリックスを「現実界」だと思い込んでいたら、こうはいかない。
じゃあ、「象徴界」はどこかって?
主人公ネオの覚醒シーンを思い出してほしい。
一度死んで蘇った救世主ネオの目に映るのは、マトリックスそのものを生み出しているプログラムのコードそのもの。
ネオが見ているコード・システムこそが、象徴界に相当するわけ。
コードさえ読めれば、マトリックスの中でエージェントたちが仕掛けてくる戦闘など、悪戯に等しいものになる。

ただ、現実界・想像界・象徴界という区分は、一つの見方に過ぎない。
三界の区分は、常に位相的な区分でしかないんだから。
位相的っていう意味は、互いの位置関係が常に相対的に決まるっていうこと。
一種の座標軸みたいなイメージかな。
x ,y ,z の三つの軸があるとして、x 軸だけを取り出したい、と言われても、それは無理な話。
この三界の区分も、人間の「認識のモード」として存在するもので、
人間の認識における座標軸の一種と、さしあたりは考えてくれて構わないと思う。
だから、この三界は、それぞれに対応する何らかの実体的な空間や領域を、この世において占めているわけではないんだ。
『ちょっと今から「現実界」に行きたいんだけど、どうすればいい?』とか聞かれてもそれはムリってものだ。

 

人間は年齢と共に、三界の位相を変えていくのかもしれません。
現実界にこだわらなくても、象徴界が豊かになり、それが仮想界にも反映されていく。
年を重ねるというのは、きっとそういうことだ。
愉しみ方や価値を置く世界が、位相をずらすように変わっていく。
私たちの認識する世界は相対的なものであって、それぞれなのだ。
誰もが同じ絶対的世界の下に生きているのではない。

ラカンとスティングを混ぜ合わせて語るのもどうかと思うのですが、
年齢と共に、渋みを増し、哲学的なエスプリを身にまとっていくようなスティングに魅せられる。

GW前にポールのコンサートに行って間もないのですが、
Mr.ケーデーの発案で、スティングを観にまたまた武道館に行って参りました。

ジャズやクラシック、民族音楽に至るまで多彩なアプローチを経て、
新作「57th & 9th」を発表し12年ぶりに本来のロック表現に回帰したとも言われる今回のライブ。

冒頭で一曲演った後に、休憩を挟むまで40分以上も前座の演奏が続いたのですが、
(スティングの息子も歌でとギターで登場、声がそっくり。)
スティングが再登場しての本編は圧巻、音楽が豊かで、いろんなテイストで飽きさせない。
スティングももう65歳とのことですが、声も演奏もソリッドで洗練されている。


ステージがハネた後は、スティングの新作タイトルが黒板に書いてある土佐料理の店で。
白魚に似たどろめ、フライドポテトに似た芋けんぴ。(こんなのを酒のあてにするものなのだ。)

Mr.ケーデーが、実はスティングに激似であることに気づいた。

 

 

 ( ↓ ) セットリスト。(日本公演前のセトリでは外れていたMad About Youも入っていて、個人的には満足なチョイスです。)

動画撮影は禁止だったので、合い間合い間にスマホで撮影した写真を並べてみます。

オープニングの、Heading South,,  民謡のような美しい曲に惹き込まれる。

約40分の前座の後を受けての再登場は、「シンクロニシティⅡ」で幕開け。

音楽に混ぜ合わされるのは、タイトル(synchronicity、共時性) が示すような世界観。
スティングは音楽の持つ力の不思議にも言及している。

 

「イングリッシュ・マン・イン・ニューヨーク」では、
”Be yourself no matter what they say" のフレーズを一緒になって合唱し、
(エイリアンだったか)
「フィールズ・オブ・ゴールド」をスティングの声に寄り添うようにつぶやくように口ずさむ。
([2017年 GW] 赤城 ⇒ 上毛 (いつか もっと うっとりを。)
「シェイプ・オブ・マイ・ハート」では、
ドミニク・ミラーのギターの音色に耳を澄ます。
(shape of my heart ~ 秘密と水仙と)


ポリス時代の「ロクサーヌ」はもちろん、好きな「マジック」、
そして今回は「So Lonely」がつぼにはまった。こんなにキャッチ―な曲だったっけ、っていうくらいに。
あんまり好みでもない「Desert Rose」も、ライブ映えして、妖艶なラテンの舞曲のよう。
なんだかお祭り映えするマツケンサンバに似たようなところがあるなぁ、というのは下手な喩えでしょうか。

 

EncoreのラストがFragile( 脆さ, 儚さ )というのもどこかスティングらしい。
夢や希望ばかりではなく、血痕や涙や人間の脆さ、怒りや無念も美しい詩や音楽になる。

ブルータートルの夢、ソウル ケイジ、シンクロニシティ、
つかみはポリスだったが、その後のスティングにはどこか哲学的な変容があると思う。

Sting - Fragile (Live From The Cherrytree House)

くつろいだスタイルで、ギターで弾き語るスティング。
私が取り組んでいるのはギターではなくてピアノの弾き歌いなのですが、
そこにある空気を大切に愛おしんで、音楽と身近にバイブレートし合うような態度やニュアンスを見倣えないものか。

スティングのように、落ち着いた「多幸感」をたずさえていたいと思うのであります。

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