国家戦略室 (アンダーグラウンド)

日本本来の政治、統治、歴史についての研究

戦前の皇道主義と統制主義の誤解

2016年10月18日 | Weblog

戦前の天皇制は複雑ではあるが大きく分けて2種類に分けられる。

国家の枠組みの中に天皇を配置して考える天皇制と・・・天皇機関説

国家の枠組みを超えて、天皇制を考える天皇制・・・天皇主権説

後者の方が極端に見えるだろうが、北一輝、大川周明らの理論は前者であり、美濃部達吉も前者である。

出口王仁三郎といわゆる皇道派は後者にあり、前者は統制である。

統制派に属する永田鉄山は殺害されたが、その部下であった東條英機もまたっ統制派であり、永田がいれば変わったといわれるが、彼は調べると謀略家で、皇道派を陥れたといわれている。

2.26事件は皇道派が仕掛けたといわれているが、その実バックには北一輝ら統制派の論客がいた。

しかしながら当時の青年将校達はこうした理論の違いが結局どういう結果を産むかをしらなかった。

北一輝は出口王仁三郎に協力を求めたが、うまくあしらって返した。

真崎甚三郎の評価が低く、昭和天皇からもうとまれていったようだが、

彼の見識は正しい。

「単身赴任した弘前第8師団長時代には思想問題を研究し、北一輝の『日本改造法案大綱』はロシア革命におけるレーニンの模倣でありそれを基にした国家改造は国体に反する、大川周明の思想は国家社会主義であって共産主義と紙一重の差である、と結論づけた。そして軍人の革新運動への参加は、軍を破壊するだけでなく、国を危うくすると認識し、軍人がそうした思想家に近づくことを警戒していた」

・・・・ウィキペディア

極東裁判でも「証拠の明白に示すところは真崎が二・二六事件の被害者であり、或はスケープゴートされたるものにして、該事件の関係者には非ざりしなり」との評価から無罪になり、釈放された

かれの日記によれば「日本の滅亡は主として重臣、特に最近の湯浅倉平、斎藤実、木戸幸一の三代の内大臣の無智、私欲と、政党、財閥の腐敗に因る」

としている。

木戸幸一については、統制派のトップ東条英機を推挙した人物として有名である。

東條に罪ありとせば、東條を推挙した木戸にも大きな罪があるが、そのことはあまり語られていない。

内大臣に問題があったことを指摘する資料はあまり表面に出てこないが、事実であろうと推察する。

昭和天皇は天皇機関説への批判を理解されなかったという話もある。立憲君主として物事をお考えであればさもありなんである。それゆえ、皇道論者が極端に見え、人選を誤られたともいえる。

人がいないといわれたが、在野には出口王仁三郎のごとき天才がいた。戦略の天才としては石原莞爾もいた。内大臣が人選を誤ったということに尽きる。

石原莞爾は、満州事変を成功させたが、天皇の大局的な判断に反していた。日本は満州事変をおこすべきではなかった。石原莞爾は戦略の天才ではあっても、外交のすべての事情を呑み込んでいるわけではなかった。

 

 

 

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« なぜ国家の機関として天皇制... | トップ |   
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。