スケープゴート

 「シモン・ペテロは、剣を持っていたが、それを抜き、大祭司のしもべを撃ち、右の耳を切り落とした。そのしもべの名はマルコスであった。
 そこで、イエスはペテロに言われた。「剣をさやに収めなさい。父がわたしに下さった杯を、どうして飲まずにいられよう。」
 そこで、一隊の兵士と千人隊長、それにユダヤ人から送られた役人たちは、イエスを捕えて縛り、
 まずアンナスのところに連れて行った。彼がその年の大祭司カヤパのしゅうとだったからである。
 カヤパは、ひとりの人が民に代わって死ぬことが得策である、とユダヤ人に助言した人である。」(ヨハネ18:10-14)

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 イエスは捕らえられた。

 イエスの十字架の道が始まったのである。
 まずイエスが極刑によって処せられないと、この救いの道は拓かれない。
 そのことをイエスは、「父がわたしに下さった杯を、どうして飲まずにいられよう。」と言っている。

 一方、カヤパの言っていることは、こいつをスケープゴートにしてみんなで仲良くしようぜということだ。
 このことは古今東西、よくあることだ。
 実は自分もスケープゴート役に陥ったことがある。しかもそれは非常に長かった。
 そこから抜け出ることができたのは数々の偶然と人との出会いによるが、そこまで忍耐し続けることができたのは聖書とイエス・キリストのおかげ、すなわち「それ」のおかげ以外の何者でもない。
 ちなみに、上に書いたイエスの十字架の道とは、「それ」へと至る過程のことである。

 イエスは御父のため、私たちのために、自ら生け贄になった。
 カヤパは自分たちのために、イエスを生け贄にした。この両者は似て非なるものだ。
 現代のカヤパは、それこそどこにでもいる。
 もし彼らの犠牲者がいたら、必ず先があり、それ以上に恵まれて「それ」に預かると信じてもらえればと、あえて今回は自分自身のことを書いた。

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 健やかな一日をお祈りします!

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