イエスが結んだ豊かな実

 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
 自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。」(ヨハネ12:24-25)

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 しばしば召命の根拠として取り上げられる聖書箇所。
(この用語を忘れていて、あれこれ調べた。)

 ここで大切なことは、イエスが結んだ豊かな実とは何か、ということだ。
 こののちに信徒が著しく増えたということだろうか。
 そうではない。
 イエスが死んでよみがえったことによって、死んでよみがえって救われた数多くの人々。彼らが豊かな実なのである。
 ここでいう「死んでよみがえって」というのは、上の聖書箇所での「自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至る」と同じである。

 だから、私たちは、地に落ちて死ぬことそれ自体を祈り求める必要がある。
 そこがなくては、何も始まらないからだ。
 上の聖書箇所は、転職したい気持ちとはいっさい関係がない。
 だいたいそれは、死ぬどころか、かえって生きようとしているのではないかとすら思われる。

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