神に従うとは

 「そして、イエスはそう言われると、大声で叫ばれた。「ラザロよ。出て来なさい。」
 すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て来た。彼の顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」(ヨハネ11:43-44)

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 神の命によって、死んだ者がよみがえって墓から出てきた。
 死者が神に従っている。
 むしろ、死んで肉を喪失した存在であればこそ、自然の生業に従って神に従った。

 一方、生きている私たちはどうであろうか。
 アダムの末裔である私たちは、神に逆らう性質をこの肉体に宿している。
 神がお造りになった世界、自然に逆らっているのだから、この自然の中で不整合が起こる。
 つまり、罪である。
 神に従うのが本来なので、逆らっては罪意識にさいなまれる。
 ちなみに、神に従うとはどういうことか、ということは、律法の数々に記されている。

 「馬鹿は死ななきゃ直らない」に近いのだが、この不整合もまた、死なないことには救われない。
 では、死んでどうなるのか。
 復活の主イエスによって復活させてもらい、罪赦されるのである。
 罪がなくなるわけではないから、神に従うことができるようになるわけではない。
 ところが、この不整合があるままで赦されるのだ。
 これがイエスの切り開いた救いの道であり、上の聖書箇所でのラザロのよみがえりは、その型である。
 死者は神に従っている。
 生きている私たちが、神に従うことができない。私たちに救いが必要な所以である。

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