神によって生まれるとは

 「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1:11-13新共同訳)

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 私たちはどうしてイエスを信じイエスを受け入れているのだろう。
 それは、神が私たちをそうしてくださったからだ。
 血筋によってそうなったのではない。
 ましてや、自分の意志や努力の類によってそうなったわけではない。
 私がなりたいというのでそうなるわけではないのである。
 私がイエスを受け入れるのではなく、むしろ、私はイエスに受け入れさせられる。
 その過程で、私はイエスによって死に、そしてイエスによって復活する。
 そのことが、「神によって生まれた」ということなのである。

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[一版]2014年 4月29日
[二版]2016年12月18日(本日)

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