写真で綴る想い出

Contar de los recuerdos
del viaje con fotografias

永遠の別れ

2013年03月31日 | 旅行

オペラ鑑賞後、22:30pmからオペラ座裏手にあるホテル・ザッハーで些か遅い夕食となりました。もう遅いし、フルコースにすると時間が掛かるから一皿だけにしようと決めました。ヘルムートがザッハーのターフェル・シュピッツは美味しいよと勧めて呉れたのですが、Saddle of Venisonを選びました。量は少なかったものの、美味でした。怜子は肉続きだったのでDover Soleを選択。こちらはチョット期待外れだった模様。夕食が終わったのは00:30amでした。これで公式行事は終了し地下鉄Hietzing駅からワグナー夫妻はトラムで二駅乗る関係から、我々も一駅付き合って、トラムの中で慌ただしくお別れのキス&ハグをしたのですが、これがヘルムートと永遠の別れになるとは夢にも思いませんでした。

 

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ウィーン国立歌劇場

2013年03月30日 | 旅行

朝9時半にロペルスドルフを出発し、昼過ぎにウィーンに戻りました。この日のプログラムはオペラ鑑賞とその後、夕食で「お別れ」になっており、夕方まで各自ホテルで休息しました。夕刻、ウィーン国立歌劇場に向かいました。出し物は「ドン・ジョバンニ」でした。ホテルで会ったN響の坂本氏に依ると左右にあるボックス席は最前列を除き音が良くないとの事でしたが、幸い我々の席は舞台から見て右手の前から7番目のボックスの2階最前列でした。流石に8人分の席をまとめて確保するのは無理だったと見え、3:3:2に分かれた席でした。写真を撮っていると対面の3階席から手を振っています。ワグナー夫妻だけ見当たらなかったのですが、休憩時間に訊ねると丁度、我々の一つ上の席だとのことでした。

正直言って指揮者、歌手共に知らない者ばかりで、指揮者は30歳の若手でした。眼の前に字幕を表示する液晶が備えられており、ドイツ語と英語を選べるようになっていました。演奏中には携帯の電源を切り、撮影は禁止とありました。日本人が多いせいか、記念に購入したプログラムには二頁だけ日本語での「あらすじ」の記載がありました。

演出は誠に奇妙なものでクラシックな衣装と現代風のものとが混在しています。プログラムに依ると他の歌手たちで昨年から同じ演出で公演されているとあるので、最近の定番なのでしょうか?クラシックはクラシックにまとめて欲しいのですが。然し、最後にオペラを鑑賞出来たのは感謝、感謝。

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最後の晩餐?

2013年03月29日 | 旅行

ホテル・ロペルスドルフに決めるに当ってワグナー夫妻は、此処まで来て5軒のホテルと交渉して決めたと云っていました。交渉して得たパッケージ料金は6泊で朝食付き、夕食は4回、ゴルフが3回、そして3種類のトリートメントが付いて一泊、¥12,500/人程度になります。朝食、夕食共にセルフサービスのビュッフェ・スタイルでしたが、最後の晩だけは食堂の一角に8名の為のテーブルを設け、別メニューのサービス付きでした。食事中に、明日から「カボチャ祭り」が行われるとかで、可愛い女の子たちが勧誘に来ました。色々な賞品が準備されている中で、最も遠くからお祭りに参加した人に与える賞があり、出掛ければ間違い無く貰えたのでしょうが、翌朝9:30amにウィーンに向け出発だったのは残念でした。

 

 

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記念写真

2013年03月28日 | 旅行

ゴルフの最終日にはカップル毎に記念写真を撮って置きました。言語の関係から日本企業に限らず、例えばスペイン語圏に一度駐在すると中々その地域から脱出するのは難しくなります。小生の場合、1976年に北中南米地域担当から、欧州、中東、アフリカ担当に移動があり、「アディオス・アメリカ・ラティーナ」と喜んで欧州を廻っていた時期もあり、ベルギーへの駐在がほぼ決まっていたのが、当時の部長と衝突して、再び南米に逆戻りでした。我々はチリ駐在時に親しくなったのですが、ワグナー夫妻もモレナー夫妻も共にメキシコから廻って来ました。ウェルハールト夫妻もブラジルからですので、何れもラテンを巡っていた訳になります。

 

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ホイリゲ

2013年03月27日 | 旅行

夕食はホテルから山道を登った処にあるホイリゲでした。Heurigeは元来「今年の」と言う意味で、11月11日に解禁される新酒(殆ど白ワイン)をジョッキで飲みながらハム、ソーセージや肉の類をつまむのがスタイルの居酒屋です。余り知られていませんが、オーストリアのワインは結構、美味しいものがあります。ローマ軍が侵攻して来た時に、ワインの余りの素晴らしさに「Vindobona」即ち「美味しいブドウ」と呼んだことからウィーンの古い名前は由来しています。高校生の頃に使った吉川弘文館の世界史地図を見てもローマ帝国時代のウィーンはヴィンドボナと記載されています。ホイリゲでは自家醸造所でつくったワインのみを提供するのが決まりです。ワインには造り手の考えが反映されるので、当然、ホイリゲ毎に味わいが違い、それに依り、贔屓の店が決まってくる訳です。ホイリゲで有名なのはウィーン郊外のグリンツィングで、ホイリゲが軒先を並べており、ウィーン中心部からも近いこともあって観光客が大勢押しかけます。96年に初めてウィーンを訪れた時にはヘルムートが急にリンツへ出張となったので、バーバラが連れて行って呉れました。地下鉄とトラムとを乗り継いで行きましたが、ワインを「がぶ飲み」するのですから、車では行けない場所です。彼等の馴染みの店はラインブレヒトで、「地球の歩き方」にもこの店は紹介されています。

ホイリゲに似た居酒屋はウィーンだけでなく至る処にあります。正確に言うとホイリゲと名乗れるのはウィーンだけで、南のシュタイヤーマルク、ブルゲンランドなどでは「ブッシェンシャンク」(Buschenschank)と呼ぶのが正しいとの事。従って、この夜行ったのはブッシェンシャンクである訳です。未だ新酒が解禁されていない時期なので瓶入りのワインでした。店の勧める肉料理の盛り合わせを注文しましたが、久し振りに「血のソーセージ」を食べました。南米では一般的ですが・・・

趣向は食べ終わってからでした。ヘルムートが何やら包を持っているとは思っていたのですが、中から取り出したのは「松明」でした。これに灯りをつけ暗い山道をホテルまで下ったのです。ホテルに戻ってみると入口に水の入ったバケツが準備されていたので、ホテル側が常備しているのでしょう。街灯が一つもない真っ暗な山道には必需品ですから・・・

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フュルステンフェルト

2013年03月26日 | 旅行

午後からはヘルムートが生まれ育ったFürstenfeld (フュルステンフェルト)に行きましたが、生まれ故郷の筈なのに何故かガイドを頼んでいました。ガイドはドイツ語で、しかも早口で喋るので、大学時代に第二外国語で学んだ程度の語学力では判りません。ヤープに「判るか?」と訊くと、「判るけど、余りに早いので、傍らから抜けて行く・・・」と結局は理解していませんんでした。普通のドイツ語会話には不自由していないヤープが理解出来ないのなら、懸命に聞くのも意味ありません。

ガイドと落ち合った教会

何かの博物館でしたが理解出来ませんでした。

最後に行ったのがFürsten Bräuという地ビールの醸造所でした。

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ホテル周辺の散歩道

2013年03月25日 | 旅行

午前中は自由行動の日だったのでホテルの周辺を歩いて見ようとレセプションで、ルート図のようなものがないか訊ねると10ほどのコースとその説明が記載されているリーフレットを呉れました。長いコースは20Kmもありますが、その中からHotel Round 4.5Kmというコースを選んで歩きました。それでもアップ・アンド・ダウンがあり、結構な散歩でした。一旦、我々が宿泊しているホテルの近くまで戻ったのですが、更に西側に道をとると其処には数軒のホテルがあり、其処に温泉の源泉がありました。付近の駐車場には数多くの車が駐車されており、かなりの宿泊客が滞在している印象でした。

ルート上には、このような小さなホテルが幾つもありました。

またルートにはこの様な標識が曲がり角にあり、間違うことはありません。

オーストリアはカソリック国ですが、この様な礼拝所とでも言う様な建物がありました。

此処が温泉の源泉のある場所で、その周囲には幾つものホテルがありました。

 

 

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ゴルフ

2013年03月24日 | 旅行

ゴルフ場のグリーン・フィーはホテル代に入っているので、プレーをしないと損をしますが、仕方がありません。別途、払わねばならないのは、電動カート代(E20.-)とレンタル・クラブ代(E20.-)です。以前はクラブ持参でしたが、今回はザルツブルクに立寄ったので荷物を減らす為に怜子にはレンタルで我慢して貰いました。

ポプラの木を撮っていると、そんな何処にでもある珍しくもない木を撮ってどうするんだと云われました。美瑛の赤羽の丘を思いだして撮っていたのですが。

昼食後、テーブルにあったカードのGrossmutter’s Waffelnはどんな物か訊ねると「此処に来たら一度は食べなければ駄目よ。注文すればどんなものか判るから」と云われ食べたデザートです。

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フンデルトバッサー

2013年03月23日 | 旅行

夕食は著名な建築家フンデルトバッサーが取りまとめたファシリティにあるレストランHundertwasser Rogner Bad Blumauに行きました。どの様なファシリティかは模型があったのを撮りましたのでご覧願います。生まれて初めてラムのTボーン・ステーキを食べました。Tボーンは牛だけかと思っていました。サイズは小さかったものの、子羊の香りがした美味しいものでした。生来、食いしん坊で食べたいものが出てくると直ぐに食べてしまう悪い癖が出て、肝心のラムのTボーンは撮りませんでした。

形状の面白い建物が幾つかあったのですが、高感度性能が劣るバカチョン・カメラでしたので、一枚だけでした。

 

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観光へ

2013年03月22日 | 旅行

続いて行ったのはGüssingという町でしたが城を遠望しただけで通過し、Kukminに向かいました。

此処は世界で10本の指に入ると云う蒸留酒製造工場があり、見学・試飲をしました。こういう場合、アルコールに弱い者は辛いものがあります。欧州だか世界のコンクールで金賞を何度も獲得したとの説明で、金メダルが幾つも飾られていました。

 

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Maria Bildへ

2013年03月21日 | 旅行

この日はゴルフは休みで、観光に出掛けました。最初に訪れたのはMaria Bildと言うキリスト教伝説の村でした。言い伝えによると農夫が木にかかっていたマリアの絵を見つけ、持ち帰った処、一夜明けると絵が無くなっていたそうです。絵を見つけた木の処にもう一度行ってみると、絵は木にかかっていたので、再び持ち帰り家に飾りました。然し、翌朝、また絵がなくなっていたので、再度、絵を見つけた木に行って見ると其処にあったとの由。此処に教会を造れとのお告げと考え出来たのが現在の教会だと云います。

祭壇にはその時見つけた絵が掛かっており、天井にはどのような形で絵が発見されたかが描かれていました。ポルトガルのファティマ伝説などと同様、良くある話です。

教会の裏手には墓地がありましたが、何処の墓地を見ても綺麗に花で飾られ、また墓石自体も金文字などでペイントされ、墓地という暗い雰囲気が全くありません。

此処はハンガリーとの国境から2Kmほどですが、第二次世界大戦には、この村から出征し戦死した方々の墓標が別にあり、氏名が石に彫られていました。数えてみると19名でした。

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ゴルフ場

2013年03月20日 | 旅行

歩行には支障はないのですが、ゴルフで捩じった状態で体重がかかると悪化する可能性があるので、小生のみがゴルフは見学になりました。ゴルフ場には何故か古い大砲が飾ってありました。また何本かのポプラが生えていたので、天気の良い日に撮ってみようと思っていました。

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チョコレート・マッサージ

2013年03月19日 | 旅行

三日目はチョコレート・マッサージでした。これまたG-stringだけでベッドに仰向けになると、足の指から、太腿へと暖かいチョコレートを垂らしながらマッサージをするのです。然し、チョコレートにしては何故かザラザラしているので訊いてみると、ザラメ砂糖を混ぜてあるのだそうでした。初日の岩塩も今回の砂糖もザラザラするもので、皮膚の表面にある余計な老廃物を除去うるのだとの説明です。チョコレートの温度は38度程度のこと。熱ければ温度を下げると言うので「適温」と応えて置きました。身体の前も後ろもチョコレートだらけになって充分、マッサージをして貰った後、身体中がチョコレートまみれになった侭、再び仰向けにされ、横たわったのはwaterbedでした。大きなタオルで全身を包まれ、どう言う仕掛けになっているのか判りませんでしたが、身体が沈んで行き、waterbedで身体全体が包まれます。暖かく感じましたがwaterbedの温度を36-7度にしてあるとかです。約30分間チョコレート蒸しにされ、シャワーを浴びるように言われ、隣りのシャワールームで身体中についたチョコレートを洗い流しました。

新しいG-stringを渡され再び穿き、部屋に戻るとチョコレートまみれだったシーツは新しいものに代わっていました。再び横になるとまたチョコレートを垂らしマッサージが始まります。今度は極めて滑らかなチョコレートで砂糖抜きのカカオバターが多くなっている由。全身マッサージが終わるとバスタオルで身体についたチョコレートを綺麗に拭います。終わったのは19時頃でしたが、マッサージ効果が減るので22時まではシャワーを浴びてはいけないと云われ、全身からチョコレートの匂いがたったまま、20時からの夕食に参加しました。前日にチョコレート・マッサージを受けたヤープは記念になるからと写真を撮って貰った由でしたが、自分がマッサージを受けている写真はないので、ホテルにあったポスターを写したものを貼り付けます。尚、アントンはチョコレートを舐めてみたが美味くなかったとのことでした。どうやら今回手配されたトリートメントのコースはご婦人方には好評だったようで来年も此処に来たいとの意見が多くありました。

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ペディキュア

2013年03月18日 | 旅行

ゴルフを3回に減らした代償にホテルと交渉してトリートメントの予約を入れたとの事で、初日に我々に割り当てられたのは何とペディキュアでした。マニキュアだってした事がないのに一体何故ペディキュアなのか良く判らない侭、指定されたフロアに赴きました。まあ、言ってみれば、膝から下のマッサージと足の爪の手入れでした。美容院にあるような椅子に坐らされ、何やらザラザラしたもので膝から下をマッサージして呉れます。ザラザラするのは何かと訊ねると岩塩だとのことでした。その後、お湯に何かを入れ足首まで浸かり、爪を柔らかくしてから、色々な液体をつけ、爪をカットしてお終いでした。

写真は図書室の様な待合室です。

翌日はSPAマッサージとAlpha Loungerでした。SPA中心のホテルである関係から部屋にはバスケットにバスローブや大きなタオルが準備されていて、それを着てマッサージ・フロアに行きました。裸になれと言うので、バスローブを脱ぐと、穿いていた海水パンツを脱いで、これに替えろと出されたのはG-stringでした。ベッドに横になると足から始まったが、かなり力を入れるので痛い位でした。一時間ほどジックリと揉まれスッキリした処で、別室に案内され、腰の部分が低くなり、頭と足が高くなっている大きな寝椅子の様な処に仰向けに寝ろと言うのです。もうこの時はバスローブをまとっています。薄暗い部屋でどうも寝椅子にスピーカーが埋められていて耳元から音、声、音楽が聞こえて来ます。何やら宇宙空間を漂っている感じと思っていたら、女性の声で囁いているのは日本語でした。良く聞き取れない部分が多かったのですが、「深く、深く沈んで行きます」とか「満天の星の間を漂って・・・」と云ったようなことでした。これにシンセサイザーの音や音楽が交互に流れます。約30分で宇宙遊泳は終わりました。日本語バージョンは我々だけだったのかと思って、仲間に訊ねると「何か言っていたが意味は全く判らなかった」とのことで、「あれは日本語だったんだよ」で一同納得。日本で作られた機器だったのでしょうか。

 

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スパ

2013年03月17日 | 旅行

SPAを売り物にしているだけあって幾つものプールがありました。所謂、温水プールと同じで泳ぐことの出来るものもあり、通常は水着を着て入るのですが、一カ所だけ男女一緒に全裸で入る処もありましたが流石、写真は撮れません。この写真にはSPAを楽しんでいる人が写っていませんが、此処が全裸でないと入れない建物です。尚、この写真は朝焼けを撮ろうと早朝に外に出た際に撮ったものです。テラスに寝椅子が並んでいますが、日中見たところタオルを纏って横になっていました。

 

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