吉田屋のブログ。「新・自給ライフ研修旅館」を発信します!

「ミニマム」でいい「持続可能」であれば。あの日からそんなふうに思う。笑いながら汗を流し、ドンと構える社会を掴みたい。

アンポーちゃんから感じたアジアの勢い

2012年05月28日 | 新・自給ライフ旅館・吉田屋


CWA(Community work for Asia, http://www.waa-bc.com/ 大女将の山根多恵が代表をしている国際組織です)カンボジアのメンバー、アンポーちゃんの日本でのワークショップが終了しました。若女将、吉谷めぐみは、今回アンポーちゃんの日本滞在中のパートナー役を任命されました。彼女の仕事に対する誠意とカンボジアの村人たちの生活をどうにか良くしたいという気持ちがダイレクトに感じられたひと月でした。

初めて会った時の印象では、か弱いイメージがあったので楠での生活、畑仕事や連休中の旅館のハードワークに耐えられるのだろうかと心配もありました。

しかし、カンボジアチームのリーダーであるデンくん曰く、彼女と私は「strict and strict」。始めはこれが信じられなかったのですが、カンボジアの情勢や歴史的背景、村人たちとの問題、そして子供たちの教育について話す彼女の真剣な顔には揺るがない核があるように思えました。また、一緒に仕事をして私も旅館モードになって接した時、彼女も仕事モードに火が付いたようで、私が教えていないことでも私たちの動きを見て次に何をすべきなのかを彼女なりに考え働くようになりました。

いろいろなことが一気に1ヶ月起こった結果、遂には彼女の体に異変が起こりました。じんましんです。初めての海外生活、食生活の違い、自分一人だけ休むわけにはいかないという気持ちが伝わってきましたが、熱い想いを持った彼女を何とか説得し、休ませ、体力も回復しました。
彼女は大学4年生で、今年の秋卒業です。日本の大学生とは比べものにならないなと思いました。私も彼女に啓発されるようにカンボジアに対する気持ちも高まり、どうにかカンボジアのプロジェクトに役に立ちたい!と必死になりながらサポートしてきました。彼女の熱い眼差しを心に刻んで私の仕事に対する意欲の糧にしたいです。

以下、アンポーちゃんの感想をぜひ紹介させてください。

1ヶ月、日本で過ごす機会を与えていただきました。今回の来日の目的は、まずカンボジアでのプロジェクトを発展させるということと、そのために日本人のメンバーとどのように活動していけばいいのかを学ぶことでした。また同時に、どんな製品を作るべきか、どんな製品が日本のニーズを満たせるのかも知りたいと思いました。4月15日、私は日本に着きました。日本は天気がよく、美しい国で、本当に素敵な旅をさせてもらいました。すべてが初めての経験であり、CWAのメンバーそして日本の人々から多くのことを学ぶことができました。

Ryokan(旅館)は日本の伝統的な宿泊施設です。旅館の営業日は、週末のみ。特に今回はゴールデンウィークが重なったため、利用客は日ごろの仕事の疲れを癒しに来ていました。そのため私が仕事に加わっていた間も、とても忙しかったです。さらに私にとって難しかったのは,食事の支度や、浴衣、客室の片づけ、お茶の出し方などの日本の伝統文化や作法でした。日本人メンバーの方々がそれらを私に一つ一つ教えてくれ、また彼らも懸命に働いていました。

旅館はお客さんだけでなく、地元の農家の人や日本人メンバーにとってもとても良い場所です。なぜならこの旅館の運営は,単なるビジネスとしてやっているわけではないからです。ここは様々な人が集い、学び合う場所であり、例えば農家の人は、ここで自分が育てた野菜を売ることが出来ます。今私の課題であるコミュニティの魚をどう生かすかについても日本人メンバーと挑戦し、魚パウダーを完成させました。皆でお互いの伝統的な食べ物や習慣を紹介し合ったりもしました。

旅館で様々なことを学んだ後、私はふと、私もSombor Prie Kuk遺跡(プレアンコール時代、7世紀ごろのカンボジア国内にある遺跡)周辺でレストランを始めたいと思いました。CWAや多くの若者、村の人々にとって、そこで働けるようになることはとても重要なことです。さらに、農家の人々や若者は自分の育てた肉や野菜をレストランで販売できるようにもなります。今、村では多くの人々が仕事を求めて他の場所へと移り住んでいると聞きます。私は彼らの村に、働く場所を作りたいと思っています。

今回の研修の中で、カンボジアプロジェクトで抱えていた課題がすべて解決されたわけではありません。しかし、主な構想はつかむことができました。私自身も日本で多くの知識を得ることができましたので、これらを活かしながらカンボジアで活動を続けていきます。

日本で暮らす1ヶ月間、私は何事も1人で取り組んでいかなければならないと思っていましたが、これは私個人の挑戦ではなく、日本のメンバーの挑戦でもありました。皆さんが親切に協力してくれるということが何よりも嬉しかったです。逆に、私が思うように働けなかったことが申し訳なくて、もどかしいです。50%ぐらいしか動けなかったと思います。

私は本当に日本の素晴らしい方々にたくさん出会いました。皆さんとても親切で、私を励ましてくれました。ホームシックにはなりましたが、私は皆さんから温かさをもらいました。特にお世話になった旅館吉田屋の若女将・吉谷さん・脇さん、本当にありがとうございました。

最後に、皆さんがこれからもこのプロジェクトに関わってくださること、そしてカンボジアの発展のための信頼が続いていくことを願っています。
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〜アジアより〜 大女将のコラム

2012年05月27日 | 地域維新グループな出来事
地元新聞 山陰中央新報の 大女将のコラムです。5月24日(木)に掲載されました。

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私のアジア拠点の一つ、カンボジアで先日アジア人に出会った。Tシャツにどかーんと「がんぱっぺ女川」の文字。これは被災地に来てくれたに違いない、と話しかけた。

彼は世界中を飛び回る船乗りで、高校を卒業する息子がいるブルネイ人アーウィンさん。東日本大震災が起きた昨年3月11日、彼の船はたまたま韓国に停泊。そこで、日本の被災を知った。こんなに近くにいるのに我々が行かなくてどうする。船長がこう判断し、船員全員で被災地に。現場に着いたのはなんと2日後の3月13日。そこから30日間、泥まみれになりながら、被災地の復興に携わったという。私たちのチームが陸路で現場にいったのが被災の1週間後だから、それより早い行動を海路からアジアの人たちがとってくれていた。しかも2日後といえば、情報も混乱し、大きな余震もまだ続き、津波の心配もあった頃だろう。

今年4月から岩手県宮古市に「地域ステーション宮古」という事務所を開設した。復興のために必要なのは仕事である。特に女性たちの仕事づくりだ。この1年私たちは、津波で流された海産加工場の資金「トラスト(購入予約)」を5日間で200万円集めた。商品ができたら送ってもらう。また最近ニュースにも取り上げられている避難所で始まった編み物を通じた仕事作り「ソーシャルニットワーク」には450万円が集まり、50人の仕事作りをしてきた。風評被害にもめげずに立ちあがる岩手県の農家を取材し、観光資源につなげる「観光カード」を吉田屋のノウハウで創った。生産から販売までのネットワークを作り、発展させる。

宮古の事務局長には、震災後から寝袋ひとつで横浜から被災地にボランティアで出かけていた20代の守井美穂さんに社員としてなってもらった。もちろん宮古に住む。連休中は吉田屋に来て研修もした。さらに島根や山口で活躍する女性事業家に出会う機会も作った。今彼女は、中国地方で活躍する女性と被災地の女性をつなぎたいと考えている。必死で説明する彼女の想いが事業家を動かし、食と農をテーマに、被災地産の原材料を活用した商品開発プロジェクトが立ち上がった。

アーウィンさんは宮古でも復興活動をしたそうで、次は仕事作りが鍵だと熱弁する私の話をじっと聞いてくれた。最後に、「僕が応援にいった被災地の人々が新たな挑戦として始めたそのニット商品を買いたい。船長にも話したい。どうしたら購入できる?」といわれ、メールアドレスを交換した。

地域を軸に、だけど地域の枠を越え、国境の枠を越えた人々が、熱いエネルギーを持って動いている。このエネルギーが語られ、共感されることが、また新しいチャンスときっかけを地域で産み出すのだと思う。
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研修旅館吉田屋企画  〜自給力を身につけよう!粘土の採取から陶器作り〜

2012年05月05日 | 新・自給ライフ旅館・吉田屋
日本の石見焼きとカンボジアのクメール陶器で「アジアの新陶芸」に挑戦!
大田市温泉津町温泉津イ707−1 旅館吉田屋 担当:若おかみ・吉谷めぐみ
5月6日(日)石見焼窯元桝野窯にて研修

 私たちの旅館では、玄関やお風呂の屋根の上、客室から見える山肌の途中、あちこちにソーラーパネルを設置しています。
 それらを見て関心を寄せるお客様も多く、東北の大地震で意識が変わり化石燃料に頼る生活に不安を覚えているお客様が増えたように感じます。
 本来ならばガスや灯油に頼らず電気も自給して完全な自給旅館を作りたいところですが、お客様をお迎えする手前、なかなかそうはいきません。
 しかし、ご宿泊するお客様へ自然エネルギーを生活に取り入れる工夫を提案したり、一緒に自給できる知恵や技術を学ぶことができます。
 ただ泊まるだけではなく自分たちで「生きる力」を培える旅館を目指しています。
 旅館吉田屋がある島根の石見地域には、赤瓦と‘はんど’という水瓶で有名な石見焼きがあります。
 ‘はんど’は江戸時代後期から明治時代にかけて「海のマーケット」と呼ばれていた北前船で塩や穀物などの保存食を運ぶために使われていました。
 石見地域には、最盛期には100軒を超える窯元があったそうですが、プラスチック製品の普及などで廃れてしまい、今では10数軒しか残っていません。
 プラスチックの原料は石油資源なのに対し、陶器の原料は山から採取できる粘土です。
 自然にあるもので作れる陶芸の技術は、「生きる力」が試されるこれからの時代で必要なものだと思います


カンボジアのねんどを乾燥させたところ

 カンボジアの農村では、食べ物はもちろんのことセルフビルドで住居も建ててしまうほど、生活するのに必要なものは一から何でも自分たちで作るのが当たり前です。
 そんな自給力が強いカンボジアから、焼き物に付加価値を与えた商品を考え、現地の仕事づくりに挑戦する女の子が来日します。
 カンボジアの焼き物の歴史を見ても、クメール陶器が中国やインドから伝わってきたという説があることから、アジアの繋がりを感じます。
 日本の陶芸の技術を学び、カンボジアへ持ち帰り、カンボジアの陶芸の技術の向上や仕事づくりにもつなげます。
 今回の講習会ではカンボジアから持ち寄った粘土で陶土を作り、食料を保存するために使われていたであろうクメール土器を石見焼きで再現します。
 日本とカンボジアの文化を融合させた新たな陶器を一緒に作りましょう!

■日時:5月6日(日)13:00〜15:00
■場所:石見焼の桝野窯さん(住所:島根県江津市渡津町1930-2)
■特別ゲスト:
カンボジアから来日しているCWA(Community Work for Asia)メンバーのソバナ・アンポーさん
■内容:カンボジアから持ち寄った粘土を使い、粘土から陶土を作る方法と陶器の焼き方などの技術を江津市渡津の桝野窯・升野茂さんから学びます。カンボジアの陶芸文化をアンポーさんからも話してもらいます。石見とカンボジアの土を合わせてクメール土器を再現させます。
■ お問い合わせ・申し込み:
旅館吉田屋 メール;yoshidaya@lets.gr.jp
■ 電話;0855‐65‐2014
080−5750−6804 吉谷めぐみ


カンボジアのねんどを砕いて陶土づくりに挑戦中のアンポーさん
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今アジアに飛び出そう!@大おかみ松山大学講演

2012年04月15日 | 新・自給ライフ旅館・吉田屋
4月18日(水)四国・松山大学にて、大おかみ山根多恵が講演をします。
もうかれこれ6、7年、毎年この時期にこの講義に呼んで頂いていますが、「ベンチャービジネスと市場」という共通科目の講座です。
時間は12時30分〜14時。

一般の方も聴講可能だということなので、四国に住んでいらっしゃる方で、興味のある方は松山大学、もしくは吉田屋までお問い合わせください。

タイトルは、、「今アジアに飛び出そう!」。

カンボジアで貧しい村の仕事作りに取り組み、地域の仕事作りという視点で吉田屋と交流するために日本に来日するソバナアンポーちゃんも、特別ゲストとして講義の中で話してもらう予定。ネット環境がよければ、吉田屋チームもスカイプを通じて講義内で発表をします。

どうぞ、お楽しみに!
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アジアで働く 〜大女将のコラムより〜

2012年04月14日 | マスコミ・雑誌掲載情報
4月5日付、地元新聞・山陰中央新報「いわみ談話室」の大女将のコラムです。

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 昨年の東日本大地震が私自身の立ち居地を見直すきっかけになった。
 当時、3月決算の私の会社の売上高が四捨五入してだが2年連続で億になり、本当の1億円企業も現実味を持っていた。
 この余剰を更に売上増の投資に回すか、社会のために使うか。
 震災で多くの援助が世界から届き、私自身も被災地での仕事づくりに携わる一方、放射線物質を撒き散らした世界からの批判を肌で感じていた。
 世界遺産として世界の窓口になった温泉津に住む私には世界視点で考える癖がついていたのだろう。
 私が蓄えた余剰をアジア、世界の仕事作りに先行投資しようと決めた。
 私は社長を譲り退任し、大女将となった。
 継承した若い吉田屋スタッフも私も、田舎とアジア、ゼロからのスタートで協働・競争している。
 価値づくりの点で私が一歩リードしているが、私の背中を見て後継者にも頑張ってほしい。

 アジアに本格的に居を構え、三ヶ月。
 今、人口約600万人のビルマでこの記事を書いている。
 鎖国の事実が発展した街を失礼ながら想像していなかったが、首都ヤンゴンは高層ビルが立ち並び、緑も寺院も大変美しく、都市計画のある美しい街だった。
 そこから1時間半のコミュニティが私のフィールドだが、そこでは今、補欠選挙を目前に控えている。
 路上屋台ではスーチーTシャツが至る所で売られていた。
 村の主婦も「スーチーさん、村にもう3回も来たのよ、彼女の時代が来たわ」と笑顔だ。
 ヤンゴンではスーチーさんのお宅を確認しに行ったのだが、彼女の属する政党の監視車が一台地味に止まっているだけで、静まっていた。
 以前は軍の戦車が道路を半分塞いで監視していたと言う。
 吉田屋経営で培った私のコミュニティビジネス論で大学の授業や企業での講演も多い。
 それが今、アジアで役立てられることは嬉しい。
 ビルマに行こうが、どこに行こうが、村人と同じ食事をし、寝泊りし、地域に仕事を作り出す。
 しかし、アジアでの仕事作りを通じて何が日本と決定的に違うと感じるかといえば、2015年から始まるASEAN共同体構想に向けた熱気だ。
 アジアはひとつになる。
 そんな期待感が海外からの投資や、私と活動する若者に夢をもたらしている。
 アジアスタッフは10人を超えたが、カンボジア人スタッフは、熟練労働者・専門家の移動が始まり、優秀な人材が自分の国から離れていくことを心配し、だからこそコミュニティの現場で力をつけようとしている。
 弱いものは、とかく、激動の犠牲になる。
 だから、小さくても地盤を固め、自立できるビジネスを作りだそうとしている。
 世界の流れを鳥肌が立つほど感じるアジア人を日本でもアジアでも増やすのが、私が日本の地域に育ててもらったことへの恩返しだと思う。
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