今回の復興は、神様、仏様の言うことを聞いて進めないとできません。(自然)を神様、(歴史、先祖、死者)を佛様となぞらえるのは無理筋であるのは分かっています。
私は上野動物園と美校に挟まれた、都立上野高校卒業です。学区は隅田川まで浅草方面です。正に3月10日の東京大空襲の戦災地です。上野の山から浅草まで見通せました。被災10日後に父に連れられて通過しました。父は学童疎開で私一人助けるよりも、家族全員で死ぬことを選択しました。
爆撃は先ず四周を焼夷弾で爆撃しました。米軍は爆撃範囲を示す為としていますが、爆撃される方から見れば、四周の退路を断たれました。その後たすき掛けに325機のB29が6tづつ焼夷弾を搭載して1800t投下しました。さらに爆撃後に粘着性のあるグリースのような油脂を散布して延焼を完全なものにしました。人の体に付着するとケロイド状の火傷になりました。役割を終えた護衛戦闘機は、その後逃げ回る非武装の人達に機銃掃射を加えました。対航空機用の大口径の弾丸でしたので、人々の体は四散しました。
被災地の光景は南三陸町どころではありませんでした。南三陸町では破壊された木造建物の柱、梁、屋根、木片が積み上がっていましたが、戦災地に木片すらありませんでした。全て焼き尽くされていました。人間の体は殆ど水分ですから、焼死体は形が残り散乱していました。
同級生やその家族から話を聞きました。上野の山に逃げ上がった人達は、紅蓮の炎を上げる自分の町を見て、炎を映して低空を飛ぶ真っ赤なB29を見て、家族を喪った悲しみと共に、自分が助かったことを奇跡だと思いました。神佛が助かれと命じたと感じました。死んで当たり前、助かった理由が見つかりませんでした。亡くなった方の分も生きて復興をするのが亡くなった方への供養と考えました。
南三陸町の被災をいろいろな方に聞くと、悲劇が沢山起きています。最後に妹の手を放してしまった。「お兄ちゃん。」と呼ぶ声を聞きながら、目を見交わしながら助けることが出来なかった。ここは大丈夫だと言うから、無理に避難させなかったおじいちゃんは、坐椅子に座ったまま流されて行った。車椅子を押して逃げていたら津波に追いつかれた、気がつたら自分だけ瓦礫の上に打ち上げられていた。車で避難中に、歩いているおばあちゃんを追い越した。直後に津波が襲った。
この助かった方々は、皆さん「一寸早く逃げ出していれば。声をかけていれば。無理にでも連れて行けば。」とご自分を責めておいでです。「私の所為で家族を友人を近隣の人を、死なせてしまった。」とお考えです。
その話を聞いて慰める地域の方々も、自責の念を共有しておいでです。
助かった方が、自分が助かったのは奇跡だと感じられるか、自分が悪かったと感じられるかは、大きな違いがあります。三陸の方々は原罪のような意識をお持ちです。戦災とも原発被災とも、違います。
神様、佛様に導かれた復興事業でなくては、復興は成就出来ません。
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村山 和彦 murayama@seaple.ne.jp http://www1.seaple.ne.jp/murayama/
ピーナッツクラブ事務局090-4702-8082
ピーナッツクラブ西千葉 http://blog.goo.ne.jp/amigo-kaiho/
東北のまちづくり、村おこしに(株)都市整備 http://www.toshi-seibi.com/
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私は上野動物園と美校に挟まれた、都立上野高校卒業です。学区は隅田川まで浅草方面です。正に3月10日の東京大空襲の戦災地です。上野の山から浅草まで見通せました。被災10日後に父に連れられて通過しました。父は学童疎開で私一人助けるよりも、家族全員で死ぬことを選択しました。
爆撃は先ず四周を焼夷弾で爆撃しました。米軍は爆撃範囲を示す為としていますが、爆撃される方から見れば、四周の退路を断たれました。その後たすき掛けに325機のB29が6tづつ焼夷弾を搭載して1800t投下しました。さらに爆撃後に粘着性のあるグリースのような油脂を散布して延焼を完全なものにしました。人の体に付着するとケロイド状の火傷になりました。役割を終えた護衛戦闘機は、その後逃げ回る非武装の人達に機銃掃射を加えました。対航空機用の大口径の弾丸でしたので、人々の体は四散しました。
被災地の光景は南三陸町どころではありませんでした。南三陸町では破壊された木造建物の柱、梁、屋根、木片が積み上がっていましたが、戦災地に木片すらありませんでした。全て焼き尽くされていました。人間の体は殆ど水分ですから、焼死体は形が残り散乱していました。
同級生やその家族から話を聞きました。上野の山に逃げ上がった人達は、紅蓮の炎を上げる自分の町を見て、炎を映して低空を飛ぶ真っ赤なB29を見て、家族を喪った悲しみと共に、自分が助かったことを奇跡だと思いました。神佛が助かれと命じたと感じました。死んで当たり前、助かった理由が見つかりませんでした。亡くなった方の分も生きて復興をするのが亡くなった方への供養と考えました。
南三陸町の被災をいろいろな方に聞くと、悲劇が沢山起きています。最後に妹の手を放してしまった。「お兄ちゃん。」と呼ぶ声を聞きながら、目を見交わしながら助けることが出来なかった。ここは大丈夫だと言うから、無理に避難させなかったおじいちゃんは、坐椅子に座ったまま流されて行った。車椅子を押して逃げていたら津波に追いつかれた、気がつたら自分だけ瓦礫の上に打ち上げられていた。車で避難中に、歩いているおばあちゃんを追い越した。直後に津波が襲った。
この助かった方々は、皆さん「一寸早く逃げ出していれば。声をかけていれば。無理にでも連れて行けば。」とご自分を責めておいでです。「私の所為で家族を友人を近隣の人を、死なせてしまった。」とお考えです。
その話を聞いて慰める地域の方々も、自責の念を共有しておいでです。
助かった方が、自分が助かったのは奇跡だと感じられるか、自分が悪かったと感じられるかは、大きな違いがあります。三陸の方々は原罪のような意識をお持ちです。戦災とも原発被災とも、違います。
神様、佛様に導かれた復興事業でなくては、復興は成就出来ません。
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村山 和彦 murayama@seaple.ne.jp http://www1.seaple.ne.jp/murayama/
ピーナッツクラブ事務局090-4702-8082
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