ギリシャへ そして ギリシャから From Greece & To Greece

ギリシャの時事ニュース、文学、映画、音楽がよくわかる
ギリシャの森林再生を支援する『百年の木の下で』の公式ブログです。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

ΜΑΡΤΗΣ 三月のブレスレット

2015-03-01 | ギリシャから

3月になると赤と白の糸で作ったブレスレットをつけている子どもをギリシャではたくさん見かけます。子どもだけでなく大人の女性も、男性もつけている人がいます。

これはΜΑΡΤΗΣ マルティス、またはマルティッツァと呼ばれるお守りのようなもので、ギリシャだけではなくて、ブルガリア、ルーマニア、マケドニア、モルドヴァでも見られるという早春の習慣です。

3月1日に作って左手首または両手首につけ、糸が自然に切れるまで、つけたままにします。もし自然に切れなくても、3月31日には外します。 

なぜ赤と白なのか、そもそもなぜ、つけるのか、様々な人に聞いてみましたがはっきりした答えは見つかりませんでした。

3月に四旬節や復活祭があることから、赤はキリストの血、白は断食を象徴するという人、いや、キリスト教以前の習慣で春の到来を祝う意味なのだという人、春の強い紫外線から肌を守るようにきをつけろという古い知恵なのだという人もいました。

作り方は映像で紹介しているように赤白の糸をねじっただけのものです。凝った造りのものもありますが、ミティリーニでは、自然に切れたほうが縁起がいいから、あまり太く強い糸で凝って作らない方が良いと教わりました。それもミティリーニだけの習慣かもしれません。

今日の東京地方は冷たい雨ですが、春を待つ気持ちで作って早速つけてみましたよ。春よ早く来い!

簡単ですので皆さんもやってみてはいかが。

 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

プラカの橋

2015-02-03 | ギリシャから

土曜日曜にかけてアルバニアからギリシャ北部は大雨と洪水に見舞われました。

悲しいことに有名なΗΠΕΙΡΟΣイピロス地方にあるΠΛΑΚΑプラカの石橋が洪水に流されてしまいました。

この橋は約150年前、18世紀に建築された優美で壮大な太鼓型の橋で、高さは実に20mもあり、人気の観光スポットでもありました。

写真 alekosdigital.blogspot.gr

バルカン半島に残るオスマン建築物の中でも高度な土木建築技術を表す代表的な例のひとつでした。

上の動画の一番最初に出てくるのがプラカの橋です。イピロスの音楽ビデオを探すと必ずと言っていいほどこの橋が登場するのです。イピロス地方の民謡によく出てくる「美しい橋のような君の眉」というフレーズがあるのですが、それはこの橋のことを言うのだろうなぁと想像していました。残念でなりません。

イピロスはギリシャの中でも独特の音楽、舞踊を伝える豊かな文化を持つ地方です。

写真 Holiday.gr

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

イタリアの中のギリシャ

2015-02-01 | サランダ・40年

私がギリシャを愛する最大の理由はその言語と音楽でしょうか。そしてそれを生み出した人々。なぜそれほど、惹かれるかというと、言葉と音楽は、その人々の哲学と風土と歴史と涙と情熱で創り上げられた、人間としての根元に深く根ざすものだからです。

夏のギリシャでは音楽や民族舞踊のステージがよく開かれます。 彼らとの出会いは2005年のスペツェ島。日が沈んで、午睡から目覚めた人々がブブリナ広場に集まってきました。広場の舞台では、5人のバンドが演奏していました。涼しい夕風に運ばれてくるそれは何か不思議な音感のギリシャ語でした......

彼らはイタリアにわずかに残るギリシャ語を話す村から来た人々グレカでした。ギリシャ語ではカート・イタリアと呼ばれる南イタリアや、シシリアの一部に今もギリシャ語を話す人々が存在することをそれまで知りませんでした。

このビデオはイタリアのかかとのあたり(下の地図参照)にあるその名もカリメーラCalimeraギリシャ語で「こんにちは」という村の人々のドキュメンタリです。1編が15分ほどで4編に分かれています。彼らの音楽は対岸のケルキラによく似ています。言葉はほぼギリシャのギリシャ語と同じですが、アクセントがイタリア語風に変化しています。 

街の入り口にはkalos irtateと書いてあります。ギリシャ語のΚΑΛΩΣ ΗΡΘΑΤΕ「ようこそ、いらっしゃいませ」と同じ意味です。そんなカリメラの村は今もかなり牧歌的なところのようですが、言葉が生き延びた理由は決して牧歌的ではありません。

「私の両親はギリシャ語しか話さなかったよ」とインタビューに出てくるお年寄りは言います。彼ら自身は学校に通いイタリア語を覚えますが、それでも、冬の間は学校に通えなかったので、完全にイタリア語化されるのは大人になってからだそう。

なぜ冬学校に行けなかったのかって?靴がなかったからです。カリメラの人々はそれほど貧しかった。

とはいうものの、おそらくは周辺のイタリア人家庭でも同じような条件だったのではないでしょうか?第2次大戦前、戦後の南イタリアはとても貧しい地域でしたから。

ドキュメンタリーの続きでは、彼らがいつギリシャから渡って来たのか?という疑問を探ろうとしますが、それはおかしなこと。彼らは誰も覚えていないほど昔からずっとここにいたのであって、戦争や歴史が国境を動かしてしまったのではないですか?彼らの使っている単語に古典ギリシャの言葉がのこっているのが長い歴史の証拠だと思います。残念ながらギリシャ文字はグレカの文化に残っていません。グレカ(イタリアのギリシャ語)は話し言葉だけで伝わってきたのです。

2005年にグレカと出会いそのご動画共有サイトにギリシャの音楽特集番組アラティ・ティス・ギス(地の塩)で特集しているのを見つけました。それを見てからさらに興味が湧いて、彼らに会って実際に話をしてみたいと、ずっと思ってきました。

ゆっくりと言葉を選びながら話す彼らのギリシャ語は現在のギリシャ人のギリシャ語よりも、私には聞き取りやすいです。この人たちが一生懸命思い出しつつギリシャ語を話したり、過去の苦労を全て忘れるように楽しげに踊っている姿を見ていると、なぜか涙がこぼれます。

初めてスペツェ島で彼らに出会っていつのまにか10年経ってしまいましたが、今年の夏はいよいよグレカの人たちに会いに行けそうです。19歳から世界中いろいろな場所へ旅したり、住んだりしてきた私も最近やや燃料切れ???

ここからはブログ主題と離れるのですが、当ブログを読んでくださる中に若い方がいらしたら(いるかしら?)、ぜひ伝えたいことがあります。どうか、たくさん旅をしてください。旅には危険も悲しみも、生きる喜びも、驚くような発見も、素晴らしい出会いも、辛い別れもあります。

人生で大切なことを、私は全て旅から学びました。「いつか時間ができたら」、「仕事を引退したら、優雅な旅をする」それもいいかもしれませんが....旅は「足が硬く、心が柔らかい」うちにしておきなさいと、ミティリー二のお母さんのような人がいつも私に言ってくれていました。

Kalos Irtate-Grecia Salentina     2/4

Kalos Irtate - Grecia Salentina 3/4

Kalos Irtate - Grecia Salentina 4/4

 

おまけ:アラティ・ティス・ギス カート・イタリア ΤΟ ΑΛΑΤΙ ΤΗΣ ΓΗΣ ΚΑΤΟ ΙΤΑΛΙΑ (2時間番組ですので時間のあるときにどうぞ)

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ギリシャの新首相

2015-01-27 | ギリシャから

1月26日、アテネの首相官邸にて。急進左派連合: ΣΥΡΙΖΑ: シリザのΤΣΊΠΡΑΣツィプラス氏、(写真右)ギリシャ首相としての宣誓式でパプゥリアス大統領と握手を交わす。

25日の総選挙でシリザは前首相ΣΑΜΑΡΑΣ: サマラス氏率いるΝΔ: ネオ・デモクラティーアを抑え、圧倒的な勝利をおさめた。

ギリシャの新しい顔となったΑλέξης Τσίπρας氏は40歳。ギリシャ共和国が産んだ初の左派首相。
写真はRuiters。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

5人家族?

2015-01-20 | ギリシャから

ギリシャの文化庁は現地時間19日、昨年アンフィポリで発見された人骨に関する詳細を発表しました。

なんと予定より1日早く、、、いったいどうしたのかしら?珍しいことです。

さて、11月に発見された人骨は砕けた小さな欠片から良い状態の頭蓋骨も含む全部で550個、それらをパズルのように組み立てると157本の骨で、少なくとも5人の骨だということです。

写真を見たい方はこちらAncient Originsのページ

被埋葬者5名

その1 :60歳くらいの女性。判断理由は奥歯が欠けている。骨盤の大きさ、骨粗鬆症の程度などの特徴から。身長は157cm。

その2:35歳くらいの男性 鋭い刃物(ナイフなど)で暴力的に切られたような跡が骨にあり、それが原因で死亡したとみられる。身長168cm。

その3:45歳くらいの男性 右の脇腹のあたりの骨に骨折し、治癒した跡がある。身長162cm。

    この男性ふたりにはどちらも脊椎炎、進行性関節症がある。年上の男性の方が若い方よりも高い場所に埋められていた。

その4:生後間も無い新生児 性別不明

その5:性別不明の成人 埋葬前に火葬された形跡のあるわずか数片の骨なので、性別年齢は判断できない。

その他におそらく馬と思われる動物の骨も見つかっています。

この5人が血縁関係にあるのかどうか、彼らがマケドニア地方の出身なのかそれともどこか別の土地から来たのかなど、さらに詳しいDNA検査がおこなわれます。

******************

60歳の女性、年齢と権力から考えると、アレキサンダー大王の母オリンピアの可能性が強いのでしょうか?それでは戦争で亡くなったと思われるふたりの男性とは? どちらかが赤ん坊の父親なのか?母親はどこなのか?性別年齢不明の人物は誰なのか?これからいろいろ明らかになりそうですね。楽しみです。

それにしても、アレキサンダー大王の家族関係やバビロンで急に亡くなってからの権力争いをwikiで読んでいたら、史実というよりギリシャ神話そのもののような話だなと、改めて驚きました。アレキサンダー大王にはヘラクレスという名の異母兄妹がいたりして、これくらい古い話だともう、神様と人間あいだにあまり差がないように思えてきます。

1/21追記:すみません。間違いました。ヘラクレスは異母兄妹ではなく、アレキサンダー大王の息子。長子アレクサンドロス4世もヘラクレスも暗殺され子孫はいないようです。

 

コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

真っ白なギリシャ

2015-01-13 | ギリシャから


先週、白い町並みで知られるサントリーニ島が雪で更に真っ白になりました。昨年末から東地中海沿は特に寒い様です。ギリシャは南国の様なイメージを持っている方がおられますが、本土の山間部にはスキー場もあります。

2004年にもたくさんの降雪があり、めったに雪など降らないキクラデス諸島にも雪が積もりました。その時の光景がなんとも言えず美しいので紹介します。

まずはアクロポリス 2004年2月


珍しいミコノス島の雪景色 2004年


写真はPanorama.comから拝借しました。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

アンフィポリの謎は解けるのか?

2015-01-08 | ギリシャから

photo:amphipolis.com

2014年ギリシャ最大のニュースはアンフィポリス墳墓の発掘でしたね。

まず最初に入り口と頭のないスフィンクスが発見され、続いて隣の部屋の入り口にカリアティディスが見つかり、部屋の床には見事なモザイクが発見されたところまでお伝えしていました。

その後、X線を使って、地下に第3の部屋があることがわかり、果たして、そこに石棺とほぼ完全な人骨が副葬品とともに見つかったのは11月の中頃でした。翌月にも何かわかるのではと、期待していたの私だけではないでしょう。

2ヶ月ほど経った今も埋葬されていた人は誰なのか?一番知りたいところはまだ謎ばかりです。公表された写真は空の石棺だけ。肝心の人骨や副葬品は関係者以外、誰の目にも触れていないのです。

この間に、ギリシャは大統領を決める投票を3度行っても、当選定数に及ばず、法律に基づいて国会は解散。大荒れが予想される総選挙へと進んで行きました。

正式な発表がないうちに動画サイトには、CGを駆使したたくさんの再現動画が続々とアップされています。なかにはアンフィポリスを舞台にしたRPGゲームまでできています。

ネット上には素人考古学者の偏った憶測や、勝手に再現した顔、根拠の無い断定、はてはマケドニアからみの国際陰謀説までさまざまに溢れていて、いったい何が正確な情報なのか、わかりにくくなっています。

文化庁の記者会見が1月20日に予定されていて、人々の期待と好奇心と「不満」は最高潮。

もしかして、焦らして注目を集めようという作戦なのかしら?正式な発表を待ってお伝えしたいと思います。

下のCG動画は画像をはめ込みできないのですが、とても良く再現できていると思います。

https://www.youtube.com/watch?v=Kgm9yxJQDTw

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

バイオリンと海の男

2014-12-10 | サランダ・40年

「私が愛するのはバイオリンと海」と80歳のデミトリス・スコペリティス船長は言います。彼は50年以上も前からキクラデスの離島を航行する小型フェリーEXPRESS SCOPELITISのオーナー船長でギリシャの島の音楽ニシオティカに欠かせないビオリ(バイオリン)の名手です。

1958年、たった一艘の小さな漁船で始めたSMALL CYCLADES LINEはNAXOS からAMOLGOSの間に点在するΜΙΚΡΕΣ ΚΥΚΛΑΔΕΣの離島を毎日運行し、地元の人たちから「島々の母」とも「我々の命綱」とも呼ばれ、船長はまるで大家族の家長のように愛されてきました。

エクスプレス・スコペリティスは離島の人々を始め、食料、郵便や新聞、建材、家具、家電、ガソリン、ありとあらゆるものを運びます。花婿や花嫁、時には棺やらイコンまで・・人体に例えるなら、からだの隅々に血液を届ける動脈のような役割を果たしていて、この船なしに離島の人々は暮らして行けません。

急病人や怪我人、早産の妊婦、海難救助のためにエクスプレス・スコペリティスは何度も出動し、謝礼を受け取った事は一度も無いと船長は胸を張ります。

その心意気は、今息子のヤニス・スコペリティスと孫に受け継がれています。エクスプレス・スコペリティスのモットーは安全な航海と決して積み残しをしないこと。大会社のフェリーではスケジュールの時間を守るため乗客の乗り降りや、積み荷の上げ下ろしは時間厳守で急がされますが、スコペリティス船長は、船長は離島の乗客の一人一人をよく覚えていて、すべての人と荷物が積み降ろしされるのを根気強く待ちます。

岸に乗り遅れた人を見つけて戻る事さえあります。もし乗り遅れて、家に帰れなければ、よその島のホテルで一泊するしかありませんが、離島の人たちの暮らしに、そんな余裕はない事を船長はよく知っているからなのです。

そんなことしてたら、船が遅れちゃうと思うでしょう。会社として営業利益を考えれば論外でしょう。それを迷惑、不便と考えるのは一面的な見方です。

効率だけで計れないのが人生であり、ことに厳しい離島の暮らしはお互いの思いやりと助け合いなしには成り立ちません。都会の価値観はここでは通用しないのです。

ドキュメンタリを見終わると、この船に乗る為にギリシャ旅行に出掛けたくなっていました。ギリシャの魅力の本質はこういうところに宿っているような気がします。

EXPRESS SCOPELITIS 英語のサブタイトル付き

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

オリーブの樹はいつもここに

2014-12-08 | サランダ・40年

12月6日は初めてギリシャの土を踏んだ私のギリシャ記念日。それは1974年のことでした。今年は40周年。お祝いに赤ワインのテンプレートにしてみました。

毎年この頃になると、何故これほど長くギリシャを愛してこれたのかと、我ながら不思議に思います。正しく言うと、私が愛しているのはギリシャという「国」ではありません。ギリシャの風土と文化、そしてそれが生み出す人々です。今週はその秘密を少しだけ紹介したいと思います。ギリシャという不思議な場所と人々を。

 The Olive Tree Will Always Be Here

ストーリーはギリシャの老人の回想から始まります。

********

「あれは私が6-7歳の頃だったか、クリスマスに自分用の靴が欲しくて、大人たちが収穫を終えたオリーブの木々に残された実を一生懸命集めたんだ。ようやく大きな袋一杯になって、それを運ぼうと兄を呼びに行ったんだ。ところが戻ってみると、その袋は消えていた。収穫の後の枝切りに来た人たちが持っていてしまったんだろう。

悔しくて、涙をこらえられないでいる私に、兄は自分の靴を脱いで履かせてくれた。『なあ、がっかりするなよ、オリーブの木はずっとここにあるからさ』と兄は言ったんだ。その言葉は正しかった。私たちの土地は2500年もオリーブを収穫して生きて来たのだから。そしてそれは今も私たちの毎日の食生活と暮らしを支えている。そして、これからも私の息子や孫たちの為に実を付けてくれる。」

*******

収穫を終えた老人の家族。息子や孫たちとテーブルを囲む食事は,千年変わらぬ光景だ。人間の幸せとは何だろう?と気づかせてくれるのが、ギリシャとその人々だ。この暮らしを豊かでないというなら、どんな暮らしが豊かなのか?私にはわからない。

「先進技術」や「高度にグローバル化した経済成長」が国家と一握りの人間に富をもたらしても、個々の満足度や幸福感には繋がらない事を既に多くの人が気づいている。

宿命として「先端技術」の命は短い。それを追いかけて、あくせくするよりも、千年の単位で人間を幸せにできるものを持っているギリシャはこれから千年先も生き残るに違いない。

ギリシャは先進国になれない?そんなものにならなくて良い!小さく美しい、世界の人々が「一度は行ってみたい」と憧れる場所であればいい、と私は思う。

 

コメント (12)
この記事をはてなブックマークに追加

アンフィポリに眠る人は誰?

2014-10-14 | ギリシャから

7月末に発見されて以来、世界中の注目を集めているアンフィポリの墳墓の中が少しずつ明らかになってきました。

上の写真が全体像でこんもりとした丘である事がわかります。左の端に見えるのが発見された入り口でこんな風になっています。

アーチ門に2頭のスフィンクス像が墳墓を守るように向き合っています。

ここから下へ階段を降りて行くと

 

中の構造はこんな風になっていて全部で3部屋あることがX線撮影でわかっています。

発見時は最初の部屋も次の部屋も砂と泥が天上まで埋まっていたようですが、二番目の部屋の入り口に

2体のカリアティディス像が見つかりました。

もう一体は残念ながら顔面が失われていますが、こちらは鼻以外ほぼ完全に残っていました。全身を掘り出してみると身長は2.3メートルありました。

彼女は左手を挙げ、もう一体は右手を上げて、墳墓への侵入者を拒むように立っています。彼女たちの腕と指の破片が数多く砂の中で見つかりました。

肩にかかる巻き毛も、流れるような衣服の線も素晴らしいのですが、私のお気に入りはなんといっても、今にも歩き出しそうな彼女のサンダルを履いた足元です。

そして......積もった砂や泥を丁寧に除いてみると、床に4.5mx6mの大変美しいモザイクが出て来たというのが最新の

発表です。

黄金のヘルメス

二頭の白馬、目はトルコ石なのでしょうか水色です。

月桂樹の冠をつけた人、背景はもしかしてラピスラズリ?これを建築させた人が誰であれ、かなりの権力者であった事が伺えます。

モザイクのデザインがここに眠る人のヒントになっているのでしょうか...いよいよ残る最後の部屋の扉が出てきました。蝶番も残っていたそうです。ということは幸運にも盗掘されていないのかもしれませんね。期待に胸が高鳴ります。

ギリシャ中の人が息を潜めてこの扉が開くのを待っています。

*この記事の写真はgoogleからお借りしました。

こちらのサイトでカリアティディス像の全体の写真を見る事ができます。(ギリシャ語)

 

 

コメント (6)
この記事をはてなブックマークに追加

お礼の手紙

2014-09-09 | 百年の木の下で


ΕΔΑΣΑから寄付金の領収書とお礼状が届きました。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

寄附 2014年度

2014-09-08 | 百年の木の下で

今年も「百年の木の下で」が支援しているギリシャの森林火災防止ボランティア団体 EDASAに100ユ−ロの寄附をする事ができました。

142.58円=1ユーロと円安だったで寄附は日本円で14258円です。

寄附の内訳は太陽と森舎として出版した「ΤΡΑΓΟΥΔΙΑ ギリシャのうた 」1と2の売り上げから15000円および、TOKO KLARINOさんのCDの売り上げから900円の寄附を頂きました。昨年からの繰り越しが500円あったので寄附前の残高16400円から14258円を寄附しました。現在の残高は2142円です。

歌集、CDをお買い上げ下さった皆様ご協力ありがとうございました。私たちの寄附活動は今年で8年目、EDASAへの支援は5年目になりました。金額は小さいですが、これからもできるだけ長く続けて行きたいと考えています。歌集やCDはこちらの太陽と森舎オンラインショップからお求め頂けます

さて、アテネへ行く度に何人かのボランティアメンバーの方とお会いします。

今年はROZA PERAKIS さん、FOTINI MOUKA さんと会う事ができました。

ROZAさんは夏の間、毎週2回パルニサ山の見張り小屋へいって夜の見張り番をしています。不思議な偶然ですが、実は彼女と出逢ったのはEDASAを知る以前の2005年、スペツェ島で開催された集中ギリシャ語講座でした。私のクラスの講師だったのです。

その後お会いする機会はなかったのですが、2年ほど前にEDASAのFacebookで、懐かしい先生の顔を見つけ驚いたのでした。80人程いる見張り小屋ボランティアのうちのひとりです。今年は久しぶりに当時の同級生2人も一緒に先生とお会いできてとても楽しい時を過ごしました。

FOTINIさんは私たちがEDASAを支援し始めた2010年の最初の出逢いからのおつきあいです。

EDASAの仲間たち。写真の一番前にいるのがROZAさん。彼女の斜め左後ろがFOTINIさんです。さらに、その左後ろにいる男性が手に持っているのは、私たちが2011年の寄附で買ってあげた通信機。今も現役で活躍中だそうです。

 

 

 

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

島へ行こう オマケ

2014-08-18 | ギリシャから


アテネのエルムゥ通でみつけた、変な日本語。「極度乾燥」はわかるが、(しなさい)って????しかもカッコ付き...

コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

島へ行こう 12

2014-08-12 | ギリシャから


ΑΘΗΝΑ
アテネに来ると必ず立ち寄るお気に入りのカフェニオンがいくつかあります。

というか、陽射しがあまりに強いので、日中はカフェにオンから次のカフェニオンヘ移動すると言った方が正しいかも。

朝はメトロポリス大聖堂の横にあるミノアン。シンタグマ広場方面へ移動して、グランブルターニュ・ホテルの玄関の名物ノラ犬に会い、ロビーでしばらく涼んで、今は貨幣博物館の中庭のカフェです。

このネオクラシカルの美しい建物は元はハインリッヒ・シュリーマンの家だったところです。博物館の収納品よりも建物自体が素晴らしい。

周囲をオフィスや高級デパートに囲まれていますが、木陰のカフェニオンはセミの大合唱。都会のオアシスと言ったところ。

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

島へ行こう 11

2014-08-11 | ギリシャから


イオス島は圧倒的に若者に人気のある島。フェリーから下船する乗客のほとんどが20ー30歳なのには驚いた。

Hotel Nissos IOS の前の海岸には朝早くから海に入って遊んでいる人たちがいる。

スーパームーンの昨夜、友人がご家族とともに食事に連れて行ってくれたタベルナで、偶然昼間訪れた山の上の教会の司祭にお会いし挨拶した。

なんだか土地の人になったようで嬉しかったのだけれど、そういう気分を味わえる頃になると、時間がなくなり帰らないといけなくなるのが旅人の定めだ。この夏で会った人たちありがとうございました。私と遊んでくれたエーゲ海ありがとう。

またこの海と出会えますように.....

コメント
この記事をはてなブックマークに追加