らんすぴらしよぉん(l'inspiration) 

田窪与思子のインスピレーション
(L'inspiration de Yoshiko Takubo)

「愛して飲んで歌って」 

2015-03-31 | アート・映画・演劇

フランス語が聞きたくなったので、アラン・レネ監督の「愛して飲んで歌って」を観に行った。

 

「夜と霧」、「二十四時間の情事」、「去年マリエンバート」などで知られる、フランスの巨匠、アラン・レネ監督は2014年3月、91歳で亡くなり、この映画が最後の作品となった。

 

映画は、英国のアラン・エイクボーンの戯曲「お気楽な生活」を映画化したもので、劇中にイラストが登場し、それぞれのシーンも劇中劇のようで、演出もセッティングも、映画というより劇のようだった。

 

舞台はイギリス、ヨークシャーの郊外。(なぜ、フランスの巨匠の遺作の舞台がヨークシャーなのぉ・・・・・・)

 

登場人物は、開業医のコリンとカトリーヌ、ビジネスマンのジャックとタマラ、そして、農夫のシメオンとモニカという、3組の夫婦。

 

春。コリンは、妻のカトリーヌに、友人のジョルジュが病気で余命わずかだと告げる。

 

ジョルジュは、モニカの元夫で、魅力的なカリスマ教師。

 

カトリーヌは、そのことをジョルジュの大親友、ジャックに伝える。

 

地元の素人劇団で4人芝居をすることになっていた、コリン、カトリーヌ、タマラは、降板した役者の代わりにジョルジュを引っ張りだす。

 

夏。ジャックは、モニカに、ジョルジュの元に戻ってやって欲しいと懇願し続け、ジャックの妻タマラは、ジョルジュとのラブシーンごとに彼に惹かれ始めていた。

 

何となく現状に不満を持っている3人の女たち全員が、ジョルジュに惹かれ、バトルを繰り広げる。

 

ジャックの家で開かれた一人娘のためのダンスパーティでは、ジョルジュは彼女とばかり踊っていた。(スクリーンに彼らの姿はなく、観客たちはジャックたちの会話からそのことを想像する)

 

秋。芝居は大成功。が、ジョルジュは、3人の女たちそれぞれに、スペインのテネリフェ島での人生最後のバカンスに誘っていた。

 

3人の女たちは、自分だけが誘われたと思い、皆その気になっていた。

 

それを知った夫たちは動揺し、それぞれ、妻に、行かないでくれ、と懇願しする。

 

結局、夫婦たちは元のさやに納まるが、ジャックの愛娘が置手紙を置いてジョルジュとバカンスに・・・・・・

 

そして、彼は、バカンス先でのスキューバダイビングで死んでしまう・・・・・・

 

スクリーンには、ジョルジュは現れない。

 

彼は、最後まで不在。

 

主役は、不在の人。

 

観客たちは、3組の夫婦の会話から、ジョルジュの言動をイメージする。

 

ジャックの愛娘も、ジョルジュの棺桶への献花までスクリーンには現れない。

 

91歳の巨匠が、人生の最期に作ったのは、洒脱な映画だった。

 

不在の主役は、監督の分身だったのかしらん・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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みんなのおやつ

2015-03-30 | スケッチ

お菓子も販売しているカフェで休憩していた。

 

と、若いお母さんとジーンズをはいた小さな男の子が入って来た。

 

お母さんが言った。みんなのおやつ何にしようか?

 

男の子は呟いた。みんなのおやつは、みんなで食べるおやつ。

 

そして、ケースの中のさまざまなお菓子を指さしながら大声で繰り返した。みんなのおやつ。みんなのおおつ。みんなのおやつ。ぐりぐりがんまん。ぐりぐりがんまん。みんなのおやつ。みんなのおやつ。

 

幼い子供は、気に入ったフレーズを繰り返し繰り返し言うことがままある。

 

たいていは、お母さんのウルサーイ!の一言で、止めるか泣き出す。

 

けれど、お母さんは男の子の言動を気にせずに、ケースを見ながら、淡々とどれにしようかな、と呟くだけ。

 

男の子は再びケースの前でスキップしながらはしゃいだ。みんなのおやつはこれ。みんなのおやつはあれ。みんなのおやつ。みんなのおやつ。

 

お母さんは、いくつかのケーキを選んで、箱に詰めてもらった。

 

男の子は相変わらず、みんなのおやつ、みんなのおやつとうれしそうに飛び回っていた。

 

会計が済むと、お母さんは男の子を促して店内を後にした。

 

男の子は、みんなのおやつ、みんなのおやつ、と言いながら、ニコニコ顔でお母さんについて行き、

 

店内に静寂が戻った。

 

世界中のこども達みんなが「みんなのおやつ」を食べれる日がきますように・・・・・・ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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迷彩色の氾濫

2015-03-29 | スケッチ

電車に乗っていた。

 

とある駅で、上品な、初老の婦人が乗ってきて、隣に座った。

 

彼女のハンドバッグを見て、ぎょっとした。

 

有名ブランドなのだが、迷彩色模様なのだ。

 

昨秋あたりから、町やデパートで、迷彩色のバッグやパンツやスカートを目にするようになった。

 

迷彩色の模様を見ると、軍服や軍用機や戦車を連想してしまうので、迷彩色の流行に戸惑っている。

 

近代、軍服に迷彩色を本格的に採用したのは、第一次世界大戦中のフランス軍なのだそうだ。

 

 

中東、アフリカ、ウクライナ・・・・・・今、世界では混沌の度合が増している。

 

アジアでは、現政権のニッポンが独裁国になるのでは、と思われている。

 

中国が主導するアジアインフラ投資銀行には、中国と緊張関係にあるベトナムだけでなく、ヨーロッパの国々やロシア、そして、親米国であるオーストラリアまで参加を表明し、40か国以上の参加が確実となってきた。

 

そんな中で、現政権は、日米同盟を強化し軍備を増強する中国に備える「安保法制」! と吠えているが、経済的には、アメリカとニッポンが孤立していくような雰囲気が創り出されつつあるような気がする・・・・・・

 

もし、もし、もしも、アメリカがアジアインフラ投資銀行に参加を表明したら、ニッポンはどうするのだろう・・・・・・

 

不可解な飛行機事故も多く、水面下では戦争が起きているような錯覚を覚える。

 

ファッションは、世相や女性たちの無意識を反映する。

 

迷彩色の流行は不気味だが、今は夜明け前の闇かもしれない・・・・・・

 

平和、平和、平和・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2015-03-27 | スケッチ

夜、電車で大きな川を渡って、老母の居るアチラに行く。

 

車窓から川面を見ると、それは暗く、黄泉の国へ行くような気になる。

 

けれど、川の両側でキラキラ光り輝く、様々な建物の照明を見て安心する。

 

朝、再び、大きな川を渡って自宅のあるコチラに戻ってくる。

 

晴れた日には青い空がどこまでも続き、富士山が見えることもある。

 

シャバに戻って来るようで、ほっとする。

 

駅を降りてからも、遠回りをして、小さな川沿いの道を歩き、小さな橋を渡ることが多い。

 

春は桜並木が美しく、夏は緑の葉が目にまぶしい。

 

秋になると辺りは落ち葉で埋まり、冬になるとどこからか鴨がやって来る。

 

毎日毎日、流れる川を渡っている。

 

と、年中彼岸と此岸を行ったり来たりしているような錯覚を覚える。

 

 

あちらに帰る時、ニッポン人は、皆三途の川を渡るのだろうか・・・・・・

 

それとも、肉体を脱ぎ捨てた魂は螺旋階段を上るように天上を目指すのだろうか・・・・・・

 

今年も桜の季節がやって来た・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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「アポカリプス」 by 西脇順三郎

2015-03-26 | ポエム

「アポカリプス」 by   西脇順三郎(1894-1989)

 

<ああ

生物は永遠の中に生まれ

永遠の中で死んで行く

ただそれだけであると

いうことは

人間の唯一の栄光で

生物の唯一の哀愁だ

 

永遠は瞬間の中にしか

啓示されないと意識するとき

黄色い水仙をつむ指先が

ふるえる

野原には

無色の鶏が歩いている

モロフの杏の花も

おののく

 

この青ざめた

コンクリートの野原を

さまよう脳髄の戦慄は

生物の宿命の哀愁だ

 

すべての女の顔は

椎のドングリに

ほそながく写つて

また露に消されている

すべての吹く風は

かん骨にかすかに残るだけだ

人間の野原の歴史は

なまぬるい

石の夜明だ

アポコペ     >   1966年

 

 

 

 

 

 *PCでかん骨のかんの変換ができませんでした・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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「シ、ミ、ル 共振 ipyrima」

2015-03-25 | 本・文学

先日参加させて頂いた、「THE LIBRARY in KYOTO」

http://www.ab.auone-net.jp/~libraryに、素敵な本が展示されていた。

 

タイトルは、「シ、ミ、ル 共振 ipyrima」。 共振には、ともぶれ、とルビが振ってある。

 

山田有浩さん(舞踏)、川戸郷史さん(三線 及び syunraiのボーカル・作詞・作曲)、菊井崇史さん(詩、写真)の三人の若いクリエーターたちが、それぞれ、25~40ページに渡って、文章を綴っている。

 

山田さんのタイトルは「”し”の共振レ」で、土地の名が明記されていない、さまざまな場所で、身体を極限まで追い詰めたり踊ったりしながら得た思考やヴィジョンが書かれている。

 

各章のタイトルがとても詩的だ・・・・・・吹雪のフェリー・・・「し」、沈黙の声・・・闇と夢・・・雪山のトンネル・・・哀しさ・・・じゃあ、かなしみも一人分だな・・・祈ること・・・円環・・・滝・・・石・・・暗黒と透明・・・産声・・・沈む街、大樹・・・死なしめること・・・などなど

 

時折現れる「彼女」とのやりとりにも好感を持った。

 

 

川戸さんのタイトルは「道傍の詩ー声を巡る旅の記憶ー」。

 

彼は、<三線片手に沖縄・奄美・二風谷・アイルランドと周縁を巡る>。

 

そして、彼は、<ここへ行こうというよりも、糸を手繰り寄せるように、導かれるように旅をしている。船が、港に入ってゆく時間のように、ゆっくりと余韻を深めながら、ただ、湧き上がる水が、小さな清水となって、川に流れてゆくように、声という引力に引き寄せられるように>旅をする。

 

詩人、Patrick Kavanaghなどのエピソードが書かれた、アイルランドの旅のエッセイは大変面白かった。

 

彼は、北海道のアイヌ文化発祥の地、二風谷には、<通りすがりの旅行者でも、生活者でもない宙ぶらりんの場所に漂いながら、いつの間にか時間が過ぎた>と、もう十年も通っている。

 

かの地での川の話を興味深く読んだ。

 

 

菊井さんのタイトルは、「近い、心機に襲なる臨界を拡げ、共に、シ、ミ、ル、キ、キ、ミ、ル」。

 

6、7年務めた、非正規雇用の清掃の仕事に通っていた日々のことを綴ったエッセイは、新宿駅西口カリヨン橋が舞台だ。

 

彼は、新宿の、川の流れない橋の上に立ち、都市に<内臓されたヴィジョン>を見、<亀裂>を感じ、様々な人々の声を聞き、時に張り裂けそうになりながら、歯をくいしばりながら生き、<おれは、おれの生活において暮らしを心身を臨界に生きなければならないと想い極まった。>のだ。

 

最後の章、新宿の仕事を辞し苫小牧から仙台へ向かうフェリーでの心境を綴った章のタイトルは、<心身の膚に刺青されつづく星座は、いつも、揺らめき、共にかたちをうつろってゆくから>・・・・・・彼は、書き続けながら、生き延びるであろう。

 

文章の最初に、<生まれ、散り、宿り、被語した

 ココカラダ、ノ、ゾ、メ、ハ、ダ、ヂ、

  糾う、零れ、添い、トモル軌道ハ、チ、カラ刻マレテユク>

とあり、最後に、

 

<生まれ、散り、宿り、庇護された

 ソコカラダ ノ、ゾ、メ、キ、キ、ヂ、

綻び、切り結び、供え、トモル軌道ハ、チ、デ刻マレテユク>

とあった。

 

また、文章の上段の余白部分に、小さな横書きの文字で、詩人、吉増剛造を彷彿とさせる詩が書いてあり、それらも楽しんだ。

 

 

 

 

はるかに上の世代だが、わたしも、螺旋が好きで、川が好きで、周縁が好きなのだ・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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「THE LIBRARY」  in 京都

2015-03-22 | スケッチ

京都のMEDIA SHOPギャラリーで開催されていた、「本」形式の作品による展覧会、「THE LIBRARY」(3月17日~22日)に参加し、

 

24扁の詩で構成された、手作りの詩集、「水中花」を展示させて頂いた。(写真正面の右端下)

 

京都の河原町三条まで見に行ったら、詩集が喜んでいるような気がした。

 

「THE LIBRARY in KYOTO」 企画 ART SPACE

http://www.ab.auone-net.jp/~library

 

 

 

 

京都では、今、「PARASOHIA 京都国際現代芸術祭2015」が開かれている。

 

会場は、京都市美術館、京都府京都文化博物館、京都芸術センター、堀川団地、鴨川デルタ、河原町塩小路周辺、大垣書店烏丸三条店、京都BAL河原町通面。

 

その内の、京都市美術館と京都文化博物館だけ行った。

 

世界の前衛アーティストの作品が展示されていたが、年のせいか、シンドイ作品が多かった。(森村泰昌さんの作品でほっとするぐらい)

 

昔、パリのポンピドゥーセンターで現代美術を見た時、うーん、分からないなあ、と思った作品が多かったが、今回も、分からない作品が多かった。

 

ガイドブックの解説を読んで、初めて、ナルホドと思う、わたし・・・・・・

 

もはや、シュルレアリスムは古典なのだ・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2015-03-20 | ポエム

電車に、乗った。

 

顔、顔、顔。

 

地下道を、歩いた。

 

顔、顔、顔。

 

エレベーターに、乗った。

 

顔、顔、顔。

 

顔には、その人の「今」が、顕れる。

 

過去と未来を内在した、「今」が、顕れる。

 

表情には、本性。

 

「わたし」は、分かりやすい。

 

 

 

 

詩集、<みんな、「わたし」。>より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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季節の終わり

2015-03-19 | 色々な思い

冬の終わりは、春。

 

春の終わりは、夏。

 

夏の終わりは、秋。

 

秋の終わりは、冬。

 

けれど、冬の終わりに秋が来る時代もある・・・・・・

 

ニッポンが「戦争のできる国」になりませんように・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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空飛ぶパン

2015-03-17 | スケッチ

お墓参りに出かけたら、お腹がすいた。

 

新宿で降りて、Gontranというパン屋さんに併設されているカフェに入り、カフェ・オレとパンを食べた。

 

二階のガラス窓のあちこちに、パンのシールが貼ってあった。

 

写真を撮ったら、パンが空を飛んでいるようだった。

 

壁の白いタイルには、Gontranさんがmerciと書いてサインをしていた。

 

バゲットが大好きなのだが、今は、がぶりとかじると歯が折れそうで怖い・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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にこにこ顔

2015-03-16 | ポエム

にこにこ顔でいると、にっこりすることが起きる。

 

仏頂面をしていると、しかめ面をすることになる。

 

泣き顔でいると、ますます悲しくなる。

 

わたし達は、選べる。

 

自分で、選べる。

 

雨が降っても、雪が降っても、にこにこ顔。

 

にこにこ、にいーっ。

 

桜の花も、にこにこ、にいーっ。

 

春風吹いて、にこにこ、にいーっ。

 

 

 

 

詩集、<みんな、「わたし」。>より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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「昨日はどこにもありません」 by 三好達治

2015-03-14 | ポエム

「昨日はどこにもありません」 by 三好達治(1900-1964)

 

<昨日はどこにもありません

あちらの箪笥の抽出しにも

こちらの机の抽出しにも

昨日はどこにもありません

 

それは昨日の写真でせうか

そこにあなたの立つてゐる

そこにあなたの笑つてゐる

それは昨日の写真でせうか

 

いいえ昨日はありません

今日を打つのは今日の時計

昨日の時計はありません

今日を打つのは今日の時計

 

昨日はどこにもありません

昨日の部屋はありません

それは今日の窓掛けです

それは今日のスリッパです

 

今日悲しいのは今日のこと

昨日のことではありません

昨日はどこにもありません

今日悲しいのは今日のこと

 

いいえ悲しくありません

何で悲しいものでせう

昨日はどこにもありません

何が悲しいものですか

 

昨日はどこにもありません

そこにあなたの立つてゐた

そこにあなたの笑つてゐた

昨日はどこにもありません       >

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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今日、春を見つけた。

2015-03-12 | ポエム

今日、わたしは春を見つけた。

 

見知らぬ家の梅の香に、

 

コートを脱いで歩く婦人に、

 

デパートのショーウインドーに、

 

黄金色に輝く夕日に、春を見つけた。

 

冬の後には、春が来る。

 

必ず、来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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「わたし」

2015-03-08 | ポエム

薄暮の街を歩いていると、表層「わたし」が、消えた。

 

商店街と同化した、「わたし」。

 

スクリーンの中を移動する、身体。

 

街灯、ネオンサイン、家路を急ぐ少女、買い物をする婦人、犬を連れた老女・・・・・・

 

ほんとうは、みんな、「わたし」。

 

魚屋さんの、「こんばんは」、という声で、

 

表層「わたし」が、再び、現れた。

 

こんばんは、「わたし」。

 

プルーストの「je」は、みんなの、「je」。

 

 

 

 

詩集、<みんな、「わたし」。>より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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一万円札を、拾った。

2015-03-07 | スケッチ

このところ、忙しい日々が続いていたが、

 

昨日、久しぶりに女友達二人に会って、たくさん笑った。

 

帰宅途中に乗ったバスが渋滞に巻き込まれ、老母の家に行くのが遅くなりそうだった。

 

心配するだろうから、一度バスを降り、電話で事情を説明し、次のバスに乗った。

 

バスを降り、小走りで帰宅した。

 

マンションの玄関を入ると、一万円札が落ちていた。

 

困った・・・・・・

 

交番は遠いし、マンション内のことだし・・・・・・

 

管理人さんはもういない・・・・・・

 

どうしよう・・・・・・

 

とっさに、リュックからポストイットを取り出し、「落ちていました」という文章と名前を書いてお札に貼り、管理人室用の郵便受けに入れた。

 

本当は、きちんと事情を説明した手紙を添えて封筒に入れるべきだったが、とても急いでいたのだ。

 

荷物を置き、着替えて、老母の家に向かわなければならなかった。

 

それに、拾ったお金を翌日まで持っていたくなかった。

 

 

 

今朝、実家から戻って、管理人さんに非礼を詫び、事情をきちんと説明した。

 

生まれて初めて、一万円札を拾った。

 

こういう時に、宝くじを買うと当たるのかしら、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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