報道写真家から(2)

中司達也のブログ 『 報道写真家から 』 の続編です

国際社会という人道危機

2011年12月23日 19時37分03秒 | 『民主化』の正体


21世紀に入ってまだそれほど時間が経っていない。
この短い間に、気がつけば武装反乱が正義と呼ばれている。
テロリストが反乱に参加していてもかまわない。
反乱は誰が参加しても正義なのだ。

人道危機を阻止するための人道危機

国際社会は、リビアで蜂起した反乱勢力に対するカダフィ政権の鎮圧行為を「人道危機」と称した。武装勢力のリーダーにテロリストや過激派が公然と参加していたことは、いまや周知の事実だ。国際社会は、国連や国際刑事裁判所などの国際機関と世界の主要メディアを駆使して、存在しない人道危機を創出し、リビア爆撃の根拠とした。そして、NATO軍を動員してリビアの国土を爆撃した。

NATO軍の出撃は通算26500回を数え、そのうち約9700回の空爆が行われ、およそ6000の標的が破壊された。NATO軍の空爆には精密誘導爆弾が使用されたと言うが、こうした兵器には十分な誤差があり、「誤爆」もそれほどめずらしいことではない。また、通常爆弾が使用されなかったわけではない。地上では、豊富な武器弾薬を供給された反乱軍が、空爆の支援を受けながら、市街地に徹底的した砲撃を加えた。

空爆と砲撃により、諸都市の基幹インフラは壊滅し、多くの住居が破壊され、医療機関も機能しなくなった。死者は3万人とも見積もられている。15万人という記載もある。NATO軍と反乱軍が引き起こしたこれらの事態こそ、正真正銘の人道危機ではないのか。

数千人の反乱軍に対する「人道危機」を阻止するために、3万人の市民の命を奪ったことをどう正当化できるのだろうか。

しかし、たとえ何十万という命を奪ったとしても、国際社会は自分たちが引き起こした戦争犯罪には人道危機の概念は当てはめない。それどころか、これらの犠牲は、正義を遂行する過程で必然的に生じるコストとして容易に無視される。

こんな暴挙が堂々とまかり通るのが、21世紀という時代らしい。


「民主化」という破壊

国際社会が「フリーダム・ファイター」と絶賛した英雄たちはいま何をしているだろうか。彼らは、リビアの民主化のために日々奮闘努力しているのだろうか。

12月10日、新生リビア国軍の総司令官に就任した元反乱軍のKhalifa Hifter は、トリポリ空港に向かう途中に待ち伏せ攻撃を受けた。Hifter は生き延びたが、今後も同様の事件が続くかも知れない。この出来事はリビアの現状を雄弁に物語っている。

反乱軍を構成していた有力な武装グループは、新生リビア国軍に再編されたが、これは軍隊と呼べるような組織ではない。看板が、反乱軍から正規軍になったというだけで、寄せ集めの集団であることに変わりはない。武装グループは以前よりもまして個々勝手に行動している。

旧政権を排除した今、元反乱軍の最大の関心と課題は、民主主義でも平和でも安定でもない。いかにして権力と利権を得るか、それだけだ。待っていても権力は手にできない。トリポリが陥落すると、反乱軍はすぐさま同士討ちをはじめた。

産油国リビアには、莫大な資産蓄積と恒常的な石油収入がある。リビアは宝の山だ。より強者がより多くを手にできると考えるのは必然だ。

武装グループは部族・地域単位のものが多い。強力な中央政府が消滅したいま、各部族や各地域という信頼できる最小単位で防衛を固めている。こうしたグループは中央での覇権を求める一方で、出身地では軍閥化するだろう。欧米から供給された豊富な武器弾薬がそれを可能にする。

リビアは、タリバーン後の「民主化」されたアフガニスタンと同じ状況になるだろう。中央政府の権限を無視した、軍閥による地域支配だ。アフガンのカルザイ大統領は、カブール市長か県知事程度の権限しか持っていない。中央政府の大臣職は有力軍閥が分け合い、国会議員も各軍閥の構成員で占有されている。大統領職は、対外的な窓口という程度の意味しかない。軍閥に支配されたアフガニスタンには民主主義の欠けらも見当たらない。しかし、国際社会は、アフガニスタンに持ち込んだ数万個の投票箱を指して、民主主義の勝利と宣言している。

リビアの「民主化」も同じ過程をたどることになる。NATO軍の爆撃や寄せ集めの反乱軍が民主主義をもたらすはずがないのだ。国際社会が語る「民主化」とは破壊のための口実にすぎない。そして、一度「民主化」されてしまった国家には未来はないのだ。


三大勢力の攻防

フリーダム・ファイターはトリポリを陥落した直後から、早くも覇権争いの銃撃戦をはじめたが、現在大きく三つの勢力に分かれている。トリポリ軍事評議会司令官のAbdel Hakim Belhaj と元反乱軍司令官のSuleiman Mahmoud、そして、待ち伏せ襲撃された新生リビア国軍総司令官Khalifa Hifter の三者だ。

この三人の中で最大の勢力はAbdel Hakim Belhaj だ。カダフィ軍を破ってトリポリに一番乗りし、首都の中心地域を真っ先に支配し、自軍のテリトリーを作った。Belhaj は1980年代から反カダフィ闘争を行っていた筋金入りの反カダフィ派だ。しかし、90年代のCIAの作戦でリビアを追われ、アフガニスタンで欧米軍に対するジハドに参加した。2004年にはCIAに逮捕され、2010年までリビアの刑務所で過ごした。そして、今回、CIAに支援された反乱軍に参加し、トリポリ陥落という大武勲を立てた。彼が首都を攻略したので、論功行賞によりトリポリ軍事評議会の司令官という地位を得た。これは首都防衛部隊という意味合いだろう。組織的には総司令官Hifter の下に位置するが、戦闘力ではBelhaj の部隊が最大最強だ。現在でも自軍の戦力補強に努めている。彼の経歴を見れば、民主主義とはほど遠い存在であることがわかる。

Belhaj に次いでトリポリを支配しているのが、元反乱軍司令官Suleiman Mahmoud だ。彼はリビア軍のトブルク地区将軍だったが、反乱が勃発すると、自分の旅団の半数を引き連れて反乱軍に合流した。反乱軍の司令官にはAbdul Fattah Younes将軍(カダフィ政権下の内務相)が任命されたが、7月28日に暗殺され、このMahmoud が2代目司令官に就いた。反乱軍が新生リビア国軍に再編されると、必然的にMahmoudが総司令官に就任したが、すぐにその地位から滑り落ちた。11月17日、旧リビア軍の軍人グループは新しい総司令官としてKhalifa Hifter を選出した。

Khalifa Hifter は、リビア戦争が始まるまではアメリカで20年間亡命生活をしていた元リビア軍大佐だ。アメリカでの地位は、CIA本部から車で5マイルほどの距離に住む、CIAの準構成員だ。反乱が勃発すると反乱軍に参加するが、初代司令官Younes と指揮権争いを演じた。ライバルのYounes は暗殺されたものの、結局Hifter にはいかなる指揮権も与えられず、したがって、何の手柄もあげていない。そんなHifter が、新生リビア国軍の総司令官に選出されたのは、極めて不自然だ。CIAとの20年来の信頼関係がものを言ったのかも知れない。しかし、彼を総司令官に選出したのは元リビア軍の職業軍人であって、元反乱軍は参加も同意もしていない。就任早々、Hifter が待ち伏せ攻撃を受けたのは一種の回答とも言える。※ Hifter は、Haftar、Hefter または Hufturとも表記される。

今後当分の間、BelhajMahmoudHifter による主導権争いが続くことになるだろう。あるいは、そこに伏兵も現れるかも知れない。

トリポリ空港という重要な軍事拠点は、この三者以外の武装勢力が掌握している。空港の支配権をめぐる衝突も発生している。Belhaj は空港を使用しようとした際、一時拘束されるという危険な失態を演じている。Hifter も空港に向かう途上で待ち伏せ襲撃されている。彼らでさえ、テリトリーを離れると安全なところはないというのが現状なのだ。


市民生活を脅かすフリーダム・ファイター

武装勢力が覇権争いを展開している状況下で、トリポリ市民が安全に暮らせるはずがない。正規軍に編入された大きな元反乱軍グループはまだ統率が取れている方かも知れない。しかし、正規軍に入れないようなその他の小グループは、個々勝手に検問や検閲を行い、我が物顔で横暴を繰り返し、市民生活を脅かしている。

たまりかねたトリポリ市民は、戦争は終わったのだから「フリーダム・ファイター」は出身地へ帰るよう要求しはじめている。放っておけば市民に対する横暴がエスカレートし、いずれギャング化することになるだろう。小グループとはいっても、NATOが供給した重機関銃や対戦車砲で重武装しており、極めて危険な存在だ。暫定政府は、武装集団の非武装化に取り組むとしているが、もちろん、暫定政府にはそんな力はない。

アフガニスタンでは、国際機関が音頭をとって軍閥の武装解除プログラムを実施したが、実質的な成果などあがっていない。壊れた銃を差し出して、新しい銃を手にするだけだ。武装解除が終了したと公式に認定された軍閥の司令官宅で、弾薬が大爆発するという事故が発生したこともある。一度武器を手にした集団の武装解除は、極めて非現実的だ。

リビアではこれからが利権争奪の本番であり、首都からおとなしく出て行く武装グループがいるはずがない。首都トリポリは大から小まで利権の宝庫だ。本当の戦いはこれからはじまるのだ。

国際社会が「フリーダム・ファイター」と賞賛する集団の正体とはこんなものだ。もちろん、国際社会は最初からそんなことは知っている。これらはすべては国際社会が望んだ通りの結果なのだ。


そして国際社会は、同じ手法を繰り返している。
──シリアの残忍なアサド大統領に対して、民主主義のために銃を手にした市民──
いつまでこんな見え透いた茶番を繰り返すつもりなのだろうか。
もちろん、通用する限り、いつまでもだ。

21世紀は「民主化」の猛威が吹き荒れる大災厄の時代となるのかも知れない。
国際社会こそ、人類にとっての真の人道危機だ。

 

国際社会という人道危機 : 資料編
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo2/e/2e1acb05ee90cb60665106d03aa2bf77

 

 

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