今週は久し振りに中古CDで複数枚の収穫がありました。 うまく年末セール用の網から逃れられたようで、こうでなくちゃ面白くない。
■ Joe McPhee / Nation Time ( 加 Unheard Music Series UMS/ALP201CD )
フリーの嵐が過ぎ去ってエントロピーの増大が誰にも止められなくなった70年代、もはや主流も非主流も無くなり、あらゆる境界線が消えてしまった中で
こういうのは当然のように現れるんだなと納得の内容。 1970年のヴァッサー大学のアフリカ研究センターでのライヴです。
この人はこれまでに60枚以上の作品をリリースしているんだそうで、売れない音楽をやるのも色々大変なんだなと思います。 当然これも自主制作盤で、
廃盤セールに出ればいつも目玉の大物として取り扱われる。 サン・ラーにしても、ブロッツマンにしても、作品の数があまりにも多すぎて、私のような
根性なしのいい加減なリスナーではその全てに耳を通すなんてことはできません。 もしレコードしかなかったらきっとこういうのを聴くことはなかった
だろうと思いますが、今はきちんとCDで復刻してくれるところがあるのでこうして聴くことができるわけで、こういうのは本当にありがたいことです。
元々トランペットを吹いていたのに68年からサックスを始めたそうで、始めて間もない頃の演奏なので当然ここでのサックスは上手くありません。
でも、音楽への情熱があり、他人や社会に向かって叫びたいことがあり、そういうものに突き動かされ、それだけに支えられてなんとかやっていることが
手に取るようにわかります。 音楽としてはあまりに稚拙すぎて、正直語るべきものは何もないような気がします。 でも、当時の黒人社会には全般的に
歴史的に途切れることなく鬱積されたものがやはりあって、人々はいろんな所に集まってはこうして叫んでいたんだなということがこういう記録からわかるし、
そのことを思うとやりきれない気持ちになります。 だから自然と演奏は煽動的になるし、観客も熱狂する。 ここにはもちろんフリージャズというような
高尚なものはまったくなく、アンダーウランドに潜って不気味にうねるブラック・ファンクの激しい鼓動しかありません。
外形的には2曲目の艶めかしく黒光りするベースは凄いし、3曲目のドラムはとても聴き応えがあって耳を奪われるけれど、私は音楽を聴いているという
よりも、ボクシングの試合を観ているような、またはNHK特番で旧いドキュメンタリー・フィルムを観ているような、そういう感覚を覚えるのです。
■ Peter Kowald / Duos ~ Europe - America - Japan ( FMP CD 21 )
ペーター・コヴァルトがベース片手に欧州、アメリカ、そして日本の怪物たちの元へ出向き、「ひとつ、恃もう!」とデュオで短い曲をさらりと演り、
ゆるりと帰っていったものを集めた作品で、レコード初版は3枚組ボックス(同時にバラ売りもされた)。
手合わせした19人の顔ぶれは凄いのですが、やはり目を引くのは尺八の松田惺山、琴の沢井忠雄、琵琶の半田淳子ら日本古楽器勢とのコラボ。
この3人との演奏が一番心を打たれる。 別にナショナリズムの血が騒ぐということではないですが、こうして各国の楽器が勢揃いする中で聴いてみると、
日本の楽器とそれを演奏するアーティストというのは素晴らしいものがあるんだなということがよくわかります。 これらの古楽器の柔軟性と
フリージャズへの親和性の高さには目から鱗が落ちるし、日本の古楽って本質的にフリーミュージックなんだなと気付かされます。
そして、坂田明のここでも変わらない、いつもの素晴らしさ。 同録されているブロッツマンやエヴァン・パーカーらとなんら見劣りしない。
単純ですが、ヴァラエティーの豊かさに感動します。 形式うんぬんではなく、フットワークの軽さとメニューの数の多さにこの音楽が持つ豊かさを
感じるし、奥深さも実感できるのです。 作品のコンセプトの正しさを感じるし、これはちょっとレベルが高いなと思います。
ただし、ディアマンダ・ガラース(女性Vo)の呻き&絶叫とのコラボは怖い。 これはスピーカーから音を出してはとても聴けません。
間違いなく、警察に通報されます。
■ Joe McPhee / Nation Time ( 加 Unheard Music Series UMS/ALP201CD )
フリーの嵐が過ぎ去ってエントロピーの増大が誰にも止められなくなった70年代、もはや主流も非主流も無くなり、あらゆる境界線が消えてしまった中で
こういうのは当然のように現れるんだなと納得の内容。 1970年のヴァッサー大学のアフリカ研究センターでのライヴです。
この人はこれまでに60枚以上の作品をリリースしているんだそうで、売れない音楽をやるのも色々大変なんだなと思います。 当然これも自主制作盤で、
廃盤セールに出ればいつも目玉の大物として取り扱われる。 サン・ラーにしても、ブロッツマンにしても、作品の数があまりにも多すぎて、私のような
根性なしのいい加減なリスナーではその全てに耳を通すなんてことはできません。 もしレコードしかなかったらきっとこういうのを聴くことはなかった
だろうと思いますが、今はきちんとCDで復刻してくれるところがあるのでこうして聴くことができるわけで、こういうのは本当にありがたいことです。
元々トランペットを吹いていたのに68年からサックスを始めたそうで、始めて間もない頃の演奏なので当然ここでのサックスは上手くありません。
でも、音楽への情熱があり、他人や社会に向かって叫びたいことがあり、そういうものに突き動かされ、それだけに支えられてなんとかやっていることが
手に取るようにわかります。 音楽としてはあまりに稚拙すぎて、正直語るべきものは何もないような気がします。 でも、当時の黒人社会には全般的に
歴史的に途切れることなく鬱積されたものがやはりあって、人々はいろんな所に集まってはこうして叫んでいたんだなということがこういう記録からわかるし、
そのことを思うとやりきれない気持ちになります。 だから自然と演奏は煽動的になるし、観客も熱狂する。 ここにはもちろんフリージャズというような
高尚なものはまったくなく、アンダーウランドに潜って不気味にうねるブラック・ファンクの激しい鼓動しかありません。
外形的には2曲目の艶めかしく黒光りするベースは凄いし、3曲目のドラムはとても聴き応えがあって耳を奪われるけれど、私は音楽を聴いているという
よりも、ボクシングの試合を観ているような、またはNHK特番で旧いドキュメンタリー・フィルムを観ているような、そういう感覚を覚えるのです。
■ Peter Kowald / Duos ~ Europe - America - Japan ( FMP CD 21 )
ペーター・コヴァルトがベース片手に欧州、アメリカ、そして日本の怪物たちの元へ出向き、「ひとつ、恃もう!」とデュオで短い曲をさらりと演り、
ゆるりと帰っていったものを集めた作品で、レコード初版は3枚組ボックス(同時にバラ売りもされた)。
手合わせした19人の顔ぶれは凄いのですが、やはり目を引くのは尺八の松田惺山、琴の沢井忠雄、琵琶の半田淳子ら日本古楽器勢とのコラボ。
この3人との演奏が一番心を打たれる。 別にナショナリズムの血が騒ぐということではないですが、こうして各国の楽器が勢揃いする中で聴いてみると、
日本の楽器とそれを演奏するアーティストというのは素晴らしいものがあるんだなということがよくわかります。 これらの古楽器の柔軟性と
フリージャズへの親和性の高さには目から鱗が落ちるし、日本の古楽って本質的にフリーミュージックなんだなと気付かされます。
そして、坂田明のここでも変わらない、いつもの素晴らしさ。 同録されているブロッツマンやエヴァン・パーカーらとなんら見劣りしない。
単純ですが、ヴァラエティーの豊かさに感動します。 形式うんぬんではなく、フットワークの軽さとメニューの数の多さにこの音楽が持つ豊かさを
感じるし、奥深さも実感できるのです。 作品のコンセプトの正しさを感じるし、これはちょっとレベルが高いなと思います。
ただし、ディアマンダ・ガラース(女性Vo)の呻き&絶叫とのコラボは怖い。 これはスピーカーから音を出してはとても聴けません。
間違いなく、警察に通報されます。