みんなちがってみんなイイ

長男M太(10歳)のLEGOblock作品掲載です。次男P助の面白い日常も見逃せません。笑いあり涙ありの日々です。

青春のM.J

2010-02-03 | 私ごと
何かと気ぜわしいこの頃です。。。


先週、生まれて初めて(?)自分のためにDVDを買いました。
世相に流されて・・・と言う感じもありました。
それほど熱烈なファンというわけでもありませんでした。
が・・・


    Michael Jackson's  【THIS IS IT】 


彼が日本でブレイクしたのは1984年だったと記憶してます。
とにかくダンステクニックが素晴らしいと評判になり、ちまたでは猫も杓子もムーンウォークの練習に余念がなかった。

またプロモーションビデオの構成が話題を呼び、どこのショップのTVモニターでも『Thriller(スリラー)』が流れていて、そのたびに足を止めて見入っていたあの頃。

当時高二〜高三だった私は、受験勉強もせずに深夜放送のベストヒットUSA(パーソナリティーは小林克哉氏)を欠かさず見ていました。
学校でも、休み時間ごとに廊下に出ては友人たちとムーンウォークの練習。
その他海外のアーティストたちの情報交換するのが楽しくて学校に行っていたようなものでしたね

実は彼のことは1983年の夏、北米で流行りだした頃にすでに知っていました。
カナダでホームステイしており、2ndホストファミリーの家族からビックになるシンガーがいるよ、と教わっていたんです。
当時21歳のカレンという女の子で、彼女もまた交換留学制度を利用して前年に日本にステイしていたのだそうです。
私が帰国する前夜にカセットテープを手にやってきて、
「彼はサイコーよ。きっと日本でも人気が出るからこれをみんなに聞かせてあげて。」
とマイケル・ジャクソンの『Thriller(スリラー)』をダビングしてくれたんです。
カレンとは年が近かったこともあり、背伸びしながらも沢山の刺激をもらいましたね。


しかし、帰国しても(自慢げに見られちゃうとイヤだから)の理由でカセットテープは封印していたのですが、翌年の春先からマイケルが見事大ブレイク。
キレのよさとしなやかな動きに日本国民は圧倒され、ディズニーランドやキディランドの貸切を許したりしていたのでした。


そんなわけで、マイケル・ジャクソンを見ると当時のことが蘇ってくるんです。
授業も聞かず、勉強もせず、休み時間に友人たちとはしゃぎまくっていたあの頃・・・

今、彼の追悼の意でDVDを見て彼の人となりを知り、彼のステージに対する意気込みがどんなだったかを思い知る今日です。



結局、マイケル・ジャクソンは完璧主義であり、やさしい心根の紳士的なひとだったんだな・・・と今更ながら知りました。

いや、今回のロンドン公演は彼としては、おそらく金目的でしょう。
贅沢三昧、訴訟金なども持っていかれCDの売り上げもないまま所持金が底を尽きそうになった挙句の、身体にムチ打って挑むはずであったロンドン公演・・・だったのではないでしょうか
お金がなくなったから仕事する・・・こういう完璧主義者のアーティストを他にも知っています。
私が敬愛したカルロス・クライバーもそうでした。
完璧主義者はその回その回を完璧に仕上げるので出来栄えが素晴らしく、話題を呼びますから時として大ブレイクします。
が、一儲けすると精根尽きて休業体制に陥りますから長続きしません。
おそらくね・・・


しかしマイケルジャクソンの本質は、甘えん坊の気弱で優しい、スタッフたちに愛されるべき人ではあったようですね。
不都合な点を厳しく指摘するのではなく、心情を伝えてスタッフに助けを求める。
(イヤーマイクがうるさい=「ボクは子供の頃から自分の耳で聞くように育てられたから慣れていないんだ」)など・・・。
そうすることで全体の空気がギスギスせず理解しあえるし、少しずつ良い作品に近づいていく。
スタッフの助けがあってステージを作っていくという雰囲気が、DVDから滲み出ていますね。(まぁ、編集されてのことですが・・・)

そういう意味では【THIS IS IT】は非常に良くマイケルに対する追悼を表していると思います。


このDVD、子供たちが近くのショップで、
「今予約すると安く買えるしポストカードもついてくるよ。ママ買ったら
と背中を押してくれたんですよ。
だから当日は子どもたちと一緒に見ました。
私がマイケル・ジャクソンの凄さを一生懸命話すのをM太は、
「へえ、〜すごいね〜」
とわりと一緒に楽しんでくれましたが、P助にはとても退屈な時間だったようです。

かあちゃんの青春回顧に付き合ってくれてありがとうね


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日本では個性を伸ばせるのか?

2010-01-22 | 私ごと
いつも応援ありがとうございます。

今日は全く個人的な私事を書きますので、興味のない方は遠慮なくスルーしてください



最近興味深かった本が『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』っていう対談本です。
村上春樹氏の本はすべて揃えたいという人も多いようですが、私もその一人でして・・・
ただ、子育て中のこの10年ほどは、育児本以外はほとんど読めなかったんです。
これは平成11年発行のもので、当時は店頭で見つけて(村上氏はメジャーな人とも対談するんだなぁ)なんて思ってたんですが・・・



この中で、河合隼雄氏がおっしゃることに大いに共感したんです。


『・・・このごろの学校教育というのは、個人を大切にしようとか個性を伸ばそうとか、教室によく大書してあるんですね。僕が「こんなこと、アメリカではどこにも書いていない」って言いますと、みんなものすごくびっくりするんですわ。
アメリカでは個性は大事じゃないんですかと言われますから、いやそういうのはあたりまえな話だからわざわざ書く必要はないんだ、と答えるんです。・・・中略・・・日本では個人ということがわかりにくいんですね。』


私は高二の夏、ある団体の支援する【交換留学制度】を利用してカナダに6週間ホームステイしました。3週間ずつ二つの家庭にステイさせてもらい、家族として受け入れられて生活させてもらいました。
その中でいろいろな経験をさせてもらうそのたびに、自分はどうしたいのかを問われたんです。

例えば、
「明日から4泊5日でバンフ国立公園にキャンピングカーでキャンプに行くけど、あなたはどうしますか?私たちと一緒に行きますか?」
と聞かれる。
置いていかれてもしょうがないし、一緒に行くのは当然なんだから黙っていると、
「YES or NO?自分で決めて返事をして」
って言われるので、一緒に行くのが当たり前と思いながら「YES」と答えます。
どんなときも私の意思を聞き、するのかしないのか、行くのか行かないのか、決定権をすべて本人にゆだねる。そのかわり自分で決めたことは最後まで責任もってする。
いつなんどきも、聞かれました。
私は自宅ではすべて親の意思に従うように生きていたので、自分で選択する余地なんてなかったんですが、その点はきっちり指摘されました。
何をするにも自分で決めなさい、YESなのかNOなのかきちんと言いなさいと。

以前、『NOと言えない日本人』という本がベストセラーになりましたが、欧米ではたとえ子どもでも意思を尊重される社会が当たり前なんですよね。
日本人は家長に従順であれ、と教わって食事一つとってもそうでした。
蕎麦屋さんに行って注文するとき、おばあちゃんが「わたしはざる蕎麦で」というとお母さんは「じゃあ私も同じく・・・あなたたち(子どもたち)もそれでいいわね。」で終わってしまうというのはどこにでもある風景だったんじゃないかと思うんです。
うちはまちがいなくそうでしたし、実家じゃあ今もそうですから自分の意見なんて通りませんよね。

「お父さんお母さんの言うことをよく聞いて・・・」「先生のおっしゃることをよく聞いて・・・」
その上で自分で考えなさい、なんて成人してから急に言われるからハチャメチャな大人になってしまう。ゆえに「日本人は未成熟なまま大人になっている」と諸外国から言われてしまうんじゃないでしょうか。
親も先生も「私はこう考えるけどあなたはどうですか?」と考える時間を持ってくれたとしたら、それだけで尊重されてるような気がすると思うんですが・・・。

欧米(タカ&トシじゃないけど)では小さい頃から個人・個性(自主性)を大事にしているんですね。だから責任感だって強くなるでしょう。
個人を受け入れる環境と個性を尊重する社会にあるからこそ、自由な発想も生まれるんだと思います。
連帯感やチームワークももちろんつきます。自分が尊重されているからこそ他人のことも尊重したり気にかけたり、助け合いの心だって育つでしょう。

だからって日本社会がまったくいけないということではないと思います。
日本の繊細な美術(技術)というものは、個性を前面に押し出せない日本社会だったからこそ内面的に生まれたのかもしれませんよね。



その6週間で(自分で自分のことを決めてこそ真の自由ありきだ)って感じました。
誰の影に隠れなくても、私はこう思うって言えばみんながわかってくれるという体験をして、人生観が180度変わりました。
ただ、そのためには周囲が意見を聞く耳を持つって事も大事なんです。
意見を言って退けられる経験を積んでしまうと言えなくなってしまうし、また人に従ったほうがラクだと思ってしまうんですよね。
そこには封建社会しか生まれませんね。

現在の日本はずいぶん個性重視が浸透してきているように思いますが、それでも根本的な教育の現場ではどうなのか・・・
自治体や学校次第でずいぶん環境が異なる日本の教育はどこへ漂流していくんでしょうか?着地点は見つけられるんでしょうか?

今年はそういう点などについて少し勉強してみたいと思ってます。


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理解者を引き寄せる

2010-01-21 | 思うこと
初売りを避けて、三日に買い物に出掛けた時のこと。

去年行って以来気に入っている某百貨店の男児服売り場(ナイキショップ)に、今年も出没してみたわけですが・・・

P助の服はだいたいすぐに決まるけど、M太のはどれをとっても(着ないだろうなぁ)(長袖は着ないし・・・)と選べないんですよ。
だっていまだに半袖Tシャツ一枚なんですから・・・

念のため店員さんに「半袖はまだ出てないですよね〜・・・」と聞いてみると、
「あ〜あったかもしれないから出しましょうか〜」
と倉庫から持ってきてくれました。

じゃあM太の分はそれね、ととりあえずレジを通してもらうことに。
店員さんの横でなんとなくグダグダと「長男はいまだに半袖で気難しくて・・・(中略)学校にも行かなくなったこともあって大変で〜
と話しちゃったんです。
最初は「あ〜そうなんですか〜」と適当に合わせて聞いてた店員さん、中央レジから帰ってきて、
「不登校になる子供って根が真面目で一生懸命やらなくちゃって思って疲れたりするんでしょうね。」
とさっきの話に乗ってきたんですよ。

ただ真面目なだけじゃなくて、発達障害が邪魔してたり本人のこだわりによって学校が居心地が悪くなることがあるって話をしたんです。
(今は転校して理解ある学校で頑張って行けるようになったけどね)
と話していたら、

「息子さん、強いんですね。一度ダメだと思ってもそこから這い上がってきたんですよ。強い精神があるんですよ、きっと

って言ってくれたんです。
そのへんから、店員さんご自身の体験を少しずつ話されたんですよ。


少し前に『うつ』になって辛かったこと。自分でも心因性だと思ったから心療内科に行ってみたら『更年期によるうつ病』と診断されてそれ以来心療内科に通っていること。ずっと周りにはそのことを隠していたけど、あるとき友人に話してみたら意外にも周囲にそういう人が何人もいて、辛い気持ちをわかってくれる人たちと出会えたことで自分も立ち直りつつあること。


「何と言っても周りの人の理解があればこそ自分を持ちこたえることが出来るのよね。」


そういえば彼女(店員さん)の印象はよく言えば落ち着いた感じ、失礼ながらやや沈んだ雰囲気があってフツーに「これなんかどうですか〜いいでしょう」ってノリではなかったんです。
あ〜これは彼女の話しを聞いてあげなくちゃ・・・って思った私。
彼女もそう思ってくれたんでしょうね。
それから延々話し込んでしまい、彼女も他のお客さんの接客もせずにずーっと私の話しを聞いてくれたり自身の体験を話してくれたり、まるでずっと以前から友達だったように話してしまいました。

結局、同じ経験を経た人にしかわからない辛いことがたくさんあるけど、お互い頑張りましょう・・・てな具合で話し終えたのは1時間後くらいだったかも

結果、彼女がどうだったかはわからないが、私は意外な場所で心を開いて話せる時間が持てて(そのときは)気分がスッキリしたんです。

のちのち、なんであんなところで行き当たりばったりの人に話しちゃったんだろうってすごく気恥ずかしくなったんですが
お互い抱えている問題がメンタル面であることが多分にあるから、わかりあえたというところかな。


   (辛さをわかってくれる人を引き寄せた)


河合隼雄さんの著書で、
「・・・そういう人(精神的に病んだ人)にお会いすることによって、ぼくの病いも癒されているということがたいへん多いと思います。この仕事(臨床心理学者)をしなかったらぼくはおかしくなっていると思います。」
と語っておられるとおり、人間は話して通じたことにより安堵を得ることで相互に治癒していくことが可能なのだと思います。

そういう点でも、今後もM太の周囲を固めていく必要性を感じました。


(それにしても新年早々何をやってるんだか・・・)と恥ずかしくなりながら帰宅した私。
M太に買った服はサイズが合わず(ショップは少し小さめだから)、見事に却下・返品となったのでした
(ちなみにショップの洋服はスーパーにおいてるものに比べ、お値段もいいけど品質もとても良いので毎年1〜2枚くらい買うんです。)


河合隼雄さんの著書に関しては、また後日書かせていただきますね。(とてもいいことが記されてます)


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診察〜来年度に向けて〜

2010-01-17 | 思うこと
先日二ヶ月ぶりにM太の診察がありました。
主治医は柔和でおだやかな雰囲気の方です。
通院を開始してまもなく4年になります。
が・・・二ヶ月ぶりで緊張したのか、主治医の質問にまったく答えられず、ただ首を縦横に振るだけでした

   それはさておき・・・


現在の状況(あまり交流クラスには行けてないこと)や、6年生になってからの所属(特学か普通クラスか)をどうするかについてを主治医と話してきました。

今現在、学力に関してはついていけないということはないはずなのに、なぜ交流クラスの授業に行けないのか・・・

   私 ・・・ 『特学が居心地がいいからでしょうか』

  主治医 ・・ 『嫌な状況から逃げているというか、避けているのではないだろうか』


居心地がいいのもあるが、普通クラスの授業はどうやらM太にとっては辛いらしいのです。
一年の終わりから入って行けなくなったクラス・・・
何度「どうしてイヤなの?」と聞いても、

「なんとなく・・雰囲気がイヤ」

としか言わないのですが、M太にとってやはり一年のときの辛かった印象が尾を引いているとしか思えません。
何度となく、
「どうして行けなくなったのか原因がはっきり分かれば、それを自分なりに克服して行けるように頑張れるのになぁ」
と言うM太。

最近、当時の担任の先生のことやクラスの様子をぼんやり思い出したりするようで、
「子どもたち(クラスメイトなんですが)が落ち着かなくて先生がそのたびに怒ってて、それがイヤだったのかもなぁ・・」
と言いつつ、
「それならもう大丈夫なんだけどな〜。みんな高学年になると落ち着いてきて授業中静かだもんね
と、およそ小学生とは思えないような口ぶりです。

まぁ、経緯を把握している親から言わせてもらえば、様々な要因が積み重なっているわけで、全部を明かしてしまうとM太が混乱するでしょうから言いませんが、もうそろそろクラスに溶け込める年齢になっているんじゃないかと思うんですがね。


中学を視野に入れるならば、やはり6年生から普通クラスに慣れていけるようにすべきなので、徐々に本人の自覚を促すようにしたほうがいいのでは・・とのお話しもありました。

中学については本人が望む学校がある点、行けたとしても授業についていけなくなった時のことなども考えておく必要がある、との懸念もありました。
この点は、一応中学の説明などから、「そういう生徒に対しても補修を行うなどして生徒一人ひとりを置いていかないように配慮します」との受け入れ姿勢をお伝えしました。(実際はどうなのか定かではないですがね)

学校名などは主治医には伝えました。もし何らかの私が知り得る以外の情報を主治医が得ることもあるでしょうから、その際は教えていただきたいとの思いからです。


私の心配は、

(もし普通クラスに行ってまたイヤになったら、また家に帰ってきて荒れる生活になるかも。それならば苦手なことは避けて通れるように親が逃げ道を作ってあげたほうがいいのではないだろうか。)

なのですが、主治医の見解は、

イヤなことから逃げてしまえば結局は集団生活が出来ない人になってしまうから、それをうまくさせるためには担任の先生との信頼関係とかで乗り越えさせるべきです。

と、ややきびしいご意見ですが、確かに必要なことだとも思いました。
将来生きていくために必要なコト。

もちろん、この点は担任の先生の方針とも同じです。
お恥ずかしいことに、親(私)だけが逃げ腰です(荒れて廃人のようになってしまったころを思い出すと、ゾッとしてしまうから・・・トラウマです


同日の朝、来年度のことについて校長先生との面談もありました。(担任の先生のおかげです)

M太のことをよく理解してくださっており、さらに「まったく我が儘なお願いをしなくてはならず申し訳ないかぎりで・・・」と述べると、

「いやいや、M太くんを育てるためにはお母さんはどんどんわがまま言っていいんですよ。それじゃなきゃM太くんのためにならないから。」

との暖かいお言葉に思わず涙がこぼれました
前の学校での辛かったことなども話しました。
一時間近く話して、初見に(校長先生に関して)誤解していたことが溶けてなくなっていきました。

コミュニケーションは大事なことですし、自分の意思をはっきり伝えることも大事ですが、こうして真摯に聞く耳を持ってくださる先生方がこの学校に多くいらっしゃるのは本当に有り難いことです。


最後に・・・

徐々にM太の意思が固まってきているようです。
先ほど塾の送迎時にも、
「算数は楽しいよね。中学だって頑張りたい。だからやっぱり6年生は普通クラスで卒業したい
と決意表明がM太の口から出ました


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思い立ったら『イルカ』

2010-01-09 | 作品集
昨年暮れのある夜、夕食後「お風呂に入ったら?」の声に、
「待って〜あと少しでこれが・・・」
と作っていたのが『イルカ』です。

      

手のひらサイズでかわいいイルカです。

「ちゃんとタイヤもついてるんだ〜」
ちゃんとって・・・



背中がフタになっていて収納できるんですって。
「印鑑(ハンコ)入れに丁度良いサイズね
と言うと、まだ印鑑なんて使わないお子様だからかピンとこなかったようデス



正面から撮影した顔。
バランスがいいと思う母ですが、いかがでしょうか




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回想・そして新年に想うこと

2010-01-02 | 思うこと
新年あけましておめでとうございます

今年もつれづれに綴る想いにお付き合いくださいますよう、心よりお願い申し上げます。


このブログも二年目に突入いたします。
お越しくださる皆様の応援のおかげと、感謝しております。


思えばM太3歳の頃より、親バカではあるけれどブロックで作る作品の数々を、
「イヤ〜こりゃあたいした才能だ。こんな子がいるということをいろんな人に知ってもらえたらなぁ。」
と思っていたことが、ブログという表現の場をお借りして掲載させていただく運びとなったのでした。

毎日のようにいろいろな作品を作っては私に見せてから壊す・・・壊す瞬間をおそらく最初の頃はいたたまれない気持ちでいたかもしれません。
私もついつい、
「え〜こんなに良く出来たのに壊しちゃうのはもったいないね〜」
なんて言ってたものだから、それ以来M太は壊す前には必ず、
「これもう壊してもいい?」
なんていちいち聞くようになっちゃったんです。

(え〜そんなこと自分で決めてよ
と内心うっとうしく感じるように・・・。
そこで、作品を写真(できればデジカメ)で撮って残しておこうと思い立ち、このためだけにMyデジカメを買って撮影するようになりました。

ブログ掲載をイヤがるかな・・と最初は内緒にしてましたが、

   実はM太の作品がこんな風にパソコンで見れるんだよ〜

と教えると、意外にもモチベーションアップにつながり、ややプレッシャーも感じつつも撮影をせがむ(半ば強要する)ようにまで自信をつけてきました。


M太のみならず、話下手な私にとっても皆様に気持ちをお伝えする手段として活用させていただいております。
(いったい何のためにブログ開設したの???)
と思うくらい私自身の気持ちを書き続けることとなり、もっと級友たちにも見てもらいたいというM太の願いを退けざるを得なくなり本日に至ります

パワーがあれば、いずれM太の作品だけの場も作って行きたいと考えております。

ご覧になってお感じになったことなどをコメントしていただけましたら幸いです

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再燃 〜レゴで冬物語〜

2009-12-31 | 作品集
大変ご無沙汰してました。
久々に『レゴ作品』掲載させていただきます。

しばらく作らない日々が経過し、もう卒業しちゃうのかな・・・とこのブログの行く末さえも案じていた母でしたが、冬休みと共に再燃デス

たぶん・・・二学期の後半から疲れてきていたんでしょうね。
「レゴは疲れるからね〜」
と時々言いますから、やっぱり頭を使っているんでしょうね






M太の仕掛けが炸裂です(大袈裟か・・)
クレーンのような車体を開くと、階段が出てくるんだそうです。

〜将来ロボットを作りたい〜M太の夢のひとつなんです。
そう言うだけあって作るものがロボットっぽくなってるんですが、これはどちらかというと産業用ロボットみたいね・・・と思いました。

先日の『ロボコン高専部門』も、遅い時間帯でしたがしっかり見てました。
M太は20年後、どんな作品を作っているんでしょうね

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皮膚感覚の麻痺なのか?

2009-12-28 | 思うこと
毎冬恒例、『M太の超薄着記録』の更新について。


今年もハラハラする冬到来。

M太の毎朝の身支度、および服選びはごく簡単である。

  
   パジャマとシャツを脱ぎ捨て、半袖Tシャツを頭からかぶる。
   ズボンも靴下もハンカチも、夏の身支度と全く同じ。 

   
変わったのは(加わったのは)時々私が、
「今日はとても冷え込むそうだから、長袖の服にしたらどお?」
と口を挟むことくらい。

時々なのは、毎日言うのが無駄だとわかっているから・・・。

そして、ハラハラするのは(風邪をひいちゃうんじゃないか)という心配ではなく、世間の目。
(あの子は親が気が利かないからいつまでもあんな風に半袖でいるんじゃないか)と大多数の方に思われているような気がして、恥ずかしいから止めてほしいのだが・・・


いまだに半袖Tシャツ一枚しか着ないのである

この真冬に


   なぜ?どうして?


親の私が聞きたい


   シャツ(肌着)も着ずに半袖Tシャツ一枚で、それでも暑い暑いと汗をかいてるのはどこかおかしいの???


先日P助の同級生のお母様と立ち話した際に、
「あぁ〜、子供の頃私の同級生でもいたわよ〜、冬でも半袖だった子。2〜3人知ってるわ〜。(寒さに)慣れちゃうのかしらね。」
と何てことなく話してくれたけどね

いまだに、M太の周りだけは南国の空気が漂う昨今・・・なのだ



   なぜでしょう???


たぶん、夏から秋を経て冬への感覚的な切り替えがうまくいかず、どこかで長袖服を着るタイミングを失ったままなのかもしれない。
切り替え=変化に対応出来ないM太。
例えば、去年の冬はある時点からコートを着たのだが、春先までずーっとそのコートを着っぱなしで、コートを脱ぐという変化に対応できていなかった。
3月下旬まで中綿のコートを着ていて、クリーニングに出すという理由で脱がせたような気がする。

いや、案外冬でも半袖で十分だな〜なんて皮膚が適応してしまったのかな?
そんなところで適応しなくてもいいのに・・・

それだから、子供服売り場に行くたびに、
(このプーマのフリースなら着てくれるかも
とあれこれ買って来てはM太の肩に羽織らせてみるのだ。
結果、3着買ってきて、普段着としては全敗中

さすがに朝の冷え込みには負けるらしく出掛けには羽織っていくのだが、帰りにお迎えに行くとお約束のように半袖で現れる。
手提げに長袖の服が押し込まれてるのはまだいいほうで、時々教室に忘れて来たりするから要チェックなのだ。

皮膚感覚的にもフツーと違うのかな?
暑いって汗をかいてる時もある、12月。

いつまで半袖なのかな・・・

M太自身も「ワァ〜12月もまだ半袖でだいじょうぶ〜」と驚いていたんだ。

彼が意味するのは【暑がり】ではなく、もはや【地球温暖化】なのか


呆れてもう他人事になっている私は、年明けのいつまでこのままの調子なのかトクと拝見してみよう、と開き直っている。

・・・であるから、皆さんも温かい目で眺めてやってくださいね。



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クリスマスの夜に・・・☆

2009-12-25 | 思うこと
我が家にはもうサンタクロースは来ないかもしれません。。。

なーんて書いちゃうと(子供たちがかわいそうじゃないか)と反論の声がたくさん返ってきそうですが、おもちゃを持ってくるは来ないということです。

それもこれも去年のクリスマスイブの大事件が発端ですから・・・



【真夜中の号泣事件】

去年よりもずっと前から、うすうす感づいてたんでしょうね。
M太がやたらと、
「サンタクロースなんていないんだよ。ママかパパが買ってきたものを枕元に置いておくんだよ。だから欲しいものをママやパパに言っておけば何でももらえるんだよ。ただしあまり(値段が)高いものはもらえないかもね。」
とか、なんとなく大人からすると面白くないことを言い出したんです。

いつまでもサンタクロースの存在を信じててほしいなぁと願う親の幻想とは裏腹に、M太の超現実的な発言に血管がブチ切れしたんです。


(あーあ、そうかい・・・ならばサンタは本当に欲しいものなんか持ってこないのだということを教えてあげちゃおうじゃないか

子どもの希望(ゲームソフト)よりも親の理想(外遊び出来るようにグローブと)を枕元に置いてやりました。


結果・・・
夜中の2時頃だったでしょうか。
M太のすすり泣く声音で目が覚めました。
(欲しくないものがあったから。。。)とすぐにわかりましたが、まさかそういう展開になるとは思ってもいませんでした。
欲しい物以外は受け入れられないM太は、
「M太が欲しかったものがひとつもない。こんなものいらない。こんなものを買ってきたなんてあんまりひどすぎる
と泣き続けました。
「サンタさんはきっとM太の体のことを考えて、もっと外で体を使って遊んで欲しいと思ったんでしょうね。」
「欲しくなかったとしても何も貰えなかったわけじゃないんだし、そういう時だってあるんだから。」
といくら説得しても納得してくれませんでした。

予想だにしなかった展開に腹立たしくなりながら、
「こんな夜中にいい加減にしてよ
と言いながらも(しまったフツーの感覚ではないM太に大変なことをしちゃったよ)と後悔したのは、親のほうでした。

決して、欲しい物を我慢させたわけではないんですよ。
だって数日前、祖父母や親からのプレゼントとして『任天堂DSi』を買ってもらったばかりなんですから・・・
(そのうえ他にも欲しい物だなんて
物欲もいい加減にしてほしいと思った私、とどめの一撃を刺したはずが逆にうちのめされてしまった格好に・・・



今年から、
【我が家に来るサンタはお菓子しか持って来ません。欲しい物は親が買ってあげることにします。】
という約束をしました。
だって、去年の悪夢がトラウマになったM太が、
「今年は本当に欲しい物がもらえるかどうか、ママが買うんだったら一緒に買いに行くし、もしもうすでに買ってたとしたらクリスマス前に見せて欲しい。」
と、疑って疑ってうるさくてしょうがなかったんだもの。
サンタが来るのを楽しみに待っているP助の気持ちなんてちっとも考えず、自分勝手なことばかり言うM太に閉口した私の敗北でした

サンタがいたとしてもいなかったとしても、真夜中に枕元にそっと何かが置いてあるだけで、それだけで嬉しい気持ちになれるんじゃないかと思うのは、私が純粋すぎるだけなんでしょうかね

去年のクリスマスの夜は、M太の脳裏に苦い思い出となって一生残ったことでしょうし、私にとっても現実を見たイヤな出来事として忘れられないものとなりました
 
今年は欲しい物を11月にゲットしたM太とP助。
サンタは大きなお菓子袋を枕元に置いて行きましたとさ。


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持久走大会にて

2009-12-11 | 思うこと
先日M太とP助の学校で持久走大会がありました。
新型インフルエンザの影響で、二日に分かれて行われました。

P助は少しでも順位を上げたいと、大会が近ずくにつれ、
「ちょっと近所を走ってくるね。」
と練習した甲斐あって(?)昨年より6番早くゴールしました。

当日、
「ママは応援に来てもいいし、おうちで心の中で応援しててもいいよ。」
などと言うものだから、(ハハ〜ン、あまり親に見られたくないんだな・・・)と思った私は人垣に隠れながら見守りました。
校庭に入って気を緩して何人かに越されてしまい(最後まで気合入れて走ってよ〜)と、ちょっとがっかりでした。
真顔で応援に来てって言われてたらそれこそ大声で、
「いまだ〜追い越せ〜
って叫びたかったんですけどね


一方M太たちは学年でインフルエンザが流行っていたことから、10日ほどあとに行われました。
前日から「明日は学校に来てね(応援してね)」と言ってましたし、調子の良い事を話していたので、
「前を走ってる子を追い抜けたら追い抜こうね。」
と私も自分の子供時代を思い出しながらアドバイスしたんです。

当日は快晴で、風も無く穏やかな日和でしたから(P助たちもそうでした)、大勢の父兄が応援に来ていました。
校庭でスタートしたときは快調な走りっぷりだったのでホッとしたのですが、次第に不安がよぎるように・・・
沿道で次々に走り抜ける子供たちに声援を送りながら、(M太は大丈夫だろうか・・・)と不安いっぱいで私は泣き出しそうになりながら待ちました。
第一・第二集団が走り抜けてだいぶしてから、ようやく姿が見えてきたんです。

期待こそなかったものの、ドキドキと不安と不満(後述します)とで泣きながらM太に声をかけてしまうんじゃないだろうか・・・と感情をこらえて待ってましたが、担任の先生が伴走してくださっていたのが見えて一気に不安が吹き飛びました。

のちに「だんだんみんなから離れてしまうM太さんをこのまま一人で走らせていいんだろうか・・・と思って一緒に走りました。」と先生から伺いました。
親としてはとても心強かったです。

   先生、ありがとうございました

自分に負けないように戦う姿勢は正しいと思うけど、足がもつれそうになりながら先頭集団に一周も差をつけられているM太は、かわいそうと言うより情けなかったです。
身体機能が劣っているせいか、普段から体を動かすのが嫌いな子供なので体力がないんです。
結局最後は独走態勢でしたが、どうにか走りぬきました。



前述の【不満】【情けない】発言についてですが、これは自慢にも言い訳にも取られるかもしれませんが・・・(感じ悪かったらゴメンナサイ
私は持久走が好きでした
短距離はどんなに頑張っても身体機能的に無理があると諦めた義務教育時代、長距離は努力と忍耐でどうにでもなるものなんだな・・・と気付いたからなんです。
だから体育の時間に「今日は持久走です。」と言われると、みんなが(あ〜あ)と一斉に不満顔になるのを尻目に(ヤッター今日は楽勝)って思ってました。
順位はそれほどでもなかったけど、一度だけ6位(90人くらいの中で)だった年がありました。
私の数少ない輝かしい思い出です

何事も頑張れば報われる・・・とは、特段目立った才能の無い輩(私)が言うことなのでしょうが、今でも(努力と根性)で持ちこたえてます。

M太にはみんなには無い才能があるけれど、劣る部分も日に照らされてしまう義務教育時代です。

それでも(嫌なことから逃げ出さず自分なりに努力して結果を出した)ことは素晴らしいことだったんじゃないでしょうか
勇気を出して最後まで走りぬいたことは、今後の人生の励みにもなるでしょう。


どちらの持久走大会のあとも、帰宅後でお祝いしましたよ



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