リーガルカウンセリング(心療法律相談)

リーガルカウンセリング(心療法律相談)の道標

「代理人」の意味

2012-02-26 20:09:56 | リーガルマインド
「弁護士」は職業名であって、与えられた使命によって呼称は変わる。
刑事事件では「弁護人」と呼ばれ、少年事件では「付添人」と呼ばれ、民事事件では「代理人」と呼ばれる。
「弁護人」という呼称は、被疑者・被告人を弁護する使命を適切に表すものである。
「付添人」という呼称も、少年の健全な成長を支援する使命に相応しい呼称だと思う。
「代理人」という呼称は、どうだろうか。

新人弁護士に質問してみた。
「代理人とはどういう意味ですか」
「本人に代わって本人のために法律行為や訴訟行為を行い、その効果が本人に帰属するということだと思います」
この新人弁護士の答えはまちがってはいない。

分かったことは「代理人」という呼称からは「社会正義の実現」や「基本的人権の擁護」といった使命を連想することはできないということである。

呼称は使命を象徴し、呼称は活動を方向付けるものである。
呼称はそれほどエネルギーを持つものである。
呼称に使命が込められていなければ、使命感に基づく活動を期待することも難しくなる。

「代理人」ではない何かもっと使命を象徴するほかの呼称がないかと探していたら、キリスト教徒のラテン語の祈りに「avvocata」という言葉がしばしば登場し「代願人」と翻訳されていた。
イタリア語の辞書を紐解くと「avvocato」は「弁護士」とある。また「Avvocata」は「聖母マリア」とある。
聖書ではイエス・キリストや聖霊は「弁護者」「代願人」とされている。

果たして、聖母マリアやイエス・キリストほどにクライアントのために祈り、その願いを実現すべく裁判所に取り次いでいるのかと問われれば誠にお恥ずかしい限りだが、「代願人」との呼称は、民事事件における弁護士の使命を象徴し活動を方向付ける呼称として相応しいもののように感じられた。



弁護士倫理第7条

2011-07-15 15:56:24 | リーガルマインド
受任している医療過誤訴訟で敗訴判決が下された。

裁判所は、入院中の患者の食道に人工呼吸器のチューブが誤って挿管されており、そのため患者が医師の目前で窒息死していく状況にあったことは認めたものの、人工呼吸器のチューブの誤挿管に気がつかなかった医師には過失がないと判断した。

この裁判所の判断の当否については、意見の分かれるところだろう。

ただ、裁判所は軽々にこのような判断を下したわけではない。
悩んで悩んで悩みぬいて、この判断に至ったのだろう。
裁判所の職務執行の誠実性に対する信頼は、弁護士が職務を行う上では不可欠だと思う。

訴訟当事者が真摯に攻撃防御を尽くし、最終的には裁判所の判断によって結論を決める。
訴訟という紛争解決システムは人類の考案したシステムであり、もとより完全でも万能でもない。
そのような不完全な限界のあるシステムを何とかうまく機能させて、基本的人権の擁護と社会正義の実現を図らなければならない。
そのような思いを、法曹は共有しなければならない。

裁判所が出した判断も、不完全な限界のあるシステムを経たうえでの一つの見識である。

弁護士職務基本規程の前身の弁護士倫理は2005年4月1日に廃止されたが、その第7条には次の規定が置かれていた。

(真実の発見)
  第7条 弁護士は、勝敗にとらわれて真実の発見をゆるがせにしてはならない。

敗訴判決が下されたとき、まず弁護士としてなすべきは、自らの主張立証に不足はなかったかを謙虚に反省することである。
「不当判決」との垂れ幕を持って裁判所の入口からテレビカメラに向かって駆け出してくることではない。
「不当判決」との言葉は、裁判システム自体を自己否定する言葉であり、弁護士も裁判システムの一翼を担っていることを失念している。


職務の自由と独立

2011-01-30 22:45:52 | リーガルマインド
弁護士が基本的人権の擁護と社会正義の実現という使命を達成するため、弁護士の職務に不可欠なものは何か。

弁護士職務基本規程は、前文で
「その使命達成のために、弁護士には職務の自由と独立が要請され」る
と述べる。

したがって、弁護士の使命達成に不可欠なものは「職務の自由と独立」である。


では「職務が自由である」「職務が独立である」とはどのような場面で実際に問題となるのか。

弁護士職務基本規程は、第20条(依頼者との関係における自由と独立)で
「弁護士は、事件の受任および処理に当たり、自由かつ独立の立場を保持するように努める」
と謳う。

また、弁護士職務基本規程は、第5章(組織内弁護士における規律)第50条(自由と独立)でも
「官公署又は公私の団体(弁護士法人を除く。以下これらを合わせて「組織」という。)において
職員若しくは使用人となり、又は取締役、理事その他の役員となっている弁護士(以下「組織内弁護士」という。)は、
弁護士の使命及び弁護士の本質である自由と独立を自覚し、良心に従って職務を行うように努める」
と定める。

つまり、「自由」と「独立」は、主としてクライアントとの関係でとりわけ問題となるのである。

クライアントは紛争当事者である。
文字通り紛争の真っ只中にいる。
そのため、クライアントは、自己の感情に押し流されてしまう。
周りを見渡す余裕などない。

だからクライアントの意向は、ともすれば自己中心的なものになりがちである。
クライアントの意向は、紛争の相手方や関係当事者の基本的人権の保障という理念から大きく外れたものであったり、
社会正義に反する不適切な意向であることも、ままある。

弁護士の職務は、そのようなクライアントの意向を盲目的かつ無批判に実現することではない。
基本的人権の擁護および社会正義の実現という使命を貫徹するためには、受任しないこともあるし、
クライアントの希望する事件処理方針が基本的人権の擁護及び社会正義に反するときには、
クライアントと大喧嘩することもある。
これは「基本的人権の擁護」「社会正義の実現」という堅固な岩の上に立って弁護士が職務を行っていることの証でもある。

足元のしっかりした堅固な岩の上からでなければ、周りを見渡すことも、川で溺れているクライアントを見つけることもできないし、
堅固な岩の上から手を差し伸べるのでなければ、急流で流されていくクライアントを救い出すこともできない。

弁護士の使命 第2 社会正義の実現

2011-01-15 15:24:20 | リーガルマインド
弁護士の使命の第2は「社会正義」の実現である。

金満家の「正義」
暴力団の「正義」
テロリストの「正義」

「正義」の名で語られることは多い。
しかし、個々人が「正義」と思うところを実現することが弁護士の使命ではない。
弁護士が実現するのは「社会正義」である。

「社会正義」とは、社会規範たる法が実現を予定する正義である。
社会規範たる法は社会調和が実現されることを目指している。
富の偏在が是正され、違法行為が抑止され、安全が確保される社会
すべての人が各々の幸福を追求する前提条件が整備・確保されている社会
社会規範たる法は、そのような社会の実現を予定しているのである。

すべての人の基本的人権が擁護されている社会が、社会正義が実現されている社会である。
社会正義の実現を阻害する活動は、外形上、基本的人権を擁護する活動に見えても
その実、基本的人権の擁護に名を借りた活動に過ぎない。

「個」を扱う弁護士ではあるが
「個」に与えられた結論は時として「全」に対しても多大な影響を及ぼす。
いかに判決が個別的効力を有するにすぎないといっても
判決が国の判断である以上は、その影響力は社会全体に及ぶのである。

「個」が「全」に及ぼす影響
「全」が「個」に及ぼす影響

弁護士が職務を行う際には常にその双方を考える必要がある。


弁護士の使命 第1 基本的人権の擁護

2011-01-10 21:10:36 | リーガルマインド
弁護士の使命の第1は「基本的人権の擁護」である。

憲法は、過去に侵害されることが多かった「基本的人権」をカタログとして掲げ保障する。
明文化された人権は、歴史の産物でもある。

だから、時代が変われば、新しい権利を基本的人権と観念し、あるいは、
これまでの保障内容や保障範囲を時代の要請に応じて見直し、広げ深める必要も生じてくる。

このように「基本的人権」は、生き物のように成長していく。

何がその時代の「基本的人権」であるのか、それを見出す使命を弁護士は負っている。

「基本的人権」の健全な成長を促す使命を弁護士は負っている。
何でもかんでも「基本的人権」の侵害だと声高に叫ぶことは、かえって「基本的人権」の不可侵性を脆弱なものにしてしまう。
それは「基本的人権」の「擁護」ではない。

「擁護」は、自ら盾となり、不正な侵害を排斥する積極的な行動である。
何が不正な侵害であるかについて、見極める力も必要になってくる。
「人権感覚」は「バランス感覚」でもある。

もっとも「基本的人権の擁護」は、難解な話ではない。
なぜなら、実務家の目の前には、具体的事件があるからである。

事実に深く立脚する。
すると、おのずと何が擁護されなければならない基本的人権であるかが浮かび上がってくる。
大切なことは、事実を掘り下げることである。
事実を掘り下げた結果として、「基本的人権の擁護」が得られるのである。
基本的人権の擁護を、抽象的な目標として掲げるよりは、
事実を掘り下げた弁護士が刈り入れる実りと位置付けるほうが良い。

畢竟、弁護士の使命は、まずもって事実を掘り下げることである。
事実からは、何が正義、公平に資するかの価値判断が導き出される。

この価値判断を法律構成に乗せ、守られるべき社会的利益に法の強制力が付与されたとき
まさに正義は実現し、基本的人権が名実ともに擁護される。
あたかも設計図で描かれた建築物が建つように、基本的人権の擁護は具体的な形を得る。

基本的人権が擁護された瞬間の深い感動を味わうこと、
この経験が、弁護士が使命にふさわしい職務を行い続けるには、不可欠である。



リーガルマインドの明文化としての弁護士職務基本規程

2011-01-06 20:00:09 | リーガルマインド
「良いリーガルマインドが何か」については、実は明文化されている。
弁護士職務基本規程がそれである。
 
弁護士職務基本規程には次のような前文が置かれている。


弁護士は、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする。
その使命達成のために、弁護士には職務の自由と独立が要請され、高度の自治が保障されいている。
弁護士は、その使命を自覚し、自らの行動を規律する社会的責任を負う。
よって、ここに弁護士の職務に関する倫理と行為規範を明らかにするため、弁護士職務基本規程を制定する。


一見、一般的・抽象的に見える弁護士職務基本規程には、実は、
無数の先達の具体的な実務経験から得られたを知恵が驚くほどに詰まっている。

味噌や醤油が料理に不可欠であるように、
弁護士職務基本規程は弁護士の職務にとって無くてはならないものなのである。

リーガルカウンセリングとリーガルマインド

2010-12-31 06:32:44 | リーガルマインド
リーガルカウンセリングが実とすれば、リーガルマインドは木である。

良い木は良い実を結ぶが、悪い木は悪い実しか結ばない。

だから良いリーガルマインドを持つことが、良いリーガルカウンセリングには不可欠である。

では、どのようなものが良いリーガルマインドなのであろうか。


運動論について

2010-05-05 09:21:30 | リーガルネゴシエーションの基礎
自閉症の息子が旅行中、観光バスに轢かれ、重篤な障害を負った。

裁判では、息子の自閉症をどの程度の既存障害とみるかが争点となり、激しく争われた。
双方の主張・立証が尽くされ、いよいよ裁判所から和解案が提示された。
その和解案はこれまでの父母の主張・立証にほぼ沿う内容だった。
観光会社はこの和解案を拒絶し、次回さらに反論を展開する旨述べた。

母は打ちのめされ、悲嘆にくれた。
いつまでこの闘いが続くのか、もう母に力は残っていなかった。
そんな母の姿に、父は耐えきれなくなったのだろう。
「観光会社に対して裁判外で何らかの圧力をかけることも有効ではないか」と質問してきた。
私は次のように回答した。


メール拝見致しました。

お父様のお気持ちは痛いほど良く分かります。
そのような思いを観光会社にも認識していただきたいと思う気持ちは私も同じです。
そして、運動論や政治的な働きかけによって裁判の結果に影響を与える手法は、よく採られているところです。
ハンスト、ビラ配り、署名集め、国会議員に対するロビー活動、座り込みなどの手法です。

これらの手法の効果がどれほどかについては、検証されていないのでよくわかりませんが、私は、個人的には、これらの手法を用いるべきではないと考えております。
政治的な圧力をかけることによって結論を導くのではなく、現実に起こった事実の持つ重みそのものから結論は導かれるべきと考えているからです。

正義、公平、原理原則、良心、この4つの力によって結論は導かれるべきと考えているからです。

この4つの力から結論がピュアに導かれるのでなければ、たとえ有利な結論を得たとしても、爽やかにその結論を受け入れられないのではないか、政治的な力で押さえつけて得た結論では、かえって気持ちの上ではモヤモヤした部分が残ってしまうのではないか、事実の重みや裁判の純粋性、峻厳性がかえって減殺されてしまうのではないかと思うのです。

正義が貫かれ、公平が実現され、原理原則どおりの結論に至った、心底そのように感じられるのは、政治的圧力を排除して得られた結論に対してではないかと思うのです。

観光会社が支援者集団の力に屈して和解案を受け入れるということは、私は望んでいませんし、それでは私は納得できません。
観光会社に対しては、和解案が正しい結論だという理由でこそ和解案を受け入れて欲しいと思うのです。

私は「駆け引き」はしません。

何が正義であり、何が公平であり、何が原理原則に適うものであるかを、裁判官の良心に訴えかけること、事実の重みそのものを裁判官に分かってもらうこと、それが弁護士としての正しい闘い方であると常々考えています。

そしてこのような正攻法で闘って結論を勝ち取ることこそ、息子さんのためにも大切なことだと感じています。

父母は落ち着きを取り戻し、腹を据えて闘う覚悟がついた。

その後しばらくして、観光会社から回答が来た。

検討した結果、裁判所の和解案を9割方受け入れるとの内容だった。





修復的司法

2010-03-26 06:26:03 | 紛争の理解
「修復的司法」という考え方がある。
Restoractive Justiceの訳である。
「回復的正義」と直訳した方が、意味が通じやすいかも知れない。

広義では「被害者の被害回復の過程を通じて正義が実現される」との理念に基づく司法手続を指す。

この対立概念は「応報的司法」である。
「被害者が負った損害と同等の害悪を加害者に与えることによって正義が実現される」との理念に基づく司法手続を指す。

思うに、被害者が負った傷は、加害者との和解が無ければ癒されない。

事件によって受けた傷について、誰かに聴いて貰う機会が被害者に与えられること。
自らの被害の回復の手段・方法や事件の背景事実や加害者などについての情報が被害者に与えられること。
加害者と話し合う機会が与えられること。
その話し合いがコミュニティの中で公に行われること。

被害者がこれらの過程を通じて、正義が実現されていると実感することで、初めて被害者は再度社会に対する信頼を取り戻し、コミュニティに帰ってくるのである。

このような過程を被害者が歩む上で、弁護士の果たすべき役割は想像を絶するほど大きく、重い。
被害者が回復できるかどうかは、弁護士がこのような正義の実現という使命を自覚して被害者とかかわっているか否かにかかっている。

弁護士が被害者にかかわることの出来る期間は、被害者が今後歩んでいかなければならない長い人生に比べれば、ほんの短い期間に過ぎない。

しかし、この短い期間は、被害者がその後の長い人生をスタートさせるエネルギーの充電期間であり、この期間に被害者がどのような待遇を受けたかによって、その後の被害者の人生に対するスタンスは大きく変わってくる。

被害者が元気にその後の人生のスタートを切ることができる。
もはや弁護士の援助がなくとも自律してその後の人生を歩んでいける。
その鍵は、弁護士に預けられているのである。

受容からうまれるもの

2009-12-26 07:31:07 | リーガルカウンセリングの基礎
昨日の少年審判でA君は、短期保護観察に付された。
高校3年のとき、A君は万引きで審判を受け不処分となった。
浪人中の今年、今度は恐喝と暴行をはたらき、2度目の少年審判だった。

A君は、中高一貫校の有名進学校に入るためにひたすら勉強した。
そして、念願の中学合格を果たした。
ところが、成績が低迷し、自己評価をどんどん下げていった。
その挙げ句がこれらの逸脱行動となった。

そんなA君の心を変えたのは、補導委託先の老人ホームでのある出来事だった。
A君は私との面接の際、その体験を瞳を輝かせて語ってくれた。

100歳くらいのおばあさんが1時間半くらい自分に話しかけてくれた。
彼女は学生時代からダンスが好きだった。
話が終わる頃、突如、彼女は立ち上がり、A君とダンスしはじめた。

老人ホームの中で、彼女は孤独だったのだろう。
居場所がないと感じていた。
いつも車椅子に座り、押し黙っていた。

そんな彼女がA君を選んだのは、偶然ではなく、A君なら自分の気持ちを分かってくれると思ったからだろう。

A君は彼女を知ってあげた、認めてあげた。
A君が彼女の話を根気よく1時間半も聴けたのは、彼女の気持ちの中に、A君自身の今の気持ちに通じるものがあったからだろう。
彼女の発する「自分を知って貰いたい、自分を認めて貰いたい」という気持ちがA君にも痛いほど分かったからだろう。

彼女は自分自身を取り戻し、立ち上がってA君とダンスを踊ろうとした。
彼女が立ち上がることができたのは、彼女の気持ちの理解者に出会えたからである。
A君が再び立ち上がることができるとすれば、その鍵は、まさに、A君が理解者に出会えるかどうかにある。