開かれている病棟 おりおりの記 | |
クリエーター情報なし | |
星和書店 |
三枚橋病院の思い出3
先の記事で,私は「患者さんや看護婦さんや事務所の人たちに遊んでもらっていた」と書いた。
これらのうち,主な遊び相手は患者さんであった。これは当然のことであって,おふくろを含む職員は忙しく,子どもと遊んでばかりもいられないのである。そうすると遊び相手の中心は,自然に,(比較的)ヒマな病棟の患者さんという成り行きになった。
私は病室にノコノコ出かけて行って,遊んでもらい,時にはそのまま病室でお昼寝させてもらったりしていた。不思議と,遊んでもらったのは男性の患者さんばかりで,女性の患者さんとは遊んでもらった記憶があまりない。たぶん,私自身が,女性の優しい可愛がり方を嫌い,肩車をしてもらったり,プロレスをしたり,仮面ライダーごっこをしたりするのを好んでいたからだと思う。
そして私のような幼児が病棟に自由に出入りできたのも,今思えば,鍵のない「全開放病棟」なればこそであった。
この話をすると,しばしば聞かれる。あるいは,いま,読者にもそう思っている人はいるのかも知れない。「子どもが精神病患者と関わって問題ないのか?」と。もっとはっきり言えば,「危なくないのか?」ということである。
結論的に言えば,そして私の実感としても,何の問題もなかった。
もちろん,患者さんの中には好きな人もいたし,嫌いな人もいた。優しい人もいれば,恐い人もいた。しかし,そんなことは,何も患者さんに限ったことではないであろう。患者さんでなくても,好きな人,嫌いな人,優しい人,恐い人が大人にはいた。そしてそれは,何も私に限ったことでもないであろう。全国の,いや全世界の子どもに共通のことのはずである。
ちなみに,私が三枚橋病院でいちばん嫌いだったのは,若い男性事務職員の「よしのぶちゃん」だった(笑)。よしのぶちゃんは妙に威勢が良くて,大声で子どもを囃し立てるので,恐かった。患者さんより,ずっと恐かった。
病院の特質上,子ども心にもやはり「普通ではない」と思える患者さんもいた。
自己の殻に閉じこもってしまっている人がいた。膝を抱えて座り込んで,長い時間,ひとつの所をずっと凝視しているのである。私は気になって尋ねた。
「ねぇ何してるの?」
「・・・」
「ねぇ何してるの?」
「・・・」
「ねぇ何してるの?」
「・・・」
私の方で飽きて,問題は起こりようがなかった。
いつも錯乱して,奇声を上げながら走り回っている若い女性患者のMがいた。鳥居みゆきという芸人がいるが,あんな感じだ。いつも白いだぼっとした服装をしていて,その点も似ている。ただ,Mはもっと切羽詰まった表情と声をしていた。
もちろん,私はMとは遊ばなかった。遊び相手とは思えなかったし,何というか,子どもである私の「管轄外」という気がしていた。つまり,私には無関係の大人の一人という印象だった。Mの方も,子どもには何ら興味がないようで,私の前はいつも素通りして行った。
私が嫌いなタイプの患者さんが私をかまって,私が泣いてしまうこともあった。しかしその時,すぐに「おい,やめろ!」と助けてくれるのも,また患者さんなのであった。
患者さんは非常に個性的だったが,それはまさに「個性」というのに過ぎないのであって,ことさらに危険視すべき人たちではなかった。少なくとも私は,三枚橋病院で(職員のよしのぶちゃん以外に)恐い思いをしたことはなかった。不幸にして,彼らは精神を病んでいた。しかしその一事をもって,どうして危険視されなければならないのか。彼らがいったい何をしたというので,危険視されなければならないのだろうか。
当時の私は,もちろん精神病という概念が分からなかった。逆に言えば,本当の意味で何の偏見もなく,彼ら患者さんと接していた。そして,私の患者さんに対する印象は,患者さん以外の普通の大人と,ほとんど何も変わるところがなかったのである。それはすでに述べたとおりであるが,患者さんの中には好きな人も嫌いな人もいるし,優しい人も恐い人もいるという,ごく当たり前の印象なのであった。
院長の素晴しい試みが、どうして引き継がれないのか。院長の失敗は、日本に潜む社会の病を知らず、その対応をしなかったことにあると感じております。
このままでは、日本の心病める人たちは鍵部屋に閉じ込められたままでしょう。
ブログほったらかしでなかなか書けませんが、今年中にはあと2~3記事を追加したいと思っています。
>院長の素晴しい試みが、どうして引き継がれないのか。院長の失敗は、日本に潜む社会の病を知らず、その対応をしなかったことにあると感じております。
>このままでは、日本の心病める人たちは鍵部屋に閉じ込められたままでしょう。
私も同じ危機感を覚えております。