暇つぶしに・・・

絵を描いたり写真を撮ったり。

鬼の面

2017-10-14 | 小説/エッセー
岐阜県揖斐郡の伝説に、鬼の面が取れなくなったという話があります。

http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/2363108.shtml


この話をもとにしたパロディーを作りました。


 昔々 あるところにパンダ爺とバニー婆が住んでいました。パンダ爺は警官です。最近、山に鬼が出てきて悪さをするというので、パンダ爺は毎日山へ捜査に行きました。
仕事とはいえ、毎晩帰りが遅いパンダ爺を快く思わなかったバニー婆は、
鬼に化けて爺さんを脅かしてやろうと思いました。

ある晩、バニー婆は山に出かけていきました。木の陰に隠れてまっているとパンダ爺がやってきました。バニー婆は鬼の面をつけてパンダ爺の前に飛び出しました。すると、パンダ爺は驚きもせず、すかさず懐から「パグナム44」を取り出しバニー婆に銃口を向けました。
びっくりしたのはバニー婆です。
「ワオ! アイムソーリー、ソーリー。私、鬼じゃない、バニーだよ、ほら」

 といって、面を外そうとしましたがどれだけ面を引っ張っても外れません。



パンダ爺に追いかけられたバニー婆は野を超え谷こえ、聞くところによりますと、今はこたつと呼ばれている小さな洞窟に隠れているようです。







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原爆の日によせて

2017-08-09 | 小説/エッセー
五年前に書いた作品です。

『天に咲く花』

http://www5.hp-ez.com/hp/sfpd/page44

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医者嫌い 

2017-02-26 | 小説/エッセー

小説サークルにいたときに書いた作品。

「嵐」という漢字を使って何か書けという課題。

 

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最近、具合が悪い、もしかして病気かなと思ったとき・・・・・・
あなたはどのタイプだろうか?
1、 すぐに病院に行く
2、 しばらく様子を見て、それでも治らなければ病院に行く
3、 我慢できる症状なら自分で何とかする
4、 何もしない。ただ天命に従うのみ。

もちろんこれは、病気の程度にもよるが、我慢比べではないのだから、健康で快適な生活をしたければ早めに医者に診てもらった方がいい。かつては不治の病といわれた癌ですら初期の段階ならば完治するというくらいだから、早期発見、早期治療がいかに重要かは言うまでもないことである。近所の人の話では、身体の具合が悪くなると病院の待合室に行って知り合いを見つけ、嫁の悪口を言って帰ってくるオバァチャンがいるらしい。そうすることでストレスが解消され元気になるというのなら、これも早期治療のひとつということになるのだろう。

 
私はといえば、冒頭に書いた4タイプの中の4番に近い3番だと思う。褒められた話ではないが、自分ごときの病気のために金を使うのはもったいないような気がするのだ。これは若いころ、借金だらけの生活を経験したせいで、そういう考えになってしまったようだ。医者に払う金があるなら借金の返済に回した方がいい、そうしないと子供のミルクも買えないというお涙頂戴浪花節的暮らしを約10年間続けた。友人は私のことを医者嫌いだと思っているようだが、そうではない。医者に行く金がなかったのだ。そういうわけで自分の体に随分と無理をさせてしまった。そのせいなのか40を過ぎたころから一気に体の調子が悪くなり、今は貧乏人ではなく半病人になってしまった。
人の身体は自分で思うほど弱くもなければ強くもない。無理をすればそのときは良くても何十年後に、酷使されたことを恨みに思った「体」から報復される。どこぞの国で起こっているテロと同じなのだ。だからテロの嵐が吹き荒れる前に手を打たなければならない。皆様も、身体の具合が悪い時は、無理をせず、なるべく早めに医者に行き、お身体ご自愛くださいと、人には言うのだが・・・・・・。


病院には何故、値段を書いた診察メニューがないのだろうか。診察が終わって会計の窓口で呼ばれるまで値段がわからないというのは、『時価』とかいたメニューしかない料亭にいるような気になってくる。お金が足りなかったらどうしようと、後で足りない分を持ってきますなんて言うのは恥ずかしい、と、そんなことを考えていると何か胸のあたりがざわざわしてしょうがない。診察中も、先生から「レントゲンを撮ります」と言われると、『何枚撮るんだろうか、一枚いくらだろうか』と値段が気になってしょうがない。先生の口から検査の名前が出るたびに、頭の中で電卓の数字がパチパチして病気の心配よりも治療費の心配のほうが大きくなっていくのである。
病院からの帰り道にいつも思うことは、
『血液検査、CT,MRI,その他いろいろ、痛い思いをして血をとられて、何故、こっちが金を払わなければいけないのか・・・・・・ああ、理不尽だ、理不尽だ!』


病院の待合室には『健康に勝る宝なし。健康第一。定期健診で病気を予防。早期発見に努めましょう』と書いたポスターが貼ってある。まったくもってその通り。これが良いことはわかっているが、私の場合は、どうしても貧乏暮らしで染みついたドケチ根性が災いして、病院に行くのをやめてしまう。
現在、更年期に片頭痛、高血圧、腰痛、四肢の痺れなど、いくつかの病気を抱えているが、先ず最初に治さなければならないのは『医者に行きたくない症候群』かもしれない。

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キティタイムマガジン

2017-02-20 | 小説/エッセー

昔の作品が出てきた。これ、2012年に書いた話です。

 

アメリカでは3月初旬からサマータイムが始まった。それに伴い、ヒューマンワールドでは時計の針を一時間だけ進めなければならない。もう少し、詳しく説明すると、今まで朝の六時に起きていた人は、サマータイムにチェンジしたときから、既に時刻は7時になっているわけで、大慌てでベッドを抜け出し、遅刻ギリギリで会社に飛び込むことになる。また、今まで5時に仕事が終わっていた人は、「やっと帰れるか、今日は定時に帰れるぞ、うちに帰ってビールでも飲むか」と思って時計を見たときには既に一時間も残業していたということになる。早い話が、サマータイムが始まると、大勢のアメリカ人の頭がこんがらがるのである。
 ところが、世の中がどれほど変化しようがいつも「我が道をいく」という生き物がいる。
それが家の猫である。
 槍が降ろうが鉄砲の弾が飛んでこようが、「ヘ」とも思わない。最近では稲光には多少は反応するようになったが、雷がなっても「だからそれが何なのさ?」という顔で、相も変わらず、2階の窓から涼しい顔で世の中を眺めている。この「鈍感さ」は「図々しい」と呼べばいいのか、それとも「たくましい」というべきか。飼い主としては、この猫の性分にあやかりたいと思うときもある。
 アメリカで猫と暮らすようになってから、新しい発見をした。猫という生き物は、世間のことに無関心のように見えて、実は人間以上に世の動きを機敏にキャッチしているのである。従って、世間がサマータイムで混乱を起こしていても、うちの猫の生活には何のトラブルももたらさない。
 我が家には猫が3匹いるが私たち夫婦は、彼らのことをキティーマフィアと呼んでいる。サマータイムであろうとなかろうと、毎晩夜中の2時になると、キティーマフィアの中でも一番マッチョなオス猫が夫を起こしに来る。最初は優しく顔をこすりつけ、それでも起きないと耳元で猫なで声、それでもダメなときは、夫の顔を猫パンチ。それが効かないとわかると、足元に噛み付く。
「初めやさしく、最後は脅せ!」
これはマフィアの常套手段で、ヒューマンワールドでもよく使われる方法である。
 一体何が目的で夜中の2時に起こすのか、猫に聞いたことがある。
「おめえらが、夕食にツナをたんまりくれねぇからよ。腹が減るんだよ。もう翌日になったんだ。2時はオレ様たちの第一回目のブレックファーストタイムだ。覚えとけ!」
 とまぁ、こういう理由で、毎朝2時になると、寝惚け眼で寒いキッチンへ行って、猫のためにツナ缶を開けるのが夫の朝の日課になってしまった。

キティーマフィアの腹が満たされ、しばらくは脅される心配はないことがわかると、夫はベッドに戻ってくる。そして、いつも言うことは、
「どうして時間がわかるんだ。あいつらは、サマータイムが始まったことを知ってるのか?どうして2時だってわかったんだ。時計の針を一時間進めたを見てたのか? どうしてだ?」

  これは私たち夫婦にとって、いや、猫族と暮らす全ての人々にとって永遠の謎かもしれない。一度、猫に聞いてみたが、口を耳まで釣り上げて細い目で睨むだけで何も答えなかった。もしかしたら,彼らは私たちの目には見えない高級で精巧な金色のロレックスを持っているのかもしれない。


(the end)

 


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過去作、小説

2017-02-14 | 小説/エッセー

小説サークルにいたころに書いた作品を載せてるブログです。

毎回、課題として漢字一文字が与えられます。

小説でもエッセーでも、詩でもジャンルは自由。課題の漢字が使ってあったらOK。

http://orangesf.exblog.jp/20359286/


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小説

2017-02-14 | 小説/エッセー

数年前に書いた小説が置いてあります。

未完の作品もあります。

気が向いたら書こうと思ったけど、たぶんもう書かないと思う。

頸椎ヘルニアで椅子に座ってるのがつらい。

http://www5.hp-ez.com/hp/sfpd/page2

 

 

 


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童話

2013-09-26 | 小説/エッセー

 

  ぼってりと灰色に垂れこめた雲の底から細長いトゲが出てきました。それはゆっくりと地面に向かって伸びていきます。ぐねぐねとその身をひねりながら太く大きくなり、やがてそのトゲは渦を巻く巨大な角(つの)に姿を変えました。でも、背の低い木の葉の影にいたイモムシの子供たちには空のできごとは見えません。

  渦の角が遠くの牧草地を突き刺し、稲光を伴って子供たちのいる森へ近づいてきます。黒い渦の叫びが次第に大きくなってきました。その声は、シィューゥ、ヒュユゥーという蛇の出す音のようでもあり、狼の遠吠えのようにも聞こえます。木の葉がざわめき、森の仲間に危険を知らせます。木の枝の高いところにいた鳥たちは、安全な地平線を目指して飛び去っていきました。
 それでもイモムシの子供たちは気がつきませんでした。その時、子供たちの心にあったことは、将来、蝶々になったときの羽の色。子供たちはこんな話に夢中です。

 

「ぼくのママとパパは白いちょうちょになったよ。だからぼくも白になるんだ」
 一番小さなイモムシが言いました。
「白はちょっとさみしいよ。黄色い模様があったほうが良くないか?」
 二番目に小さいイモムシが言いました。
「ボクは夕焼けの色がいいな。葉っぱの間から見たことあるんだ。よくわかんないけど、色が変わるんだよ。濃くなったり薄くなったり。すごく綺麗なんだ」
 三番目に小さなイモムシが言いました。
「わたしはピンクになりたい。バラの花のピンク、とっても綺麗でしょ」
 女の子のイモムシが言いました。
「でも、ぼく、まだ緑だよ。ママやパパみたいな白い羽はいつもらえるの?」
「よくわかんないけど、チョウチョになる時にもらえるんじゃないか」
「アゲハのおばちゃんが言ってたけど、羽をもらう前に、サナギっていうのにならなきゃいけないんだ」
 一番大きなイモムシが言いました。
「サナギ? ぼく、木になっちゃうの? 白い木? それとも緑のまま?」
「ちがうよ。サナギは木じゃないよ。とにかく、サナギにならないと羽がもらえないんだ」
「誰が羽を持ってきてくれるの? 羽の色は誰が決めるの?」
 女の子のイモムシが訊きました。
「よくわかんないけど、たぶん、神様」
「僕もそう思う。アゲハのおばちゃんが言ってたけど、神様はどんなことでもできるんだって。この色にしてくださいってお願いしたらチョウチョになる時に神様が持ってきてくれるんだよ。でも、お願いするときは一回にひとつだけにしないとダメなんだ。神様は欲張りは嫌いなんだって。ねぇ、いいこと考えた。今からみんなで神さまにお願いしようよ」

子供たちは、目をつむり、大好きな色の羽を心に思い浮かべて神様にお願いしました。
『パパとママと同じ白をください。白い羽なら、ちっちゃくてもいいです』
『かわいいバラのピンクをください』
『黄色い羽がほしいです』
『アゲハのおばさんのような色にしてください』
『夕焼け色の羽をください』

 

 

  突然、辺りが真夜中の黒にかわり、バラバラと氷の石つぶてが大量に降ってきました。風が叫び、横殴りの冷たい雨が弓矢のよう木の葉を突き刺しています。地の底から響く恐ろしい唸り声。大地に根を張った大きな樹木があっという間に地面から吹き上がり瞬く間に上空へ吸い込まれていきました。
真っ黒な雲から伸びた巨大な角は、高速で回るドリルのように情け容赦なく地面を引っかき掘り返していきます。イモムシの子供たちは、得体の知れない強い力に押されて空中に吹き飛ばされ、黒い渦に飲み込まれてしまいました。小さな体が恐ろしい力で上に下に、右に左に振り回されています。「怖い」と感じるよりも前に気を失ってしまった子供たちには何が起こっているのか全くわかりません。

 

気がついたときには、真っ白なミルク色の空間の中に浮かんでいました。子供たちの周りには、色とりどりの花びらがゆらゆらと螺旋を描いて舞っています。

「ここはどこだろう。僕たち、どうしたんだろう」
「死んじゃったのかな」
「ちがうよ。だって、どこも痛くないよ。ちっとも苦しくないよ」

 白い空間の中でキラキラと輝く花びらが、子供たちの背中にふわりと落ちました。
「ねぇ、みてみて。わたしの背中。ピンクの花びら」
「僕のは黄色だ」
「ねぇ、これ、ピンクの羽みたい」
「チョウチョになったの? ぼく、まだ緑だよ?」
「よくわかんないけど、きっと神さまに願いが通じたんだよ」
「アゲハのおばちゃんが言ってたけど、サナギの時ってまわりが真っ暗なんだって。ほら、さっき、急に真っ暗になっただろ。あれがサナギだったんだよ。僕たち、これからチョウチョになるから神様が羽をくれたんだ。きっとそうだよ」
「みてよ、みてよ!、ねぇ、すごいよ! ぼくの背中、白い花びら、光ってる。金色もある。銀も! 綺麗な花びらがいっぱいだよ!」

 

イモムシの子供たちは、空間に舞う花びらを取り、背中につけてあそび始めました。

「ねぇ、あそこ、みて! ずっと上のほう。おひさまの光みたいにすごくまぶしい。ピンクの花びらはあそこから落ちてくるみたい」
 イモムシの子供たちは花びらの羽をひらひらさせながら光の方に顔を向けました。
「ホントだ。黄色い花びらもたくさん落ちてくる」
「ボク、葉っぱの間からあんな光、見たことあるよ。よくわかんないけど、きっと、あそこが出口だよ。行ってみようよ」
「でも、ずいぶん遠いよ。ぼくの白い羽、ちっちゃいよ。あんなに遠くまで行けるかな」
「大丈夫だよ。絶対いけるよ。僕たち、もうイモムシじゃないんだよ。チョウチョになったんだ。サナギから出たら、大きく羽を広げて、勇気を持って光に向かって飛べって」
「アゲハのおばちゃんが言ったの?」
 一番小さなイモムシが訊きました。
「ちがう。父さんだ」
 はるか彼方の光を見上げ、ルリ色に輝く花びらの羽を大きく開きました。
「神様が羽をくれたんだ。どんな高い所へだって飛んでいけるよ。さぁ、一緒に行こう」




*****

    



 巨大な黒い渦が消えてまもなく、雲の切れ間から光が差し込みました。その光の中を空の高みを目指して飛んでいく七色に輝く小さな蝶の群れがありました。

                    (了)

下書き用イラスト




 


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グッドバイパゴダ

2013-09-06 | 小説/エッセー

(在りし日のパゴダ/鉛筆画)



どうしても忘れられない映画館がある。といってもいつも外から眺めるだけで中に入ったことは一度もない。子供の頃は母が運転する車の窓からそれを見た。休日になると焼きたてのフランスパンと茹でたカニを買うためにその前を通ってフィッシャーマンズワーフまで歩いて行った。友人の家へ行くときに乗ったストックトンストリート30番のバスは映画館のすぐそばを荒っぽい運転で通り越していく。定員オーバーのバスに閉じ込められ、人いきれで吐きそうになるのをこらえながら遠ざかる映画館を見ていた。警官になってからは毎晩パトカーでその周辺をパトロールし、街灯の明かりが届かない映画館の裏側をじっと見つめた。しかし何度来ても面白いことは何も起こらなかった。どれもこれも簡単に忘れてしまうような出来事ばかりである。自称ストリートハンターの血が騒ぐような獲物はここにはいなかった。それでもこの映画館のことが頭から離れない。そこで見た色、聞いた音、どれほど月日が流れても鮮明な画像となって甦ってくる。

 場所はパウエルストリート1741番地(この周辺のパトロールを受け持つまで、ずっとコロンブスアベニューにあると思っていた)、時々、パートナーのケリー巡査と一緒にランチを食べた『Washbag』から一軒置いた隣の建物。これがチャイナタウンで一番大きな映画館『パゴダパレス』である。
(WashbaghaはThe Washington Square Bar and Grillの略称)

 私がパトロールをしていたころのチャイナタウンは、どこもかしこも「魔都」という言葉が似合う上海の雰囲気を漂わせていた。その中でも、私にとって一番奇妙でエキゾチックな場所、それがこの映画館だった。外壁には映画のポスターや劇中の名場面、中国人俳優の顔写真が貼りだしてあったが、私の知っている中国人とは着ている服も顔つきも、何から何まで全く違う。体にぴったり張り付いたきらびやかなロングドレスを着た女優。極端に派手な化粧のせいで中国人に特有の小さな低い鼻がアメリカ人のように前方に突き出して見える。写真の中の俳優たちはいかにも作りましたというような表情で微笑んでいた。薄汚れた壁に並べた原色だらけのきらびやかな衣装をまとった女優の写真。このアンバランスに加えて、意味不明の中国語が書いてある。英語のアルファベットしか知らないアメリカ人には、縦と横の線を組み合わせた模様にしか見えない。
「これは暗号だな」
 ケリーは時々そんなことを言った。

 パゴダは時々、中国のオペラも上演した。客寄せのために建物正面のどこかに仕掛けてあるスピーカーのおかげで、外にいても歌を聴くことができた。しかし心が和むような歌声ではない。ハイピッチでまくし立てる歌手の声は悲鳴なのか猫の鳴き声なのかわからないこともあった。その声の合間に入るけたたましく鳴り響く打楽器の音。金属の皿かコップを叩きつけているように聞こえる。金属音の余韻に重なるカスタネットのような連打音。それが止むと短調のメロディーで細長い音が切れ目なく続いていく。この音はバイオリンだろうか、それとも二胡だろうか。時々、弦をはじくような音がするが、これはピアノよりももう少し高音でチェンバロかツィター(ドイツの弦楽器)の音色に似ている、とあれこれ想像しながら聴いていた。しかし、スピーカーから流れてくる音は、私の精神を逆なでする奇妙な音ばかりだった。後になってわかったことだが、アイルランド系の警官はバグパイプの音を聞いても耳障りだとは思わないが、ケルト民族の血が流れていない者からすれば、その音はずいぶんとけたたましい嫌な音に聞こえるようだ。私が中国の音楽を聴いたときに感じたこともそれと同じだと思う。

 現在、この映画館はシャッターが下り、廃屋に近い状態になっている。その東に広がるワシントン広場には毎年大勢の観光客が訪れ周りの風景を写真に収めていく。彼らがカメラを向けるのは、たいてい東の方にわずかに見えるコイトタワーか、広場の北に威風堂々とそびえるセントピーターアンドポール教会である。誰もパゴダを写さない。
 ワシントン広場は、『ダーティーハリー』の映画やサンフランシスコを舞台にした古い刑事ドラマにも度々登場するが、その公園のすぐ近くにありながらパゴダパレスが映画の画面に現れたことは一度もない。1971年に公開された『ダーティーハリー』では、サンフランシスコ市警のベルジェットレンジャーヘリが上空から連続殺人鬼スコーピオンを見つける少し前の場面で、犯人にライフルで狙われている男が座っている場所がワシントン広場である。5作目の『ダーティーハリー』では、ガス・ウィラーと名乗る男が焼身自殺をする場所としてワシントンスクエアが使われている。残念ながらパゴダには出番が回ってこなかった。

 過去40年の間に、数えきれないほどたくさんの人がパゴダを見ている。ここで映画を見た人、その横を通り過ぎた人、遠くから建物だけを眺めた人。すべてを加えたらものすごい数になるだろう。しかしその中で、一体どれくらいの人がパゴダに興味を持ち、その歴史を知っているだろうか。おそらくその数はゼロに近いと思う。通行人を手当たり次第に呼び止めてこの映画館について尋ねても、返ってくる答えは、「パゴダ? ああ、知ってるよ。ワシントン広場の向かいにある白い建物だろ。あそこはもうだいぶ前につぶれたよ」
ほとんどの人にとって、パゴダパレスはその程度の認識しかないようだ。ここに幽霊でも出るというのなら話題にもなるだろうがパゴダでは何も起こらない。チャイナタウンのはずれに見捨てられたように建っている古い映画館。やがて人々の記憶からも風化して消えていく。

 パゴダパレスは1907年、「ワシントンスクエアシアター」という名前で誕生した。ミス・パゴダ――私はこの映画館をそう呼んでいる。今年で104歳になる建物には「ばぁさん」という名をつけた方がよいのかもしれないが、どれだけ古くなっても「ミス」の呼び名を変えるつもりはない。
 ここができた当時はヴォードビルの劇場として人気があり、「ワシントンスクエアシアター」の名前はサンフランシスコ中に知れ渡っていた。天才テノール歌手と言われたイタリアのエンリコ・カルーソが、この劇場で歌ったという話を聞いたことがあるが、私には信じられない。1906年の4月、カルーソはミッションストリートにあるグランドオペラハウスで上演された歌劇『カルメン』でドン・ホセ役を演じた。公演期間中はパレスホテルに滞在していたが、4月18日午前5時13分に起こった大地震でホテルのベッドから放り出された。大慌てでホテルを飛び出し、町を抜け、ボートに飛び乗りオークランドまで逃げていった。「もう二度とサンフランシスコには戻らないとカルーソは固く誓った」と何かの本で読んだことがある。私はこの話の方を信じているが、本当のところはどうなんだろうか。真実はパゴダが知っている。しかし、黙して語らず。パゴダの口を割らせることは、どんなベテランの刑事でも不可能だ。

 1920年になると、『ミラノシアター』と名前を変えてトーキー映画を上映するようになった。その頃からロードショー劇場(新作映画封切館)として知られるようになったが、1936年と1937年の火事で建物の大部分が焼け落ちてしまった。1937年4月、建築家のアレキサンダー・カンティンの協力を得て、大規模な改築工事が行われ、その年の暮れ、『パレスシアター』の名で、新作封切館兼セカンドラン劇場として生まれ変わった。
(セカンドラン;、公開が終了した封切り映画を再び上映すること)

 昼はカンフー映画、夜は西部劇を上映するようになったのは、たしか1960年代の後半からだったと思う。映画が東洋から西洋に切り替わる頃、映画館の前にいると面白い光景を目にすることがあった。アメリカ人と中国人がすれ違いざま、お互いの手を打ちあっている。警官がシフトを交代するときに「後は頼むぞ」という代わりに相手の手をタッチするが、それと同じことを見ず知らずの客同士がやっている。パゴダは平和な映画館だった。

 時々中国オペラの公演もあったが、劇場のオーナーはあまり金のかかるオペラ歌手は呼ばなかったようだ。たいてい地元で活躍しているミュージカル俳優か、たまたまサンフランシスコに来ていた中国歌劇団を劇場に招き、歌手の歌が外にも聞こえるような仕掛けを施して客を集めていた。

 60年代といえば、ヒッピー、マリファナ、シンナーが大いにもてはやされた時代である。ドラッグで幻覚の見える連中が巻き起こしたサイケデリックムーブメントはサンフランシスコ中に広まり、70年代になるとゲイの世界にも浸み込んでいった。アバンギャルドなファッションは彼らに言わせれば「魂を解放した自由な創造」ということらしいが、私には「薬物中毒による無茶苦茶な創造」としか思えない。
『ミラノシアター』が『パゴダパレス(釈迦の住む家)』と名前を変えたのはその頃である。パゴダのメインは中国映画だが、当時の流行に乗って、ブロードウェイミュージカルのパロディーやヒッピーとゲイで作った『ザ・コケッツ』という劇団の公演も行っていた。
 しかし、絶頂期はいつまでも続かない。パゴダの景気がよかったのはここまでである。1980年ごろ、リノベイター(歴史的建造物修復家)として知られているアラン・ミッチャンがパゴダに目を付けた。彼は1930年代に流行ったアールデコスタイルの魅力をもう一度広くアピールしたいという願いから、パゴダの改築を始めた。そうして完成したパゴダはミッチャンの目的を十二分に満足させる出来栄えだった。しかし、物事は往々にして当初の予定通りにはいかないものだ。事態は早急に悪くなる――これは警官時代に嫌というほど経験したことだが、パゴダもその例にもれず何もかもが悪い方向へ転がって行った。
アールデコ建築は1980年代に若干の人気を取り戻したとはいえ、上映する映画が中国語のカンフー映画ばかりでは客足も遠のいていく。また文化の担い手がヒッピーからヤッピー(高学歴高収入の気取った人たち)に変わり、「サンフランシスコのマンハッタン化」に伴って、古臭いチャイナタウンよりも、近代的な高層ビルが立ち並ぶ美しい場所へと人々は流れていった。その頃のチャイナタウンはギャング同士の抗争がエスカレートしていた時代で、映画でおなじみの銃撃戦も頻繁におこり決して安全な場所ではなかった。そうした様々な要因が絡み合い、1994年、パゴダはついにその生涯を閉じたのである。

 その後、パゴダを取り壊してそこにレストラン付きの高級コンドミニアムを建設しようという話が持ち上がった。しかし、こういう場合に必ず出てくる「ノースビーチのダイハード(頑固者)」と呼ばれている都市プランナーたちの反対にあい実現には至らなかった。ところが今年2013年、新規路線の建設を進めているメトロポリタン・トランスポーテーション・オーソリティがパゴダの下までセントラルサブウェイ(地下鉄)の路線を伸ばすと公言した。そのニュースが流れた途端に、今までパゴダのことなど見向きもしなかった人たちが、「取り壊し反対」運動を始めたが、工事はすでに始まっている。歴史的に価値がないと見做されたパゴダは完全に撤去され、そこには新しい地下鉄の出入り口ができるだろう。

 進歩という怪物にパゴダが食われていく。それを目にしながら私にはパゴダを助けてやることができない。
 またひとつ、私のサンフランシスコが消えていく。




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この作品はフィクションを交えたエッセー風小説です。読んでいただきありがとうございます。


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