静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

佐村河内守/交響曲第1番《HIROSHIMA》(金聖響指揮関西フィル)

2013年06月19日 21時56分27秒 | コンサート

佐村河内 守 作曲

交響曲第1番≪HIROSHIMA≫ 全国ツアー




管弦楽:関西フィルハーモニー管弦楽団


指揮:金 聖響


2013年6月15日(土) 14:30開演

ザ・シンフォニーホール(大阪)



 聴いてきました、佐村河内シンフォニィ≪HIROSHIMA≫

 4年ぶりのシンフォニーホール。
 4年ぶりの金聖響さんでした。

 全国ツァー初日ということでか、作曲者ご自身も来場されていました。
 晴れ間が続いてたのに、この日は雨。しかも本降り。聖響ファンの間では、彼は「雨男」らしく、何かと節目節目のコンサートの日は「荒れる」ようです。そういえば、今よりももっと「無名」に近かった頃に(新日本フィルと)三重県に来られて、津市と伊勢市の2都市で公演されましたが、ちょうど台風の進路とピッタンコの行程でした。

 そんなことはさておき、この日のコンサートですが、すでにコンサート会場仲間・ブログ仲間である秋絵さんが詳細に綴られておりますので、そちらを読んでいただければと思います。
私も、だいたい同じような感想を持ちました。

 前回の記事で、この曲との出会いのいきさつみたいなことを簡単に書きましたが、やはり、実演で聴く印象はディスクや放送でのそれとは大きく違いました。
 不遜な言い方かも知れませんが、生で聴いてみて初めて「この曲の全体像が(なんとなく)見渡せた」という感じです。

 関西フィルは今回初めて聴くオケでしたが、なかなか「やる気まんまん」高感度なレスポンスを持つ好感度バツグンなオケと聴きました。
 前夜に定期で「ドイツ・レクィエム」全曲をやったとのことで、そのせいか、ちょっとお疲れ???と思える面もありましたが、私には些細なことでした。

 長い長い交響曲ですが、すでに何度か聴いており、もう長さには慣れていましたし意外なほど短く感じられました。
 第1楽章の終結に向かって、少しずつ沈んでいく、あの部分、実演だと更にすこいですね。
 底なし沼に、本当に少しずつ、でも着実に引っ張られていくような怖いような緊張が会場を支配してました。
 長く暗い第2楽章の中でも、微妙に光が射したり、ちょっとした小休止があったりと、実演だとスピーカーから聴いていた時にはなかった「共に歩いているような実在感」みたいなものがあり、全体はあくまでも重く暗い雲に覆われていながらも、安らぎもほのかに感じられ、ベタ塗りの「絶望」ではありませんでした。
 聴き手をどん底に突き落とすようなスタンスは作曲者は決してとっていないのだと感じられました。
 しかし、スメタナの「ターボル」に通じるような拭っても拭っても降りかかる運命の執拗さみたいなものは強く感じられました。
 動的で変化に富む第3楽章は、構成的にもマーラーの「復活」終楽章を思わせるヒロイックな部分があったり、ショスタコっぽいスネアを交えた打楽器群の炸裂が何度もあったりと、「これでもか、これでもか」と何事かが襲いかかってきますが、真ん中あたりでやっと木管に「太陽の光が差し込む」ような部分に辿り着きます。
 しかし、その後も激しい音楽が再来し、やっと、本当にやっとのところで、例のテレビ等で繰り返し使われていた抒情的なメロディが静かに奏されます。
 ここから最後までは、言葉にならない音楽です。
 ダメ押しとも言えるほどの打楽器の重なりによる盛り上げも大袈裟な印象はなく、大音量でありながら、マーラー3番の最後みたいに、どこか「昇華」していくような様相でした。聖響氏の振りも、テレビでの大友さんのように「もっともっと」と要求する身振りではなく、両腕をすっと広げて静止し、心持ち天を見上げるかのようにしておられました。

 聴き応えあり、感動しました。
 今回、やっぱり曲が主役であり、演奏の方は正直どうだったのかよく判りませんでしたが(先の秋絵さんは「金管の音程が良くなかったし、鳴りもイマイチ」と仰ってました)、聖響氏も、以前に何度も観た、ぐいぐいと引っ張っていくような動きよりも、やや控えめで丁寧に振っていたように見えました。途中、「もっともっと・・・」とトランペットに要求するジェスチャアはありましたが・・・。

 作曲者が舞台に呼ばれるとホール内はすごい盛り上がりに。
 私も含め、ほぼ全員のスタインディング・オベイションで湧きました。
 佐村河内さんは、指揮者と固くハグし合い、そして、オケの皆さんを丁寧に讃えてみえました。
 聴衆に向かっても何度もお辞儀、会釈を繰り返され、「どうぞ、座ってください」とジェスチャーで訴えかけられたりもしました。
 なんか、そんな佐村河内さんと聴衆のやり取りが、とても親しげで温かく、氏の意外な一面を見せて頂いたような気がしました。
 報道やその扱われ方で、どこか「勝手に神格化」されている部分というか、こちらが勝手に作り上げている部分があるのかも知れません。生身の佐村河内守氏はもっと俗世を生きる天才であり、計り知れない深さ広さを持っておられるのではないでしょうか。

 いろいろと論議を呼んでいる今回の大規模ツアーですが、聴いている間や演奏後のカーテンコールに応えられる作曲者の姿を拝見している間は、正直、そんなことは頭から消し飛んでいて、目の前の光景に何の違和感もありませんでした。そういう、音楽周辺のことやひさしぶりに聴いた指揮者金聖響氏のことなどについては、またあらためて・・・・。





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2 コメント

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ツアー初日 (yokochan)
2013-06-20 23:06:36
こんばんは。
初日鑑賞、お疲れさまでした。
ほぼ1年に及ぶ全国ツアー初日でしたから、演奏者も聴き手のみなさまも緊張と気合で、ホールはそうとうな雰囲気だったでしょうね。
拝読して、その様子がよくわかりました。

お値段設定はちょっと高めすぎますが、こうして全国津々浦で演奏して、かの曲が最後のひと時ばかりでない、人生の旅ともいえる音楽だということが、音楽を聴いてみたいという方々に伝わればいいと思います。

ブログ後半で、佐村河内さんの様子を的確にご覧になってらっしゃいますとおり、優しく、心くばりも豊かなピュアな方だと思います。
いろんなフィルターを外して、ひとりの音楽家として正当に見つめるべき時期に入っていることも、よくご理解していると思いますし、聴き手もそうあらねばならい、このツアーだと思ってます。
指揮者については、来月、こちらの手兵との演奏で、じっくり見極めようと思います。
yokochanさん (親父りゅう)
2013-06-21 18:44:36
FBの方にも同じようなことを書きましたが、メディアの影響の大きさを実感しました。
でも、それは、今、目の前で奏でられている音楽とは、ある意味関係ないことであることも明確に感じました。
やはり、音楽は音楽。
周囲の諸々は、いずれ収まるところに収まり、意味のないことは消えていくでしょう。
あの大阪のオバちゃんたちの熱狂(うん?問題発言???)が一過性のものだとしても、あの中には、これを機に佐村河内作品の魅力に開眼し、さらに聴き続けていくことになる人、他のクラシック作品の峰々へと誘われる人も、少なからずいるでしょう。
それは素晴らしいことだと思います。
このすごいツアーの最後の頃にはどうなっているのか、想像もつきませんが、どうなっていようと、作曲者はたぶん平然と「当たり前」かのごとくに受け止めるのだと思います。
パンフレットのインタビューにもありましたが、守さんは、このフィーバーについて「正直なところ、肌で感じていない。自分ができることは小さな暗い部屋にこもって作曲することだけですから、あまりそれを感じたくない、何も変わらない自分でいたいとの思いもあります」とおっしゃられていました。
また、「いくつか質問を・・・」と言う聖響氏には「佐村河内守は死んだものと思え」と即答されたそうです。
興行会社が「金儲け」に最大限利用しようが、手を離れた作品を指揮者がどう料理しようが、お構いなしなのでしょうね。
それだけに、私たち聴き手は虚心坦懐に彼の紡いだ音に耳を傾けたいと思いました。

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