静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

伊勢志摩第九コンサート

2012年12月27日 01時39分56秒 | コンサート
やっと感想(と言えるのかな?)をアップできました。
オール伊勢による手作り「第9」。



第11回 伊勢志摩第九コンサート

【プログラム】

シューベルト/ミサ曲第6番より“キリエ”

モーツァルト/アヴェ・ヴェルム・コルプス



ベートーヴェン/交響曲第9番「合唱付き」




ソプラノ 廣  恵
アルト 中西 まほ
テノール 阿宮 慎祐
バリトン 野本 立人

合唱 伊勢志摩第九合唱団


管弦楽 伊勢管弦楽団


指揮 大谷 正人



2012.12.24 14:30開演

伊勢市観光文化会館



 松阪第九に続いて今季二度目の第九を聴いてきた。
 オーケストラは同じく伊勢管弦楽団。
 例によってギリギリに家を出た。
 電車は特急しか間に合うのがなく、会場に着いたのは開演10分前。
 ぱんださんが席を確保して下さっていた。

 シューベルトのミサ6番は、大むかしに朝比奈さん指揮大阪フィルの定期で聴いたのが唯一の生体験。ディスクやテープはいろいろに聴いているが、実演はまた格別。
 モーツァルトは、もう何も言うことはない。威光を放つ曲。こういう音楽を聴いて、(演奏について)ああだこうだと言う気にならない。この日、こうやって目の前で演奏される場に居られた、ということにこの曲を聴く意味がある。そんな曲だと思う。

 この2曲のあと20分間の休憩。
 ぱんださんとおしゃべりしてる間にアッという間に休憩は終わり、第9となる。

 カーテンコールで小山先生もおっしゃってたけど「伊勢の合唱と、伊勢のソリストと、伊勢のオーケストラによる・・・」チーム・オール伊勢の「第9」は、ステージ上と客席がユニークな一体感に満ちて、心からあったかくほほえましく、そして、一途な気持ちに貫かれた演奏会だった。
 オケは松阪の時よりも一皮ベールを脱ぎ去ったような生々しさで、定演のようなクオリティはなかったけども、でも、やはり懸命な演奏。
 合唱は、人数のせいか、やや音量が弱かったけども、でも、よくまとまっていて、ある種の「手慣れた感じ」があったのは、さすが11回目の貫録か。
 4人のソリストの華やかで凛としたプロの「気」が、この日のステージを見事に束ねていた。
 そして、やはり指揮者大谷さんの鬼気迫る統率力と包容力。

 アンコールは、松阪の時と同じ「きよしこの夜」だった。

 電車で、ぱんださんといろいろお話しながら帰った。
 駅で別れて車に向かうと雪がちらついてきた。
「ホワイトクリスマスか!」と思ったが、残念ながら積もらなかった。
 スーパーに寄りケーキを買って帰った。
 すごく冷え込んだが、「第9」の、ベートーヴェンの灯した炎がまだ内部で燃えていて、幸せな気持ちで帰宅した。

 今年は、県内のコンサートばかりではあったけど、いくつか行けたのがよかった。
 私にとって会場で実際に音楽を聴くことは、病気以前とは、その意味も意義も大きく変わってしまった。
 でも、それでよかったのかも知れない。
 音楽を聴く、丸ごと音楽にひたる、それ以上でも以外でもない。
 その機会ひとつひとつを大事にしたい。

 それにしても、かつていろいろと関わりのあった人たちがまぶしいばかりに大きく活躍されていて、このように多くの人たちに喜びを与えている、そのすばらしいことと言ったらない。
 また、かつての恩師もお元気でステージの上に上られていて、なんか、こういう演奏会は「特別」だなぁって実感した。










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6 コメント

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幸せな一時でした (ぱんだ)
2012-12-28 08:00:33
行く予定はなかったのですが、
松阪での感動が忘れられずに思い切って行きましたが本当によかったです。
私にとって今年はコンサート元年でした。
そして伊勢管弦楽団に始まり、伊勢管弦楽団で締めくくれたのは幸せでした。
またいろいろとお話しも出来てよかったです。
親父りゅうさんのお陰と感謝しています。
ありがとうございました。
演奏会は終わりました (トムボーヤ)
2012-12-29 00:16:17
親父りゅうさん
桜井武雄先生を検索して親父りゅうさんの「静かな場所」にたどり着いて松阪、伊勢のコンサートについて合唱で参加する側からコメントを投稿させていただきました。
結論から書いてゆきますと、伊勢管との第九は2度目でしたが、前回の大谷さん・伊勢管との第九はあまり印象に残っていませんでしたが今回の大谷さんとの第九は私の第九の中でもものすごく印象に残るものでした。それぞれの合唱部分について一つ一つ大谷さんの意志・解釈が強烈な形で表現されたものでした。歌う側からすると、今までなんとなく、惰性で歌ってきたものが(本当はそんなことは無いつもりで、毎回毎回新しい解釈と表現を試みてきたつもりですが)さらにベートーベンが何を訴えたかったのか、内容をもう一つはっきりと見出せたように思えました。
「百万の人々よ、神の前でひざまずけ・・・」と語るところが一番ベートーベンが重要と考えた部分、そのところをしっかりと、そして今までに無いほどのゆっくりと(松阪でも当然創でしたが)、とてつもないピューアダージョで演奏したことは大谷第九の真骨頂ではなかったでしょうか。
第九を歌いきって思わず喜びの感情が湧き(噴出し)、笑顔で皆さんの拍手や完成を聞くことができました。
自分でコメントを書いていてもうまくまとまりません。親父りゅうさんやぱんださんのコメントを楽しく読ませていただきました。
またいつの時か、いずこの場所で
ぱんださん (親父りゅう)
2012-12-29 17:25:48
今年はぱんださんにとって、クラシック生体験開眼の年になりましたね。
プロ、アマ、それぞれの良さがあり楽しみ方があると思います。
また、ご一緒させていただく日を楽しみにしています。
トムボーヤさん (親父りゅう)
2012-12-29 17:33:12
お疲れ様でした。
手作り感のあるあったかい演奏会でした。

かつて、この観文で私も3回(大阪フィルと2回、小山さんの指揮のピアノ版で1回)第9をうたいましたが、そのころの高揚した気持ちを懐かしく思い出しました。
お見受けしたところ(失礼ですが゛)けっこうシニアな方々が多いかと思いました。
私たちがかつて味わった、あの独特の高揚感が忘れられずに今も参加されている・・・ひょっとしたらそういう人が多いのかな?などと思いながら拍手しておりました。
また、新たな伊勢志摩第9、大谷第9を聴ける日を楽しみにしております。
親父りゅうさん (トムボーヤ)
2012-12-30 16:19:16
「お疲れ様でした」のお声がけありがとうございます。
そうですね、そのとおりですね。
私も「シニア」の領域に入っている一員です。多分親父りゅうさんとはほぼ一回りくらいの年の差があるのではないでしょうか。
中学から大学まで合唱を(といっても高校1年の時には合唱部はまだできていませんでした)続けていたのですが、大学時代も、卒業してからの3年間の一般の合唱団のときも「第九」に参加する機会が無く、「桜井先生」の項で書かせていただいたとおり、「労音の実行委員の責任者」として第九に携わり、合唱に参加することになったので、「音楽そのものによる感動」ではなく、演奏会を成し遂げられたという思いが一杯でした。
それから20年ほど後に伊勢志摩第九コンサートに参加しようと思った動機は観光文化会館がリニューアルされたので「自分の声を(合唱の)ステージと客席に少ししみこませたい」という思いで合唱を再開したものです。その後はなんとなく止める機会が無く、5年ほど前の演奏会から運営に携わることになってしまいました。
指揮者の朝倉洋さんの第九がだんだん面白くなってきて、「第九のことを少しずつ勉強してゆくとその内容にひかれてゆき、「なるほどザ第九講座」の提案をし、3年前のコンサートからそれを実施することとなりました。朝倉先生の講座の内容やまじめな話しぶりにさらに第九に興味を惹かれるようになりました。
今年は大谷さんの指揮で伊勢管とのステージとなり、大谷さんの「音楽」を追求する「本当に」すばらしい姿勢により、さらに第九に対する「おもい」がましてきました。
もうあと2年で70に達する私には合唱活動における一つの夢があります。
私の卒業した高校にはOBによる合唱サークルがありません。一部の学年の人たちを中心にした合唱団はあるのですが「気軽に合唱を楽しむ」という「のほほん」としたサークルが発生し、そこで世代を超えた合唱活動ができれば楽しいだろうな、と思っています。
親父りゅうさんのように音楽を学んだ方が(たとえば卒業した学校が違っていても)いろいろな協力をしていただければ大変うれしいなあと思います。
そうなるように少しずつ前に向かって歩いてゆきます。
よろしくね。
トムボーヤさん (親父りゅう)
2012-12-31 21:52:52
「のほほん」とした音楽サークルで生まれる音楽も、きっと温かみに満ちた素晴らしいものだと思います。
私も、そんな中に身を置いてみたいという気持ちはあります。
また機会がありましたら、どこかで遭遇するかもしれません。
そのときはどうぞよろしくお願いいたします。


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