
おおさか オーサカ 大阪 OSAKA・・・あの雑踏、あの喧騒。この曲を聴いていたら、懐かしい幼少期の記憶がよみがえった。
大栗 裕:大阪俗謡による幻想曲
指揮:下野 竜也
大阪フィルハーモニー交響楽団
録音:2000年8月
下野さん、デビュー間もないころの録音。
ナクソス・レーベルの日本作曲家シリーズの1枚。
作曲者大栗裕については本CDにて初めて知った。なんでも「浪速(なにわ)のバルトーク」とか言う異名を持つ方で吹奏楽の世界ではメジャーらしい。1950年から66年まで大阪フィルのホルン奏者であったという。
当曲は朝比奈隆の1955年海外楽旅に際して委嘱された作品。朝比奈氏はベルリン・フィルなどでこの曲を振り大成功を収めた。後年、吹奏楽版も作られたとのことである。
カテゴ履歴書(昔話)に書いてあるのだが、私は幼いころから商店街で過ごした。それで、両親が品物の仕入れのために大阪や名古屋へ出かける際、よく連れていってもらった。と言うより「連れてかれた」。
名古屋方面の時は、木曽川、揖斐・長良川の鉄橋を越えるのが楽しみであったし、大阪方面の時は数多くのトンネルを抜けるのが楽しみであった。
大阪(上本町)行きの近鉄急行では、行きも帰りも特に松阪あたりから海産物の入った大きなブリキ缶を担いだ人たちと一緒になることが多かった。
海産物を大阪や奈良に行商に出かける人たちであり、その人たちのための専用の「鮮魚列車」は今でも運用されている。
大阪の街を母に手を引かれて歩き回った。
何軒も問屋を回り退屈だった。
当時は衣服だけでなく、爪きりや耳掻き、シャンプー、石鹸など日用雑貨も売っていて、そういう品々が大量に並んでいる問屋の中で、幼い私は「どうして、こんなものがこんなにたくさん置いてあるんだろう?ここはお店なのだろうか?」と思ったものである。
昼食に食堂に入るのが楽しみだった。
思い出すのは、うす汚れた大衆食堂。「親子丼」「卵丼」「オムライス」・・・そんなものを食べたような・・・。
ムンムンするような人いきれ、たくさんの歩く足、騒々しい車の行き来・・・・断片的で感覚的な「おおさか」の思い出。
帰りは大きな風呂敷包みを持って電車に乗る。
上本町のホームに急行が入ってくる。
扉が開くといっせいに場所取り。
そして、発車待ちの十数分を退屈して待つ。
実に、子どもにとっては「待つこと」「することがない」って退屈なものである。
今は「退屈」なんて感覚を忘れてしまったが、あのころは本当にそうだった。
曲を聴きながら、小さかった頃の断片的な記憶を楽しく思い起こしていた。
曲は、そのような大阪の街を描写的に表現したものではない。
素材となっているのは、もっと昔の大阪の獅子舞やだんじりの囃子であったりする。
しかし、浮き立つようなその曲調が、私のこんな勝手な関連付けを招いたのである。
他に、ヴァイオリン協奏曲、管弦楽のための神話〜天の岩屋戸の物語による、大阪のわらべうたによる狂詩曲を収録。
「幻想曲」と「神話」以外は未聴。
下野さん、デビュー間もないころの録音。
ナクソス・レーベルの日本作曲家シリーズの1枚。
作曲者大栗裕については本CDにて初めて知った。なんでも「浪速(なにわ)のバルトーク」とか言う異名を持つ方で吹奏楽の世界ではメジャーらしい。1950年から66年まで大阪フィルのホルン奏者であったという。
当曲は朝比奈隆の1955年海外楽旅に際して委嘱された作品。朝比奈氏はベルリン・フィルなどでこの曲を振り大成功を収めた。後年、吹奏楽版も作られたとのことである。
カテゴ履歴書(昔話)に書いてあるのだが、私は幼いころから商店街で過ごした。それで、両親が品物の仕入れのために大阪や名古屋へ出かける際、よく連れていってもらった。と言うより「連れてかれた」。
名古屋方面の時は、木曽川、揖斐・長良川の鉄橋を越えるのが楽しみであったし、大阪方面の時は数多くのトンネルを抜けるのが楽しみであった。
大阪(上本町)行きの近鉄急行では、行きも帰りも特に松阪あたりから海産物の入った大きなブリキ缶を担いだ人たちと一緒になることが多かった。
海産物を大阪や奈良に行商に出かける人たちであり、その人たちのための専用の「鮮魚列車」は今でも運用されている。
大阪の街を母に手を引かれて歩き回った。
何軒も問屋を回り退屈だった。
当時は衣服だけでなく、爪きりや耳掻き、シャンプー、石鹸など日用雑貨も売っていて、そういう品々が大量に並んでいる問屋の中で、幼い私は「どうして、こんなものがこんなにたくさん置いてあるんだろう?ここはお店なのだろうか?」と思ったものである。
昼食に食堂に入るのが楽しみだった。
思い出すのは、うす汚れた大衆食堂。「親子丼」「卵丼」「オムライス」・・・そんなものを食べたような・・・。
ムンムンするような人いきれ、たくさんの歩く足、騒々しい車の行き来・・・・断片的で感覚的な「おおさか」の思い出。
帰りは大きな風呂敷包みを持って電車に乗る。
上本町のホームに急行が入ってくる。
扉が開くといっせいに場所取り。
そして、発車待ちの十数分を退屈して待つ。
実に、子どもにとっては「待つこと」「することがない」って退屈なものである。
今は「退屈」なんて感覚を忘れてしまったが、あのころは本当にそうだった。
曲を聴きながら、小さかった頃の断片的な記憶を楽しく思い起こしていた。
曲は、そのような大阪の街を描写的に表現したものではない。
素材となっているのは、もっと昔の大阪の獅子舞やだんじりの囃子であったりする。
しかし、浮き立つようなその曲調が、私のこんな勝手な関連付けを招いたのである。
他に、ヴァイオリン協奏曲、管弦楽のための神話〜天の岩屋戸の物語による、大阪のわらべうたによる狂詩曲を収録。
「幻想曲」と「神話」以外は未聴。













そやけど、ひとつだけいわせて。わし今ところマルケヴィッチばっかり仰山きいてまんねんけど、マルケと並べるとリズムがもっちゃい。全然キレへんのや、この盤。この曲リズム命やのに、このリズムではあかんわ。朝比奈御大が死はってて大フィルもここまで落ちたかと愕然としましたわ。いや、指揮者の責任かもしれへんけどな。
札響の高関はんとか大坂の人やったら佐渡はんとかコバケンはんとかやったら、きっともっとちごたのにな。もしマルケにやってもうたら一発で世界に広まったに違いないのに、おしいことしたもんや(マルケは三流オケにマイナー曲でものすごい名演をやらかします)。
いやナクソスがぜんぶわるいんとちゃうで、バーバーも山田耕作もものすごい演奏やったで。
下野さん、きっちり振りますけど、ドタドタ感も大阪味なので、これはこれでエエかなとか・・。
しかし、この盤、この記事書いて以来聴いてないので、また近々聴いてみましょう。