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Tito Schipaの歌った「ラ・クンパルシータ」

2005-10-08 18:15:20 | 音楽・美術

「TANGO EN JAPON」の付録小冊子に収められている蟹江丈夫氏の解説に《ティト・スキーパの向こうを張った柴田睦陸の素晴らしいテノール》のくだりがあった。幸いなことにこのティト・スキーパのレコードに今年巡り会えた。

神戸・サンチカの一角の催し場で旧いレコードなどの即売会に珍しくも大量のLPが出品されていた。一枚一枚めくっていくのは結構手間であるがそのなかに埋もれていたのである。RCA GOLD SEALの一枚、'My Favorite Songs/Tito Schipa'で、第一曲目に1931年録音の「ラ・クンパルシータ」が収められていた。

柴田睦陸の場合は前奏のバイオリンが情緒纏綿というか思い入れたっぷりに鳴りわたるのに対して、スキーパの場合はオルケスタ・ティピカ・ビクトルの演奏が淡々と流れて歌に入る。スキーパは感情を高ぶらせることなく美しい声で端正に歌っている。これも心に心地よくしみこんでくる。両者は同じキーなので録音に少し細工を加えて交互に歌わせても面白いと思った。

柴田氏の歌詞はいわば明るい浮き浮きする『魅惑の夜』なのである。その意味ではバイオリンの前奏に違和感がある。一方スキーパ氏の歌詞は次のようにはじまる。

♪La cumparsa de miserias
 sin fin desfila
 en torno de aquel ser enfermo
 que pronto ha de morir de pena.
 Por eso es que en su lecho
 solloza acongojado
 recordando el pasado
 que lo hace padecer♪

これはヒナマリア・イダルゴの歌った歌詞と同じ、細かいことを云えば最後の二行が異なっているが要するに『重苦しい歌』なのである。この後にも歌が続くがその歌詞は多分同類なのであろうがイダルゴの歌詞とも異なる。いずれにせよスキーパとイダルゴは『重苦しい歌』を歌っていて♪麗し夢の夜のひととき あこがれの君と踊る♪だけが浮き上がっているのである。どこかにこの歌詞の原詩があるのだろうか、とインターネットで調べてみた。以下の話はhttp://totango.net/cumpar.html に基づいている。

La Cumparsitaはその当時モンテヴィデオで建築学を学んでいた17歳のGerardo Matos RodriguezがRoberto Firpoのオーケストラのために書き上げたタンゴの曲で、この楽団がウルグアイのモンテヴィデオのカフェー'La Giralda'で初演したのだそうである。どうした経緯かはっきりしないがRodriguezはこの曲の著作権を'The Breyer Publishing House'に20ペソで売り渡してしまい、当初はしばらく演奏されたこの曲もやがて忘れ去られてしまった。

7年後の1924年にRodriguezがパリでオーケストラを率いてやってきたFrancisco Canaroに会ったときにLa Cumparsitaが大ヒット曲となっていることを知った。ところがこのときにはタンゴの詩人Enrique MaroniとPascual Contursiがこの曲に新らしい歌詞を付けてその歌い出しから'Si Supieras'(知っているだろうか)と曲名まで変えていたのである。折からのローリング20年代の波に乗りこの曲がパリを席捲しそこから世界中に広まりLa Cumparusitaがタンゴの同意語にまでなった。

ここにおいてRodriguezは著作権を取り戻すべく訴訟を起こし20年に及ぶ裁判闘争が始まった。まずは出版社に対してである。すでに著作権は'The Breyer Publishing House'から'Ricordi'に移っていたが長い争いの後まず'Ricordi'が著作権料をRodriguezに支払うことを認めた。そういえば私の手元にあるピアノ譜はRicordiの出版になっている。



次は'Si Supiera'の作詞者のEnrique MaroniとPascual Contursiに対してである。この曲に対して勝手に歌詞をつけたことを問題にしてこれも条件付きではあったがRodriguezの主張が通った。しかしMaroniとContursiの未亡人が既に世界に流布している歌詞についての権利を主張しての争いが生じた。

最終的に決着がついたのは1948年9月10日である。RodriguezのみならずMaroniとContursiの跡継ぎにそれぞれの権利が認められた。細かいことは省略するが重要なことは今後この曲を楽譜として出版する際にはRodriguezの歌詞と、実は何の関係もないMaroniとContursiの歌詞を一緒に印刷するように定められたというのである。そう決着がついてしまえば現実的な解決であったと思うが、呉越同舟とは云わないまでも同床異夢のハイブリッド歌詞になってしまったのである。イダルゴの歌ではまさにそうなっており最後にRodriguezの歌詞で締めくくっている。

現実にはフランス版、アメリカ版をはじめ各国のバージョンがあるそうである。これほどポピュラーになってしまえば仕方のない運命とも云えよう。となると柴田睦陸氏の場合はその日本版なのであろう。私の憶測であるが訳詞と格好は付けたもののその実は原一介氏の創作なのかも知れない。

私はお嬢さんたちの前では『魅惑の夜』を、老人ホームでは『重苦しい歌』を歌うことになりそうである。いや、その逆がいいのかな。
キーワード
ラ・クンパルシータ 老人ホーム 1948年 ウルグアイ 1931年 1924年
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