laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

獨道中五十三驛二回目から考えたこと

2007-06-14 | kabuki en dehors de Tokio

芝居のそのもの感想は一回目とほぼ同じ。

見る位置が違ったので右近の宙乗りの美しさに感心しました。さすが宙乗り本家の直系弟子だけのことはある。どこぞのじたばた宙乗りを見たら、複雑な心境だろうなあ。

で。

ちょっと思ったこと。

おもだかさんちの役者さん、最近は数人ずつ、あるいは単体でばらけていろんなおうちに呼ばれていくことも多いのだけど、やっぱり全員集まって芝居をすると、いわゆる門閥の人たちがやってるのと、ちょっと色が違うな、と。
御曹司といわれる人々が、生まれながらにして歌舞伎役者だとすると、やっぱり後から入ってきた人たちだから、色が薄いというかさっぱりしてるというか。

野生のライオンと動物園で育ったライオンの違い・・・いや、ライオンは褒めすぎかも。
400年、さまざまな外圧・弾圧にめげずにのらりくらりと生き抜いてきた生命力に敬意を表して、ここは「ごきぶり」にたとえてみようか。一応褒めてるつもり。
門閥内のいわゆる御曹司たちは、たとえ、すばやさが足りない出来の悪いゴキブリだろうが、ちっちゃくて目立たないチャバネだろうが、雑食しすぎてでかくなりすぎて飛ぶこともできないでぶゴキブリだろうが、とにかく、ゴキブリなのだ。
そんなゴキブリ軍団の中に、最近、クワガタやカブトムシ、バッタや丸虫が三階さんや平名題として参加している分には、いい味になっていたり、アクセントになったりしてとてもいいと思うんです。
おもだか軍団は、こおろぎって感じかな。ゴキブリに姿は似てるけど、いい意味でも悪い意味でも上品で綺麗。
ゴキブリに混じって芝居をしているとその綺麗な姿と声でとてもいいアクセントになっている。だけど今回のようにこおろぎだけで芝居をしちゃうと・・・どうも上品過ぎて、歌舞伎味(濃さ:あるいは下品さといってもいいかもしれない)が薄いって思っちゃうんだわね。

そして、いちばん気になるのが、このこおろぎさんたちが、なんとかゴキブリに似せよう、近づこうとすごく努力をしている点。
もちろん師匠はゴキブリなんだから、当たり前の方向性なのかもしれないけど、この方向性のまま、どんなに努力をしても、それは「すごく良くできたにせゴキブリ」でしかない。もうちょっと自分たちがこおろぎだということを自覚して、そこから出発してみるというチョイスはないのだろうか。

こおろぎをゴキブリ仲間に引き入れた張本人の猿之助師匠が、最近、ゴキブリの中のゴキブリ、超雑食で黒光りしているあの御曹司を「あとつぎ・・・」とノタマッタとかなんとか。
彼の本意を聞いてみたいところだ。きっと一生聞けないんだろうけど。

あたしは、こおろぎ軍団を、生ぬるく(ダンジロこおろぎだけは本気で)応援してるから、下手な偽ゴキブリになるよりは、別の味をもった上等なこおろぎに成長してほしいと思ってる。

そのためには、師匠の残した遺産(生きてるけど)を守るだけでなく、こおろぎさんたちだけでなんか新しい試みに挑戦してもらいたいのだけれど。
今のところは、実力的にも、経済的にも
せいぜいバラで外部出演、くらいが精一杯なんだろうな・・・

 


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