とても正義感が強い人がいます。
「正しさ」がいつも、
彼女の軸であり、原動力です。
自分の「正しさ」を信じて疑わず、
正論で、周囲に主張します。
私も昔はそうだったな~と、
彼女を見ていて思います。
でも、今は、
「正しさ」は、私の中で、
重要ではありません。
「正しい」と「正しくない」は
いつもセットになっています。
すると、当然のように、
「正しさ」を見るとき、
「正しくない」人や物事への、
怒りや批判、判断が、生まれてしまいます。
「私は正しい。あの人は、間違っている」
「こっちが正しい。あれは、絶対によくないことだ」
そういう怒りや批判は、
心地よいものではありません。
子育てをしていると、
つい「大人の正論」を、
振りかざしてしまうものです。
「正しさ」を、
まるで鋭いナイフのように、
子供に突き刺してしまうのです。
そこには、
「あなたは間違っているのよ」という、
頭ごなしの冷たい否定があります。
そんなとき、子供は、
自分が「正しくないこと」を、
心底理解し、納得できるものでしょうか?
子供の心に、
何か、響くものがあるのでしょうか?
・・そんな体験を繰り返した末、
「正しさ」を手放していこうと、
強く思った私です。
今、私の軸になっているのは、
フィーリングです。
「心地よい」かどうか。
「あたたかい」かどうか。
「スッキリ」するかどうか。
そこに「愛」があるかどうか。
息子の行動に疑問を持ったときには、
「それは正しくないよ」ではなくて、
「それをされると、
母ちゃんは、悲しい気持ちになるよ」
・・と、気持ちをそのまま伝えています。
息子に対しても、
「君のフィーリングを大事にしてね」と、
伝えています。
「君のフィーリングを信頼してね」と、
伝えています。
そして、母である私も、
息子のフィーリング、
息子の内なる光を、
心から信頼、尊重しようと、
思っているのです。
励みになっています。ありがとうございます
「正しさ」がいつも、
彼女の軸であり、原動力です。
自分の「正しさ」を信じて疑わず、
正論で、周囲に主張します。
私も昔はそうだったな~と、
彼女を見ていて思います。
でも、今は、
「正しさ」は、私の中で、
重要ではありません。
「正しい」と「正しくない」は
いつもセットになっています。
すると、当然のように、
「正しさ」を見るとき、
「正しくない」人や物事への、
怒りや批判、判断が、生まれてしまいます。
「私は正しい。あの人は、間違っている」
「こっちが正しい。あれは、絶対によくないことだ」
そういう怒りや批判は、
心地よいものではありません。
子育てをしていると、
つい「大人の正論」を、
振りかざしてしまうものです。
「正しさ」を、
まるで鋭いナイフのように、
子供に突き刺してしまうのです。
そこには、
「あなたは間違っているのよ」という、
頭ごなしの冷たい否定があります。
そんなとき、子供は、
自分が「正しくないこと」を、
心底理解し、納得できるものでしょうか?
子供の心に、
何か、響くものがあるのでしょうか?
・・そんな体験を繰り返した末、
「正しさ」を手放していこうと、
強く思った私です。
今、私の軸になっているのは、
フィーリングです。
「心地よい」かどうか。
「あたたかい」かどうか。
「スッキリ」するかどうか。
そこに「愛」があるかどうか。
息子の行動に疑問を持ったときには、
「それは正しくないよ」ではなくて、
「それをされると、
母ちゃんは、悲しい気持ちになるよ」
・・と、気持ちをそのまま伝えています。
息子に対しても、
「君のフィーリングを大事にしてね」と、
伝えています。
「君のフィーリングを信頼してね」と、
伝えています。
そして、母である私も、
息子のフィーリング、
息子の内なる光を、
心から信頼、尊重しようと、
思っているのです。
励みになっています。ありがとうございます
私は、子供とのスキンシップが,
とても多いです。
朝、息子を起こすときに、
両手でそのかわいい頬を包み、
キスをすることからはじまって、
行ってらっしゃいのハグ、
お帰りなさいのキス、
何気ない瞬間に、頭を優しくなでたり、
「大好きだよ」と、キスをしたり。
寝る前には、
腕枕で、本を読み聞かせ、
子供はそのまま、抱かれるように夢の中へ・・
もちろん、
寝息をたてている我が子へ、キスも。
そんな、スキンシップの多さは、
意識的な方針では決してなくて、
私自身が、愛に満ち溢れているとき、
私自身が、感謝と平和に満ち溢れているとき、
自然に生まれる衝動です。
逆に、心がギスギスしているときは、
子供に触れたい衝動が、生まれません。
私達は、
皮膚を通して、
ぬくもりを通して、
気持ちを通わせています。
触れ合うとき、
目には見えないオーラさえも交じり合い、
お互いのエッセンスを、
受け取ったり、与えたりしています。
だから、私は、
息子のハートの部分に、
まるで、生まれたての赤ん坊に触れるように、
まるで、神聖な何かに触れるように、
優しく優しく、
愛しく愛しく、
手を置くのでしょうか。
そしてきっと、
言葉や態度だけではなく、
そっと触れ合うぬくもりからも、
あたたかな何かを、
宝物となり得る何かを、
息子に贈っていきたいのです。
心にいつも、花束を
励みになります。ありがとうございます
とても多いです。
朝、息子を起こすときに、
両手でそのかわいい頬を包み、
キスをすることからはじまって、
行ってらっしゃいのハグ、
お帰りなさいのキス、
何気ない瞬間に、頭を優しくなでたり、
「大好きだよ」と、キスをしたり。
寝る前には、
腕枕で、本を読み聞かせ、
子供はそのまま、抱かれるように夢の中へ・・
もちろん、
寝息をたてている我が子へ、キスも。
そんな、スキンシップの多さは、
意識的な方針では決してなくて、
私自身が、愛に満ち溢れているとき、
私自身が、感謝と平和に満ち溢れているとき、
自然に生まれる衝動です。
逆に、心がギスギスしているときは、
子供に触れたい衝動が、生まれません。
私達は、
皮膚を通して、
ぬくもりを通して、
気持ちを通わせています。
触れ合うとき、
目には見えないオーラさえも交じり合い、
お互いのエッセンスを、
受け取ったり、与えたりしています。
だから、私は、
息子のハートの部分に、
まるで、生まれたての赤ん坊に触れるように、
まるで、神聖な何かに触れるように、
優しく優しく、
愛しく愛しく、
手を置くのでしょうか。
そしてきっと、
言葉や態度だけではなく、
そっと触れ合うぬくもりからも、
あたたかな何かを、
宝物となり得る何かを、
息子に贈っていきたいのです。
心にいつも、花束を
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