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日本の人口問題の系譜

2007-01-20 19:10:17 | 近現代史
鬼頭宏「歴史人口学から見る日本の近代」『環』Vol.26、2006、藤原書店

80-83

第1期 ~1897(明治30)
 ・人口増加率が恒常的に1%超←農業部門が成長+工業化が軌道に乗る。
 ・加藤弘之“将来、日本の人口過剰は必至”と指摘

第2期 ~1919(大正8)頃
 ・人口過剰が一般に強く意識されるようになる。

第3期 ~1931頃
 ・出生率が低下(1925年5.11→1940年4.11)
 ・1922、アメリカから産児制限運動家のサンガーが来日。
 ・第1次大戦後の不況下、労働者の生活上の防衛策として
  また女性解放の手段として産児制限を受け入れる素地が
  できてきていた。

第4期 ~1945年
 ・1932、満州への農業移民送出計画を発表(拓務省)
 ・1933、関東軍「満州農業移民百万戸計画」立案→大量の移民が送出
 ・1941、「人口政策確立要綱」閣議決定
  →アジアにおける覇権を維持するために、さらなる人口増加が必要と主張
  ⇔それまでは、東アジアの進出の理由に人口過剰と資源不足を挙げていた。
  ★1960年までに人口を1億人にすることが目標とされる(当時7200万人)
  →「産めよふやせよ」

第5期 1945~1960
 ・敗戦後、1950年までに600万人超の復員兵、引揚者が帰国
 ・1947~49、ベビーブーム ←1948、優生保護法施行
 ・1950年以降、出生率急低下
 ・1959、初の人口白書発表
  →「合理的な生活設計を背景とした正しい家族計画」で出生率を
    さらに下げるべき、と主張

第6期 1960~1974 高度成長期
 ・高度成長で人口増加分の雇用を吸収→完全失業率は上がらず

第7期 1974~
 ・人口過剰が再び問題とされる。
 ・1974、第2回人口白書の副題「静止人口をめざして」
 ・1974、東京で日本人口会議開催
  →「静止人口達成のために、「子供は二人まで」という国民的合意
    を得るように努力すべきとの宣言が採択」
 ・1975~ 合計特殊出生率は2.00を割りこむ

第8期 1989~
 ・1989、合計特殊出生率が近代統計史上最低を記録
 ・1990、「1.57」ショック
 ・1992、『国民生活白書』から“少子化”の語が一般化

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◎人口減少次代をどうみるか
日本の非婚化の背景
 ・“江戸時代に確立した家族制度が、成熟した産業社会に適合的でない”
  →核家族のもとで育児を支える仕組みが十分にできていない
  ⇔ヨーロッパは、500年以上の核家族の伝統をもつ
 ・寿命が明治期の2倍になった。
  →結婚期間の大幅な延長
  →夫婦のあり方や高齢期の過ごし方などの新しいスタイルができていない