中国、西安 旅日記

西安を中心とした中国での旅行・観光日記、西安での出来事・思い出などを公開しています。

五台山ドライブ旅行 2016.8.7-8.11

2017年07月14日 | 旅行

 

1日目 忻州市で前泊

 8月7日、ドライブ旅行の時はいつも朝早く出発するのだが、今回は10時30分に出発。自宅近くでガソリンを満タンにして、高速道路に入る。自宅付近から謝王インターまで西安繞城高速、太原まで京昆高速、太原から忻州まで二広高速を走行して今日の目的地の忻州市に。ここで一泊し、翌日から五台山観光を始める予定だ。忻州汎華京倫大酒店という名前のホテルに宿泊したが、最近オープンした中国資本五星ホテルで、部屋も広くサービスも悪くなかった。夕飯のバイキングは料理があまり豊富ではなかったが、それでもバイキング料金に含まれていたビールとワインを飲みながら普段より多めに食べ、食後に忻州市内を少し散歩した。

 忻州市はかっては忻県と呼ばれたところで、現在も五台県を管轄している。太原からの鉄道路線(京昆線)が忻州駅を過ぎた後、東に折れて石家荘の北を走る。日比野・小野『五台山紀行』には、1940年に苦労して太原から忻県、五台山県を通って西入口から五台山に入る様子が描かれている。今回のドライブ旅行では帰りに五台山の西門から出て、佛光寺を見学し、五台県の近くから五保高速に入った。

 今回の旅のおもなインナーテキストは、上述の日比野・小野『五台山紀行』である。この二人が五台山を訪れたのは日中戦争の時期で、日本を中心とした民族統合の新たなる聖地として日本側は五台山を利用したいと考えて活動していたらしく、多くの仏教研究者が同時期にこの地を訪れているようだ今回の旅のおもなインナーテキストは、上述の日比野・小野『五台山紀行』である。この二人が五台山を訪れたのは日中戦争の時期で、日本を中心とした民族統合の新たなる聖地として日本側は五台山を利用したいと考えて活動していたらしく、多くの仏教研究者が同時期にこの地を訪れているようだ。

 参考資料:

  1. 日々野丈夫、小野勝年『五台山』、平凡社(東洋文庫593)、1995年9月
  2. 五台山仏教: www.wutaishanfojiao.com/list-21-1.html

2日目 五台山、東頂台と北頂台へ

 二日目、昨夜の夕飯を多めに食べたのでお腹がすいていなかったので、朝食を食べずに出発した。二広高速から五保高速に入り、五台県、五台山の南を走るが、制限速度が80KM100KMなど低速になり、時間がかなりかかった。五台山景区収費站の近くになると、2車線のうち1車線(走行車線)が貨物トラックで渋滞し動かなくなってしまった。

 五台山観光地区は北、南、西の3つの出入口があるが、以前より、五台山へはこの3ルートが使われ、円仁は東南ルートを通って入山している(『五台山紀行』)。今は、高速道路の出入口に便利な南出入口がメインのゲートになっていて、私もこの南口から入場した。入場券は1145元。乗客は徒歩で観光地区内に入り、運転手が一人で車を観光地区に乗り入れ、地区内の指定場所で乗客を乗せる仕組みになっていた。夏休みの時期だが、それほど観光客は多くなくスムーズに観光地区内へ車を乗り入れることができた。

 

 

 

 台懐県への「大石線」道路は、とても走りやすく整備されている。入場ゲートから出て、「大石線」道路を登っていく。途中、白雲寺に立ち寄ったが、佛母洞までは道がわるくなりそうだと思ったので引き返し、道路に沿って流れる清水河に西から支流が注ぎ込む黄土咀村を過ぎてさらに北上し、「台忻線」道路とのT字路の手前にある鎮海寺を見学した。

 

 

(1)白雲寺

 五台山の有名な古寺で、唐代に建築された。1995年に昌隆法師(1949年生、遼寧省出身、漢族、女性)のもと復元工事が進み、寺院の総面積は2300平方メートル、中軸線上には観音蓮台、天王殿、大雄宝殿、文殊菩薩十方念佛圓通宝殿が配置され、左側に位置する弥陀院には西方三聖接引殿がある。右側に位置する菩堤院には、十方法音堂、万姓先祖殿が配置されている。このほかに、薬師殿、地蔵殿、蔵教楼、鐘鼓二楼、方丈楼、佛国聖城などの建築物がある。

2鎮海寺

 鎮海寺は明代に建てられた寺院で、「仏殿の下に泉眼があってそこには多量の水をたたえているので鎮海寺と名づけたのだといわれている」(『五台山紀行』244頁)。仏教関係のサイトには、「寺のに清泉があり,四季を通じて流れていて海底泉と呼ばれていた。言い伝えによると、これは「海眼」で,龍王の第九王子が民女に恋心を抱き、水を溢れさせ思いを遂げようとし人々を苦しめた。文殊菩薩は民を救うために、文殊寺の大きな銅鍋で「海眼」に蓋をし、覆鉢式の佛塔を建てた。寺の名前はこれに由来する。」といった言い伝えが紹介されている。 

 日本の寺院の面影があるこの寺は、清朝の時に特に盛んになった。十五世チャンジャ・フトクト(章嘉呼図克図)が五台山での避暑地にして以来、十九世チャンジャ・フトクトまで歴代のチャンジャ・フトクトの避暑地となっている。チャンジャ・フトクトとは、清代内モンゴルの最高の活仏で黄帽派(ゲルー派)ラマ教主の名称で、初代活仏ロサンチョエデン(羅布桑却拉丹、1642-1715)、第2代活仏ロルペイドルジェ(羅頼畢多尓吉、1717-86)、最後の活仏が十九世だ。最後の活仏は民国政府に重用され、1949年に台湾に渡り、1957年に亡くなっている。

 

 

 

 

  鎮海寺の説明

 鎮海寺は明代に建造され、寺傍の海底泉の上に建てられた鎮海塔から名付けられたもので、清代から民国時期には活仏チャンジャ・フトクトの住居となり、現在はチベット仏教ゲルー派の寺院になっている。寺院は東を向きで、1620平方メートルを占め、上下二院から構成されている。上院は活仏チャンジャ・フトクト15世、16世の舎利殿がある。下院が寺院の主要建築群であり、天王殿、大雄宝殿、観音殿、関公殿、祈福殿、塔院など全て清代の建築である。塔院には1786年建立で芸術価値の高いチャンジャ・フトクト15世の墓塔がある。

  

 

チャンジャ・フトクト15世の墓塔

 

大雄宝殿

 

 鎮海寺の見学後、「台忻線」道路とのT字路を経てさらに「大石線」道路を走り、宿泊先の五台山云竜酒店にチェックインした。このホテルは主要道路に面し、バスターミナルの近くにあり便利ではあるが、雰囲気は中国の三ツ星ホテル、三流ホテルという感じだった。今回もインターネットでホテルの予約をしたのだが、五台山観光地区は宿泊代がかなり高く、このホテルはだいぶ迷った末に決めたホテルだ。388元という宿泊費からは信じられないほど設備・接客態度が低レベルだが、それでもぼったくりのホテルというわけではなく、この地域の宿泊費の相場が高いというだけらしい。つまり、宿泊代、食事代が観光地値段なのであろう。二日間泊まったこのホテルは、隣に長距離バスのターミナルがありそこに出入りするバスが金属板の上を通る音が夜中も時々聞こえてきて、うるさかった。ホテル選びの時に、インターネット地図のストリートビューで様子を調べたが、それで得た町のイメージは、実際のイメージとかなり近く感じられ、場所によっては見たことがあると錯覚するほどだった。

 

  

 ホテルを出て昼食を食べにレストランに入ったが、料理がとても高く食欲をそそるものもなかったので、主食の刀削麺(10元)だけを食べた。鎮海寺の前にある観光地区内のバス停の観光案内板を観ながら妻と相談して決めた通りに、東台頂に車で出かけることにした東台頂の登山口は、北出入口の外側に位置するので、(デズニーランドの一時退出のように)観光地区一時退出の手続きをして北出入口から出た。東台頂の登山口に車を駐車して、徒歩で頂上を目指した

 東台頂は望海峰とも呼ばれ,海抜2795メートルで、道はなだらかな坂道がずっと続き、それほど疲れない山道だった。唯、坂道は自家用車も入ってくることができるようになっていて土埃に閉口させられた。東台望海寺など建築物の改修がすすんでいる東台頂に到着した時分は、雲が多く見晴らしが悪く景色が良く見えなかった。風が強いので時々視界が開けるが、またすぐに雲で覆われてしまう。東側の景色はほとんど見えなかったが、五台山の街並みが見える西側は、風景を観ることができた。東台頂から円仁が降っていったはずの斜面に緑が広がる様子も観ることができた。東台は日の出の景色が美しいということだが、今回は日程の関係で朝にもう一度来ることは難しい。山頂でしばらく休憩した後、東台を下りた。途中ですれ違った若い女性二人連れと少し話をしてみると、北台頂から来たというので、そちらにも行ってみたくなったが、すでに時間が遅くなってきていたので、車を乗り入れることができるかどうか北台頂の登山口で聞いてみることにして、すこし急ぎぎみに登山口に戻った。

(1)登山口へ

 

 

 

 

  


(2)山道を登りながらみた西、北側の景色

 

  

 

  

   

  

  

  

  

  

  

  

(3)山頂の建物

  

  

  

  

  

 (4) 山頂からの景色

  

  

  

  

  

  

  

  北台頂の登山口は、東台頂の登山口のすぐ近くにあったが、こちらは自家用車進入禁止だった。管理をしている人に尋ねると、200元で彼らの(観光用に使ってはいけないことになっている)自動車で往復してくれるという。この条件で頂上へ連れていってもらうことにした。監視カメラを避けるために、少し道を歩いたあと、停車してある車に乗り込んだ。200元を払い、車はかなり険しく曲がりくねった道、壊れてしまっている石づくりの道を進んでいく。自分ではとても危険で運転できない道だったが、運転手は毎日数往復運転しているので大丈夫だと言いながらかなりのスピードを出していた。頂上に到着した後、霊応寺やまわりの湿地をぐるりとまわり、景色を眺めた。

北台頂

 

 

霊応寺 

 

 

 

景色

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  運転手は特にせかすこともなかったが、日が暮れないうちに下山した。夕方になっていたが多くの参拝者が登って来るのとすれ違う。運転手の話によれば、この人達は山頂の寺院で一晩過ごすそうで、彼らの車は寺へ食料などを運ぶのが日常業務の一つだそうだ。登山口まで送ってもらい、約束した200元を支払った。 

 少し暗くなり始めていた。車を運転してホテルの駐車場に戻った。ホテルで少し休憩した後、「一盞明灯」という精進料理店で夕飯を食べた(二人で202元)。有名な店なので値段が少し高かめだったが、味・雰囲気はよかった。

 

 

 

  

3日目 五台山台懐鎮の寺院巡り、南山寺と4つの洞へドライブ

 朝食をホテルで済ませた後、歩いて五台山の中心地区の寺院を廻った。殊像寺、五爺廟、塔院寺、大顕通寺、菩薩頂を見た。どこも観光客が多かった。殊像寺は自動車道が渋滞していたし、五爺廟は人でごった返していた。

 

1)殊像寺

 殊像寺には明代に建築された文殊殿があり、高さ3.75m[狛梭-]猊に騎乗する高さ9.87mの文殊菩薩像があり、これは神人の作と称せられてきた彩色文殊菩薩像である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

2)五爺廟(万佛閣)

 明代に建てられた寺院。独立した寺院ではなく、塔院寺に所属する廟なので、牌楼,山門などが存在しない。文殊殿,五竜王殿,古戯台などが主要な建築物。仏寺では一般的には龍王を祭らないが、ここに龍王殿がある理由は次のように説明されている。

**********

 五台山はかつて五峰山という名前だった。五峰が突出し険しい様から得た名前である。気候はとても劣悪で、春に心地よい日がなく、秋には輝く陽がなく、夏は酷暑で過ごし難く、冬は氷が大地を閉ざし、寒風が骨身を貫き刺し、地には雑草さえ生えず、農民は作物を植えることもできない。文殊菩薩が五峰山に来て道場を開いた時、人々が暮らしに困窮する様子を見てとても悲しく感じられた。東海龍宮から出て遊びまわっていた龍王第子は文殊菩薩の民を案ずる思いを知ると、五峰山で禅を修行していた文殊菩薩に「あなたが民を思う気持ちを知っていますよ。東海龍宮で龍王から歇龍石を借りてきさえすれば、ここの気候を変えることができます」と言った。

 龍王第五王子は以前より五峰山の気候を変えたいと思っていて、歇龍石を五峰山に持ってきたいと思っていたが実現することができなかった。歇龍石はとても重く運ぶのは容易ではなく、龍王の管理がきびしく、うかつに手を出すことができなかった。石は、龍王とその子孫達が何百年という月日を費やして深い海底から掬い出した龍宮の至宝で、つねならない清涼さがあった。五百の小龍達は毎日帰宅し時に、この石の上で休息し涼を取り、疲れを癒し元気になる。文殊菩薩は龍王第五王子の説明を聞くと、石を借りようと龍宮の龍王を尋ねた龍王は文殊菩薩が会いに来たと聞くと、自ら紫光閣へ迎え入れた。「万民を救いたいと念じております。五峰山の気候を変えるため、龍宮の石をお借りしたい。」と文殊菩薩が言うと、「もしあなたが歇石を借りて行ってしまわれると、五百の小龍達が休むところがなくなり、きっと騒ぎになります。」と歇石を貸したくない龍王は答えた。「あなたが歇石をお貸し出しになったのなら、五百の小龍達も何も言わないでしょう。」と文殊菩薩が食い下がると、龍王はどうしようなくなり、文殊菩薩が巨石である歇石を動かすことができないと考え、運んでいくことができるなら貸すと答えた。二人が歇石を置いてある緑沙平に来ると、文殊菩薩は合掌し真経を念じた。暫くすると巨石は緑豆ほどの大きさの円い石になり、文殊菩薩はそれを耳の中に入れ、龍宮から空へと飛び出した。五峰山に戻ると文殊菩薩が石を清凉寺の大雄宝殿に置くとあたりが清涼になった。

 龍王は文殊菩薩に五百の小龍達が五峰山に石を探しに来るというので、文殊菩薩は五峰山下の清凉谷西畔に安置した。五百の小龍達が文殊菩薩によって石を借りだされたことを知り石を探すが、見つけることができずに五峰山で暴れまわった。龍の爪で五峰山の頂を削り、大小の石が乱れ降り、民に大きな損害を与えた。龍王第五王子は民の苦しみを見て、文殊菩薩に五百の小龍達を懲らしめることを願いでた。龍王第五王子の慈悲の心をみて、古北台に住まわせ行雲降雨で民を佑けさせた。こうして、龍王第五王子は广济龙王菩萨、五龙王五爷と呼ばれるようになった。

**********

以上が五爺の物語だが、五にまつわるもうひとつ比較的新しい伝説が残っている。楊家将の五男の物語で、彼の廟も龍泉寺などにあり、同じ第5子なので少し紛らわしい感じもある。

 

 

 

 

 

 五爺廟

 

 

 

 

 


(3)塔院寺

 明代に再建された大白塔(阿育王塔)があり、その時に独立した寺院になった。天王殿、大慈延寿宝殿,大白塔,蔵経閣と縦にならび、大白塔は五台山のシンボル的な塔になっている。日比野・小野『五台山紀行』にも、二度にわたり塔院寺を訪問したことが書かれている。そこでは触れられていないが、大白塔の東側に方丈院がありそこに「文殊菩薩化成貧婦」という話が伝わる、婦人の髪の毛を塔の下に埋めたと言われる小白塔(文殊髪/法塔)がある。この伝説は圓照寺にも石碑上に絵画として残っているそうだ。

 *****

 北魏の時、大孚霊鷲寺(現在の顕通寺)では毎年三月に会があり、 无遮斎”が設けられ、僧俗、貴賎、男女、老幼を分けず,斎に来るものには食を供した。ある日、襤褸をまとった女性が乳飲み子を抱き、小さな子どもの手を引き、犬を連れて、人の流れにしたがって寺院に入ってきた。多くの参拝客が金銭を施舎するのを見るが、金銭がないので髪の毛を少し切ってそれを施舎した。まだ食事の時間になっていなかったが、貧婦は斎の僧に「急用があり行かなければならないので先に食事を頂けませんか」と尋ねた。斎では一人に一食ずつを與えることになっていたので、乳飲み子の分を與えずに、二人分を渡した。するとすぐに「私たちは三人なのに、どうして二人分なのか?」と言い立てた。僧は何も言わずにもう一人分を分け與えた。さらに「犬もいる!」というので、僧はためらったがもう一人分を分け與えた。すると「腹の子供の分は?」と言い出した。貧婦のやまない様子に、僧も不快に思い、「まだ腹中にあるものがどうして食することができるのか」と叱責した。

「苦瓜は根まで苦く、甘瓜は茎まで甘い。三界に処するところなく、師に疎まれる。」

 貧婦はそういうと空中に身を躍らせ、文殊菩薩となり、乳飲み子と幼子は善才童子、于[<]王になり、犬も緑毛の獅子となった。文殊菩薩は空中にあって偈を吟じた。

   衆生学平等   衆生は平等を学び、

   心随万境波   心は万境に従いて波す。

   百骸倶舎弃   身はすべて舎棄するといえども、

   其如愛憎何   その愛憎は如何となす。

 その時、斎客はみな身を伏して文殊菩薩を拝んだ。寺院はその貧婦の髪を黒い舎利として塔を建て埋葬し、その塔を文殊髪塔と呼ばれるようになった。

 *****

 中国ではこの話は広く伝わっているようで、ネットでアニメの動画(http://www.iqiyi.com/w_19rul65bzt.html)もみることできる。この話とほぼ同じ内容の話が、円仁『入唐求法巡礼行記』開成五年七月二日の記述にも見られる。ある施主が山中の僧のために斎を設けたが、乞食などが大勢あつまり、意図したことと違くなってしまった。僧に勧められ、すべての者に斎を施すが、一人の妊婦が腹中の子どもの分を執拗に求められ、腹を立て叱責した。席を立った妊婦は文殊菩薩の姿を現した。皆が懺悔するも菩薩は戻ってこなかった。以後、五台山山中で開かれる斎では、人の分外に求める者があってもその通りに与えるようになった。円仁が記述した話から見ても、その望みを理解し判断するのではなく、唯これを受け入れるということなのであろうか。信号待ちをしている自動車に来て窓を軽くふき施しを求める老人、「パンが買えない」と施しを求める若い女性、警察署の前で財布をなくしたので交通費を恵んでほしいという男性、町で見かけるこれらの人達に対して、その願いを聞いて施しを与えるのが慈悲の心なのかもしれない。


 

 

 

 

 

 

 

 


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