名駅前のビル群
知多半島
知多半島は講座で学ぶまで、尾張藩とばかり思っていたが、さにあらず。
藩札も使えず流通貨幣は「正金」(現金)。かと言って幕府直轄領でもなかった。
支配者は藩でも幕府でもなく、税などは中村権右衛門(商人)が徴収し、船奉行に上納された。
私には理解できなかったが、色々な事情からそうなったのだろう。
知多半島が繁栄した原因は海運、尾張廻船の活躍にある。
海運と言っても運賃で儲けるだけでなく、「買積船」方式が取られて成功したらしい。
※ 買積船とは積荷を買いとって行く先で売る、帰りはまた当地の物産を買い取り帰る。
往復で利が得られる。
買積方式は後にかの北前船もこれにならうようになった。知多の商人は賢かった?
2時間の講座を終えて名駅辺の新しいビルのレストランで昼食と思いましたが
人ごみに恐れをなして、変わりばえのしない家近くのモスで食べました。
地域限定、期間限定のエビフライバーガーを食べてみました。
大きなエビが二匹入っていましたが、お味はまあまあの「海老フリャーバーガー」でした。
羨ましい講座ですね。
それも二時間たっぷり!
羨ましいに尽きます!
また、終了後のモスバに感激です。
私もたまにバーガーいただきますが、美味しいです。
さて、私の検診は問題あれば3か月後に来なさい!
と言われるはず〜半年後なので、たぶん大丈夫ですが、なにしろ同居人が7月手術したばかりで
敏感になっています。
今朝のタクシーの中での光景は子どもも3人とも全員意識ない感じでしたよ。大丈夫だったか心配
しています。
支配者は藩でも幕府でもなく、税などは中村権右衛門(商人)が徴収し、船奉行に上納された。
なんとも珍しいところだったんですね。
私は父から貰った黒田藩の二朱金を持っていますが、
その金のようにそこでけでしか通用しないお金は無かったのでしょうか?
現金だけだったら随分不自由だったでしょうね。
おありなのでしょうね。
「代わり筆」が第一作だったのでしょうか。
色々な見方があってもいい歴史小説、時代小説ですが
やはりそれなりに、資料やら時代考証やらと
大変なのでしょう。
検診、何事も起こりませんように祈っていま
す
私はこの種の検査は受けたことありません。
私はいま一つ問題を抱えていますが
そのままにしています。
次回10月も続いてこのテーマなので
少し勉強して質問もしてみたいと思っています。
天領は幕府がそれなりのもの(利益)があると
見込んだ地方を天領に定めたと思いますが、
知多半島は天領ではなくて不思議な立場のように思います。
二朱金、貴重なお宝ですね。
廻船問屋を手本にしたのでしょうか。
北陸には豪壮な廻船問屋の屋敷が残っていますが、
当時の稼ぎは桁違いだったようですね。
命を張った先駆者の活躍は、興味が尽きないですね。
商人ではありませんが、ジョン万次郎や
大黒屋光太夫は漂流し、数奇な生涯を送りましたが
同じ漂流組なのに地元の漁師、小栗重吉は
あまり知られていません。
昔の人は桁違いの人が多かったようですね。
受講生の多くは地元(知多)の人が多く、
その知識に驚いています。
フラリエ情報ありがとうございました。
うとうとしそうな講義の後
お一人でモスバーガーで
大きな「海老フリャーバーガー」とは
恐れ入りました(ー_ー)!!
私は見ても聞いてもすぐに忘れてしまいます。
覚えておくのは苦手なんです。
そのくせ何でも知りたくて( ;∀;)
それに時々、受講生に「どう思いますか?」と質問があるので
油断ならないのです。
モスのハンバーガーは美味しいですよ。
お店の回し者ではありません。
私も忘れるのは得意です。
聞いている「そのとき」に楽しく面白ければ
いいと思っています。
でも必ずいくらかは、頭に残ると思います。
そうです、海運で巨万の富を築いた商人も
何人かいます。