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【映画】映画女優

2007-04-21 | 邦画 あ行

【「映画女優」市川崑 1987】を観ました



おはなし
松竹の大部屋女優として採用された田中絹代(吉永小百合)。彼女は、清光監督との試験結婚、そして破局などを乗り越え、映画女優として成長していきます。そんな彼女に転機が訪れます。溝内監督との出会い、それは映画女優の田中絹代にとっては、辛く厳しく、そして実りの多いものでした。
そして、戦後。もはや時代遅れと思われていた溝内と田中絹代は、再び傑作を作り出そうとしています。今、カメラが回り始めました。


この映画を一言で言ってしまうと、田中絹代の伝記映画、吉永小百合99本記念映画、そして映画史の解説映画です。欲張った作りで、下手な監督が手を出すと虻蜂取らずになってしまうところですが、そこは名匠市川崑監督。うまくまとめることができたのでしょうか。

ちなみに、「田中絹代」はもちろん、劇中では多くの俳優、監督が実名で取り上げられています。ただ、田中絹代と試験結婚をした清水宏監督、撮影所長の城戸四郎、「恥ずかしい夢」を撮った五所平之助監督、そして何より田中絹代と組んで数多くの作品をとった溝口健二監督が、それぞれ、清水が清光に、城戸が城都、五所が五生、溝口が溝内に変えられていました。まあ、ここでは「気持ち悪い」変名は使わずに、溝口は溝口で通そうと思います。
また、田中絹代の付き人の仲摩仙吉は新吉というのが正しいらしいのですが、こちらは映画の仙吉で通しておきます。まあ、別段意味はないのですが。

大正15年。
松竹下鴨撮影所から松竹蒲田撮影所に移った田中絹代(吉永小百合)は、家族から頼りにされています。母(森光子)に伯父(常田富士男)、それに姉と二人の兄。これがみんな絹代の収入を当て込んで暮らしているのです。とはいえ、絹代もまだ大部屋俳優。ただ、清水宏(渡辺徹)監督が絹代のことを気に入って、いろいろ引き立ててくれるので、とにかく家族全員で清水監督のご機嫌を取り結ぼうと必死です。
まあ、今の感覚からすると、稼ぎのある子供に親や兄弟がタカって暮らすというのは、あんまりカッコのいいことではありませんが、昔の感覚だと当たり前なんでしょうね。でも、やっぱり見てて不快ですけど。
ともあれ、撮影所を闊歩する栗島すみ子に大部屋女優たちが感嘆している中、絹代だけはメイクアップの練習に余念がないなど、ひとり上昇志向が旺盛な人のようです。

昭和2年。
大部屋女優たちの前で清水監督が「君たちは田中君がぼくのごヒイキだから役がついたと言っているそうだな。誰が言っているんだい」と怒っています。もちろん黙っている大部屋女優たち。ところが、清水監督が、その場を去ると悪口大会です。それを聞いていてムカムカしてきた絹代は猛然と反論を開始。どうやら絹代はものすごく気が強いようです。まあ、そうでなくては大部屋から這い上がることなんかできませんからね。
その気の強さは、清水監督にも発揮されました。それと言うのも、絹代は五所平之助(中井貴一)監督の「恥しい夢」への主演を清水監督に黙って決めてしまったのです。
ぼくに断りなく主役を決めるなんて、とムクれる清水監督。早速、家族には今までの恩をちらつかせて役を降りるように頼み、さらに撮影所長の城戸四郎(石坂浩二)にもねじ込みますが、結局は所長の威光で映画が作られることになったのです。

出来上がってみれば「恥しい夢」は好評。ますます嫉妬した清水監督は、夜の河原で絹代を押し倒してしまうのでした。こうなると、惚れっぽい絹代ですから、すっかり清水監督との関係に溺れてしまい、撮影所中の噂になってしまいます。「あかん、あかん、女優は結婚したらしまいや」と家族は大反対。しかし絹代は「かわいらしいだけじゃスターになれないわ。私は女になりたいの」と反論します。母は「なあ絹代、悪い夢見んと、結婚だけは断ってえな。せっかくここまで来たのに、もう逆戻りはイヤや」「もう貧乏はイヤや」と泣きついてみますが、こんなことで絹代の決心がぐらつくはずもありません。

ところが、思わぬところに反対者がいました。所長の城戸です。結婚の許可をもらいにいった清水監督に城戸は激怒。確かに売り出し中の清純派女優がいきなり結婚では困ってしまいますからね。「よし2年待て」と言い出す城戸。世間には内密の試験結婚をして、2年後に正式の結婚をすればいい、と言うのです。まあアイドルが同棲したりするのと同じことですね。

昭和3年。
さすがに新妻と新進女優の二足のわらじは、絹代にとって負担だったようです。当然、家事なんかしませんし、清水監督とはすれ違いの日々です。そのうえ「ねえ、俳優って良い監督に出会うことで目が開いていくのね」とチクリと嫌味を言ったりして、家庭は泥沼状況。清水監督は浮気をしているようですが、絹代も五所監督に擦り寄っているので、まあどっちもどっち
です。しかし、絹代の幹部昇進の日、とうとう清水監督の怒りが爆発しました。酔っ払って転がっている絹代に罵声を浴びせる清水監督。もちろん絹代だって負けてはいません。そして口げんかで男が勝てるはずも無く、清水監督は絹代を殴ってしまったのです。
「殴ったな。親にも殴られたことないのに」と激怒する絹代。「おしっこしてやる」といきなり畳の上におしっこをしてしまいます。何だかよく分からない展開です。とりあえず、バケツの水で掃除をする清水監督が間抜けですね。
結局、試験結婚は1年と少ししか続きませんでした。

昭和6年。
箱根の旅館に呼び出される絹代。松竹の幹部俳優が全員そろっています。どうやら幹部俳優が、仲間を誘って松竹から他社に移ったので、その対策を検討しているようです。所長の城戸に「君はどうだ」と厳しい目で問いかけられる絹代。「松竹あっての田中絹代でございます」と答える絹代でした。まあ絹代は外面をとても良いのです。そこからの絹代は快進撃。「伊豆の踊子」、「お琴と佐助」、そして空前のヒット作「愛染かつら」と押しも押されぬ大女優になっていきます。

しかし実生活までもが順風満帆だったわけではありません。駆け落ちした姉が金の無心に来るわ、二人の兄はせっかく勤めた松竹を辞めてしまいブラブラしているわで、ハッキリ言って金づる以外の何者でもない絹代。そして、大好きな母親の死は絹代を獣のように号泣させてしまうのでした。ただ、一つの出会いもありました。それは弟子兼ボディガードとして雇った仲摩仙吉(平田満)との出会いです。もちろん男女関係ではありませんが、絹代が地をさらけ出せる唯一と言っていい他人は、この仙吉だけだったのです。二人の会話は、まるで遠慮がなく、まさに戦友のようです。
「春琴の役は先生にピッタリだったなあ。傲慢で手前勝手で、男好きの癖に気位が高い」
「なんだい、それ」
「そこに目を付けた島津さんはさすがだよ」
「バカ、地だけでやれやしないよ」

昭和15年
絹代に運命の出会いが訪れます。溝口健二(菅原文太)監督の「浪速女」に主演することになったのです。とりあえず、女優は台本を読んで、監督の言うとおりに動いていればいいんだ、と思っていた絹代ににとって、溝口の演出方法は驚きの連続でした。台本以外に渡された大量の資料に「相手にとって不足はないね」と息巻く絹代。しかし、撮影が始まると台本は変更されまくりです。「あの凄まじさは何だろ。なに恨みがあるんだよ」とぶつくさ文句を言っていた絹代ですが、「田中さん、それでいいんですか」「田中さん、感じが出ていませんよ」「田中さん、考えていますか」「田中さん、心理的にやってください」とダメ出しの嵐に、とうとうノイローゼ寸前です。

さすがに気の強い絹代も「先生、教えてください。どうすればいいんですか」と尻尾を巻いてみますが、「あなたは役者でしょ。それで金を取っているんでしょ。それだけのことはやりたまえ。ぼくは監督ですから演技なんか教えることはできません」と溝口に言われ、二の句も継げません。しかし、そんな鬼のような撮影も、終わりを告げました。
「撮影終わりましたよ。よく体もちましたねえ」と優しい言葉をかける溝口。思わずウルっとしてしまう絹代です。
帰りの汽車の中、絹代は
「女優こそ人生の全てで、他の事はみんなお芝居で良かったはずでしたが、それが間違っていたことに、その時気がつきました。彼の厳しい顔の輪郭が脳裏から去りませんでした」と述懐するのです。ここでポイントは、あくまで菅原文太の顔を思い浮かべることです。実際の溝口監督の顔は、どこをどう取ったら「厳しい顔の輪郭」になるんだ、というものですから。

昭和26年
「しばらくでございました」と挨拶をする絹代。溝口も「よく来てくれました」とうれしそうです。絹代が再び、溝口の映画への出演を承諾したのです。「それで、どんなお仕事ですか」と訪ねる絹代。「えっ、映画の題名も聞かずに引き受けたんですか」と溝口は驚きつつも、どこかうれしそうです。今度の映画は「西鶴一代女」。言うまでも無く、井原西鶴の「好色一代女」を下敷きにした女の転落の物語です。
二人は、戦後の様子を語り合います。早口で、ほとんど同時に話しまくる二人。まるで市川崑の初期の映画のようなタッチです。絹代は老醜とまで言われて、世間から叩かれた辛い記憶。溝口は絹代主演で取った「女性の勝利」への酷評など、スランプだ、もう終わった、と言われてきた世間への不満などです。

ここで一言。映画では、まるで戦後の絹代と溝口は「女性の勝利」くらいしか組んでいないように語っていますが、実際は作品は多数に上ります。だいたい「武蔵野婦人」は、西鶴一代女のわずか7ヶ月前に公開された映画ですし。だから「しばらくでございました」というほど、しばらくでもありません。それと、この映画でも「女性の勝利」は失敗でした、と言い切っていますが、それは確かにそのとおり。GHQにおもねったような作品で、田中絹代の弁護士がまったく似合っていないことも含めて「なんだこりゃ」というような作品です。

ともあれ、そんな同志的感情で再会したのもつかのま、映画作りが始まってしまえば再び辛い日々が。絹代は弟子の仙吉に「ひどい強情っぱりだよ」「研究してますか。あれしか言えないんだよ、あの監督は」と不平たらたら。そのうえ、溝口にモーションをかけても無視されたりして、余計にプリプリしています。また、そんな絹代を仙吉が煽り立てるものですから、絹代の怒りはヒートアップです。
「西鶴一代女」の狙いを「古い女を古いなりにとことん追い詰めていきます。いいですか、古い女をやるんです」と説明する溝口。それに対して、絹代は思わず「先生、古いやり方を捨てて、新しい演出をおやりください」と言ってしまいます。「そうですか。ぼくは古いですか」と憮然とする溝口。許せない無礼です、とプロデューサーに当り散らしています。
一方、絹代は仙吉に「やっぱり怒ったよ」と報告。「えーっ、言っちゃったんですか」とビクビクする仙吉です。

翌日、絹代の所にやってきた溝口。またまた二人は同時に話しはじめます。
やっぱり自分の演出はおかしいかも、と反省する溝口。先生、私が悪うございました、と謝る絹代。猛然とした台詞の応酬が終わり、溝口はぼそっというのです。「泊まります」。そして、すーっと閉められるふすま。一緒に一夜を明かしたことで、何かが変わったのでしょうか。
絹代は「西鶴一代女」のファーストシーンに挑みます。

遊女にまで身を落としたお春。もはや昔年の面影もないほど、醜くなってしまいました。客を引いても、めったに引っかかりません。そんなお春を呼ぶ客がありました。喜んで付いてきたお春。しかし客の目的は、巡礼たちにお春の醜い顔を見せて、戒めにするためだったのです。見ろ、この化け猫を。これでもお前さんたちは、女を買おうと言うのかい、とお春は言われてしまうのです。

このシーンが、最初の撮影になります。プライドを捨てて、醜い化粧をする絹代。
「先生はこの作品と心中するつもりなのだ。私は先生と心中しよう」と決意を新たにします。
カメラが回り始めます。
醜い顔をバカにされ、あざけりを受けるお春。男は、それ駄賃だ、と金を床に放り出します。目のくらむほどの侮辱です。絹代は懸命に演じます。カメラは回ります。
「まあ、化け猫とお話なさるのも、お国への良い土産話になりますよ」と言うお春。「ごめんください」ここでお春の気持ちがグッと高ぶります。イイーッ、と顔をゆがめて化け猫の真似をするお春、そして絹代。 完 

えーっ、という終わり方でした。まさか、ここでいきなり終わるとは。何だか前半までの「女優 田中絹代」の半生記と、後半の溝口と絹代の愛と戦いの記録部分が、完全に独立しているというか、一本で二本分みたいな感じです。それに、映画のところどころに挿入される、映画史の概観も入れると三本分の内容では。

まあ、原作と脚本が新藤兼人で、自身も溝口健二の記録映画を撮り、NHKスペシャルでドキュメンタリードラマの「キヌヨとケンジの愛」を撮ったりしているので、後半の展開は予想の範囲内ではありますけど、それにしても市川崑監督は、よくこのストーリーで撮る気になったな、と思わないでもありません。良くて市川崑と新藤兼人の映画。悪くすれば、新藤兼人の映画を演出させていただいただけ、みたいに見られかねませんもんね。

小百合ちゃんは相変わらずの体当たり演技。もう「どこに体当たりしたいんだか」よく分かりませんが、ともあれ「どこかに体当たりしたいんだろう」ということだけは伝わってくる熱い演技です。ただ面白いのは、田中絹代が、老いて醜くなっていく焦りを強く感じていた女優だとしたら、吉永小百合は「いつまでもキレイなだけ」と思われる自分がイヤでたまらない女優だということでしょう。普通の女優であれば、年をとればヒロイン役が回ってこなくなり、焦りの中で「演技派に転向せざるをえない」ところですが、小百合ちゃんの場合は、いつまでたってもヒロインばかり。その結果、いくら演技を頑張っても「相変わらずキレイですねえ」としか言ってもらえない。これはこれで辛いでしょうね。

「映画女優」と「舞台女優」には決定的な違いがあります。それはクローズアップ。どんな名女優でも、いつかクローズアップに耐えられなくなる日がやってきます。娘役をやるのにも限界があるのです。もちろん小百合ちゃんや、40過ぎてセーラー服を着ちゃった岩下志麻(「この子の七つのお祝に」)のように奇跡的な例外はありますが、山田五十鈴も若尾文子もスクリーンを去り舞台に移っていきました。そこでなら、まだまだ娘役でも何でも演ずることができるからです。しかし、田中絹代は「映画女優」にこだわりました。ムリを、努力で、意志の力で乗り越えようとしたのです。そんな田中絹代の役を吉永小百合が演じる。これほど皮肉なことがあるでしょうか。

さて、この映画の中で、いわば映画イン映画みたいな感じの「映画の歴史」が挿入されます。冒頭、栗島すみ子の美しい姿(不如帰)から始まり、「浪人街」や「人情紙風船」など戦前の傑作。それに「羅生門」「カルメン故郷へ帰る」など戦後の傑作まで。これが、実に良くできています。見ていて、思わず「分かりやすーい」とうなってしまうくらいのコンパクトさ。ここだけ、独立させて一本の映画にしてくれないかな、と思うくらいです。

もちろん、田中絹代が出た映画については、実写ではなく小百合ちゃんの再現フィルムになるのですが、こちらのパートもなかなか面白いものが。特に「愛染かつら」は、相手役の上原謙を上原謙自身が演じていると言う素晴らしさ。そもそも、田中絹代と上原謙が29歳の時に演じたシーンを、小百合ちゃん42歳と、上原謙78歳でリメイクしてしまうというのは、かなりの無茶というか蛮行だと思いますが、意外と違和感が無かったので、さすが妖怪じみたお二人だなあ、と感心してしまいました。




(愛染かつらの再現版)

(こっちがオリジナルです)

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