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【映画】女の一生(1962)

2007-02-06 | 邦画 あ行

【「女の一生」増村保造 1962】を観ました



おはなし
貧乏な娘けい(京マチ子)が、金持ちの家の嫁となって、頼りにならない夫(高橋昌也)に代わり家業を切盛りする話を、明治、大正、昭和という時代の流れの中に描き出します。


女性の一生を網羅的に描き出すというのは、映画監督にとって魅力的なテーマなのでしょうか。木下恵介監督が岡田茉莉子を迎えて撮った「香華」3部作や溝口健二の「西鶴一代女」など、力が入っているなあ、と思わせる作品が少なくありません。増村保造監督も、このテーマに取り組みましたが、いかんせん1時間半という短い尺の中で、「女の一生」を描き出せるのでしょうか。

明治38年。旅順が陥ちた日。町は提灯行列で賑わっていました。しかし、けい(京マチ子)は叔父、叔母に殴られ、悲惨な目にあっています。
「出て行け、おまえなんか二度と帰ってくるな」と家を追い出された京マチ子は、行く当てもなく町をさまよいます。すると、一軒の家から楽しそうにアニー・ローリーを歌う声が。誘われるように、フラフラとレンガ造りの門から家に入り込んでしまう京マチ子。すると目の前には美しい櫛があるではありませんか。思わず手にとって、髪に差してみたけいの前に、その家の青年が現われました。慌てて逃げ出そうとする京マチ子に、「おい待てよ、君は誰だ」と青年は追いかけてきました。捕まった京マチ子は、懸命に自分の境遇を話して、許しを請います。すると青年は、すっかり同情して「この人、かわいそうな人なんですよ」と家族の前に京マチ子を連れて行くのでした。

と、童話のようなスタートで始まるこの映画。京マチ子が入り込んだ家は、堤家。中国との貿易で荒稼ぎをしている戦争成金です。家族は当主である女主人のしず(東山千栄子)、弟の章介(小沢栄太郎)、長男の伸太郎(高橋昌也)、二人の姉妹、そしてけいに声をかけてきた次男の栄二(田宮二郎)の6人家族でした。

京マチ子は、父を日清戦争で失ない母も死んだこと。叔父伯母が冷たくあたり、家を追い出されたことを切々と話します。その話に田宮二郎はもちろん、同じ日清戦争で片脚を負傷した小沢栄太郎もすっかり同情してしまいますが、東山千栄子は「もうお帰りなさい」とあっさり追い出してしまいました。当然、これでサヨウナラでは話にならないので、田宮二郎は京マチ子を追いかけるのでした。

それから5年後の明治43年。京マチ子は、親戚の養女にもしてもらい、堤家の欠かせない一員となっていました。姉妹からは女中扱いされていますが、長男の高橋昌也は暗く熱い目で京マチ子のことを見つめ、小沢栄太郎は露骨に賛美の視線を送り、そして田宮二郎は明るく素直に京マチ子とイチャイチャする毎日です。

そんなある日、女主人の東山千栄子が京マチ子に「店をまかせたい」と言い出しました。長男の高橋昌也と結婚して欲しいと言うのです。当然、田宮とラブラブな京マチ子は悩みます。しかし「もうちょっと考えさせていただきたいんです」と言うと、
「考える必要があるんですか」と東山にムッとした口調で言われてしまい、言い返せません。収まらないのが田宮二郎。京マチ子と惚れあっているのは自分だから、結婚させてくれ、と頼み込みます。しかし「家のためですよ」と、これまた一蹴。
「母さん、シナ貿易なんて恥知らずな商売のために、けいを犠牲にするんですか。けいの一生を決めてしまうんですか」と食い下がる田宮二郎を追い出してしまいます。田宮二郎は、京マチ子に一緒に中国に行こうと誘いますが、結局京マチ子は、二人をつないだ思い出の櫛を真っ二つに折り、「奥様、先ほどのお話、私のようなものでよかったら」と結婚を承諾するのでした。

中国との関係は悪化し、明治天皇は崩御。時代はどんどんきな臭くなっていきます。

大正8年。東山千栄子は死に、京マチ子が堤洋行を取り仕切っています。中国貿易の大商社として隆盛を続ける堤洋行の代表として、軍との癒着もしきりに行っているようです。
「こうなったら軍隊の力を借りなきゃだめね」と恐ろしいことも平気で言うようになった京マチ子に小沢栄太郎は、「しかし力ずくでシナ人をねじ伏せるのは良くない」とたしなめますが、京マチ子は聞く耳を持ちません。
「おけいさん、あんたはだんだん怖い人間になるねえ」と嘆息する小沢でした。

夫婦の関係も悪化しています。女しか持っていないものをおまえは持っていない、と批判する高橋昌也に、京マチ子はお母さんに任された店を大きくするのが私の使命、と譲りません。結局、高橋昌也は家を出て行ってしまいました。
「人間ってものは実によく間違いをする。まるで間違いをするために何かをするみたいだ」とヤンワリ翻意を促す小沢栄太郎に、「一度自分で選んだ道ですもの。間違いと知ったら、間違いでないようにしますわ」とあくまで強気の京マチ子でした。

大正天皇は崩御。中国との衝突は、拡大して止まるところを知りません。

京マチ子は名実共に堤洋行の社長として、辣腕を振るっています。一人娘の知栄(叶順子)までも政略の材料として嫁がせようとする始末。そんなある日、中国に渡っていた田宮二郎がひょっこりと帰ってきました。小沢栄太郎は大喜びで、田宮二郎と話をしています。そこに帰宅してきた京マチ子。家の前には特高の刑事たちが張り込んでいます。どうやら田宮二郎は反戦運動をするために帰国してきたようです。京マチ子は、あっさりと田宮二郎を売り、田宮は治安維持法違反で逮捕されてしまうのでした。。
「あなたは変わってしまったな。ぼくを売るほどさえに」と言う田宮二郎。しかし、その目は恨みでは無く、悲しみに満ちています。
それを知った娘の叶順子は京マチ子を批判します。しかし、京マチ子は、
「世の中には、どんなに苦しくてもしなければならないことがあるもんです」と恥じる様子もありません。「あたしにはわからないわ、母さんの気持ち」と言う叶順子も、家を出て父のもとに去ってしまいました。

昭和19年。戦争も負けが込んできました。叶順子は貧乏な音楽家と結婚し、子供を二人儲けています。しかし、夫が出生することになり、横浜で一人暮らしをしている父の高橋昌也のところに相談に来ました。とは言え、高橋昌也も貧乏ですから、とても孫の面倒を見られる状況ではありません。「仕方ない。けいに頼むか」と重い腰を上げて、何十年ぶりかの我が家を訪れる高橋昌也。長い年月は頑なだった心を溶かしたのでしょうか。京マチ子と高橋昌也は、和気藹々と話をします。しかし、

「万一もしものことがあったら、私はお母さんにあわせる顔がありません」
「母さんに」
「はい。あんなに固く約束をしたんですもの。申し訳がありません。それに世間にだってみっともないですわ。堤家の当主がアパートなんかに」
「けい、私はこのうちには帰らんよ」「たとえ飢えて野垂れ死にをしようと。もう二度とこのうちには来ない」「何をやらせてもそつの無い立派な女だよ、おまえは」

と、結局は喧嘩になってしまいました。その時、突然、胸を押さえて倒れてしまう高橋昌也。心臓発作です。医者を呼ぼうとする京マチ子を押さえて、
「いいよ、このままにしていよう。おまえと二人で。けい、わしはおまえが好きだった。しかし、わしには偉すぎる女なんだよ、おまえは」と言って、高橋昌也はガクっと死んでしまいました。

高橋昌也のお葬式。親戚のみの寂しい葬式ですが、軍と結託しているおかげで食べ物は豊富です。堤家の姉妹は、料理を貪り喰いながら、京マチ子の悪口を言い、自分たちへの手当てのことを心配しています。その時、1通の電報が届きます。堤洋行の荷を乗せた貨物船が米軍の潜水艦に沈められたと言うのです。実は戦争の悪化と共に、急速に資産を失った会社にとって、この積荷は最後の希望だったのです。これで、もう会社は倒産です。小沢栄太郎は「いいのさ、どうせ戦争でできた会社だ。戦争でつぶれてもともとだ」とサバサバしています。もう会社も潰れた以上、東京にいる必要もありません。京マチ子は小沢栄太郎に疎開を勧めます。しかし、小沢は、
「おけいさん、あたしはあんたのそばを離れたくないんだよ。死ぬまで一緒にいたいんだ。」と言って、小さく笑うのでした。

沖縄戦の開始。原爆の投下。そして敗戦。

昭和20年。かつて堤家があった場所は、焼け野原と化しています。そこに田宮二郎がやってきました。思想犯の田宮は敗戦と共に釈放され、時代が変わった現在はそこそこの暮らしをしているようです。そこにバラックから出てきた京マチ子と鉢合わせをしました。思わず土下座をして謝る京マチ子に、
「恨みが言いたいくらいなら、こんなところにきやしませんよ」と爽やかに笑う田宮二郎。京マチ子は思わず「私の一生って何だったんでしょう。何もかも無駄だったのかしら」とため息をつきます。無駄ではない、これから今までの分を取り返せばいい、とあくまで前向きな田宮二郎は、
「出ましょ。こんなとこから」「おけいさん、今でもぼくが好きですか。よろしい。行きましょう」と誘います。
いったんは、その気になった京マチ子ですが、結局、
「私やっぱり、ここに残りますわ」と誘いを断わり、全ての発端となったアニー・ローリーの歌をひとり歌うのでした。

やはり、さすがの増村保造監督でも、1時間半で女の一生を描き出すのは難しかったようです。というか、ビジネスに命をかけて、家庭を顧みなかった人間の話ですよね、これは。もちろん、女性だから、恋や出産、夫や子供との相克を描かなければならない、と言いたいわけじゃありません。ビジネスにまい進する女性がいて、それを主人公に一代記を描けば、それだって確かに「女の一生」です。でも、そうだとしたら、もっとビジネスのシーンを増やすべきだと思うのです。

しかし実際は、描写は夫や家族とのシーンが中心。そのため、たとえ家族がどんどん去っていこうとも、会社の成功にのみ気持ちを傾けていく彼女の気持ちが分かりません。ビジネスにはビジネスなりの麻薬のような面白さがあるだろうし、それを前面に出してくれば、それはそれで興味深い作品になったんでしょうが。

ともあれ、女の「一生」というにはあまりに駆け足すぎるし、「人の一生」でなく「男の一生」でもない、「女」の一生だ、という説得力は、ぜんぜん感じられなかったのが残念です。

また増村保造監督といえば若尾文子と組んで、女性の魔性や功利的な面をするどく抉った作品群が有名で、出てくる男はみんな情けないのばかりですが、この映画の男も情けない限りでした。高橋昌也は京マチ子のもとを去ってからは、貧困の中でパッとしない人生を送り、最後の瞬間に京マチ子に看取られて喜びのうちに死んでいく役ですし、田宮二郎は、比較的早い時期に京マチ子のもとを離れたために、そこまでの影響を受けなかったものの、刑務所に入れられてさえ京マチ子を憎むことができません。それに比べると、小沢栄太郎はただただ京マチ子の側にいたいと願い続けたおかげで、比較的幸せな一生を終えることができました。

ここから導き出される教訓は、男は女を独占しようとしたり、夢と女のイイトコ取りをしようとすると破滅し、ただただ賛美しつづければ幸せなんだということでしょうか。まあ、実感としては「そのとおり」だと思うので異論は無いのですが、本当にそういうことを監督が言いたかったのかまでは分かりません。

京マチ子は、どこかに人の良さが垣間見えて、この役には合っていたと思います。というのも、本質的には家族のために一生懸命で、ただ「家族を幸せにする」という目的のために、「会社の成功」を追及していたはずが、知らぬ間に手段と目的が逆転して、「会社の成功」のためには家族が去っても仕方ない、という考え方になってしまっただけですから。これが若尾文子だと、どう見ても自分の欲望のために動いてるようにしか見えませんからね。

特筆すべきは、東山千栄子の演技です。小津監督の「東京物語」のイメージで、どうしても良い人のイメージを持ってしまいますが、実はこの映画のようなキツイ役も本当に上手いです。すべてを取り仕切り、京マチ子の一生を自らの呪縛のうちに送らせることになる冷酷な目付きと強靭な意思、これを納得させる演技は、本当に素晴らしいとしか言いようがありません。


(これが)


(こうなり)


(こう変わります)


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