いくらおにぎりブログ

邦画中心の映画感想ブログです。ネタバレがありますのでお気をつけ下さい。

【映画】炎上

2007-01-31 | 邦画 あ行

【「炎上」市川崑 1958】を観ました。



おはなし
溝口吾市(市川雷蔵)は京都驟閣寺の徒弟。戦後、急速に観光化する驟閣寺の現状。それに、尊敬していた老師の堕落を目の当たりにした吾市は、ある日、驟閣に火を放ちました。

原作は三島由紀夫の「金閣寺」。実際の金閣寺炎上事件に題材を取ったお話です。とは言え、実際の事件を三島由紀夫は大胆に脚色している上に、映画ではさらに結末部分を変えてしまっているので、実際の事件、小説、映画はそれぞれ似ているけれども「違うもの」と思った方が良さそうです。

映画は取り調べの光景から始まります。古谷大3年の溝口吾市(市川雷蔵)は、国宝である驟閣寺を放火しました。そして、睡眠薬のカルモチンを飲み、小刀で胸を突いたものの死にきれず逮捕されているのです。医師の診断によると、少し分裂症気味ということで、実際、目が据わっていて一言も口をきこうとしません。

さて時は遡って、戦争も旗色が悪くなってきた1944年。驟閣寺の住職・田山道詮老師(中村鴈治郎)のもとに溝口吾市が父の遺書を持って訪ねてきました。吾市の父と老師は親友でしたから、老師は吾市の面倒を見ることにします。寺の副司は、自分の息子を徒弟にもしてくれないのに、と不満顔です。そのうえ、吾市が吃りであることを知ると「なんや、吃りか」とバカにした様子。
しかし、老師を信頼し、美しい驟閣に心の底から魅入られている吾市にとってはたいした問題ではありません。

そして、戦後。全てが変わってしまいました。戦争中、訪れるものも疎らだった驟閣寺も、外国人観光客を中心に賑わいをみせています。副司は英文パンフレット作りに奔走し、老師は信用金庫との会合などで寺を留守にすることが多くなってしまいました。しかし、吾市にとって、それらの変化は自分に関係のないこと。むしろ疎ましい出来事です。老師のおかげで大学に通っている吾市ですが、授業もさぼりがち。ただ驟閣の傍にいることが生き甲斐で、暇な時は京都の寺をまわり、驟閣より美しいものがないことを確認して安心している始末です。

吾市がここまで驟閣にこだわるのは、亡くなった父が驟閣を愛していたからです。肺病で倒れた父の目を盗むように母は姦通をしていました。それを目撃してしまった父と吾市。その時、父は吾市を断崖に誘い出し「驟閣ほど美しいものはない」と言ったものです。しかし、見ているとこの世の汚いものは忘れてしまう、と言っていた父の脳裏には、母のだらしない姿しか浮んでいなかったのかも知れません。
そんな母が、戦後住むところが無くなったと、驟閣寺に転がり込んできてしまいました。老師が許してくれたと胸を張る母ですが、吾市にとってはまったく迷惑以外の何ものでもありません。

吃りのせいもあって、人付き合いの苦手な吾市ですが、同級生の戸刈(仲代達矢)とは不思議にウマが合うようです。戸刈はビッコのため、おそろしく皮肉屋な男です。多分、この世の全てを憎み、侮蔑することで、精神のバランスを保っているような男なのでしょう。彼は、障碍を武器に女性と関係を結びまくり、健常者の偽善性を暴いては暗い喜びにふけるような男でもあります。

ある日、吾市は繁華街で老師が芸者を連れて歩いているのを見ました。見られたのを知った老師は温厚な禅僧の顔をかなぐり捨て、おそろしく冷たい目で吾市を見ます。吾市には老師のことが分からなくなりました。

さっそく戸刈の元を訪ねる吾市。
「君はどうやら老師を尊敬しているみたいだが、俺に言わせりゃ片端ほど騙しやすい人間はないからな」と戸刈は言います。
「みんな偽善だよ」と断言する戸刈は「お人好しだなあ、君は」と吾市をあざ笑います。
「今日来るのはこないだの女さ」と障碍を武器に引っかけた令嬢の嬌態を見せつける戸刈。吾市は、もう何が何だか分からなくなってしまいました、

老師の嫌がることをやってみろ、と戸刈は吾市をそそのかします。本当に修業を積んだ禅僧なら、それで態度が変わることはない、と言うのです。
吾市は言われるままに、老師に渡す新聞に、老師が囲っている芸者の写真をそっと忍ばせてみました。すると老師は、お前を行く行くは後継者にしようと思っていたがやめた、と言い出します。吾市が、私は老師のことを知っています、と言うと、
「知ってるのがどうした。知っても分からなければ、知らんも同じことだ」と言ったきり、口をきいてもくれません。
ここにコミュニケーションの難しさがあります。吾市はおそらく、あなたが本質的には善であることを知っている、と言いたかったのでしょう。しかし老師は、お前の秘密を知っているぞ、という薄汚い脅迫の言葉にしか受け取ることができなかったのです。名僧知識にして、この程度であれば、人と人とのコミュニケーションなどはまったく絶望的です。

吾市は、睡眠薬のカルモチンと小刀を買い込み、戸刈に金を借りて旅に出ます。死ぬための旅です。しかし,故郷の断崖絶壁にたっても吾市は死ぬことができませんでした。頭に浮ぶのは死んだ父の寂しい葬式の光景ばかり。結局、宿で何日も放心していた吾市は警官に怪しまれ寺に連れ戻されるのみでした。

それから5ヶ月。借金を返さない吾市に業を煮やした戸刈が、老師の元に金を取り立てにきました。老師は、すっかり冷めた顔で、吾市に「今後こういうことを繰り返すようでは、寺に置けないからそう思いなさい」と言い渡します。

ただ一つを除いて、もう、吾市には信じるべき何ものも残されていません。吾市は戸刈の下宿を訪れ、
「驟閣は誰のものでもないんや。老師のもんとも違う。驟閣は始めからあったんや。始めからきれいやったんや。みんなで金もうけの道具にしようとかかっているんや。せやけど、驟閣は変わらんで。君は生きているものは、みんな変わる言うたけど、驟閣は生きているけど変わらへんで。俺が変わらせへん」と言い切ります。

その会話を聞いていた女(新珠三千代)がくつくつと笑っています。前のお嬢さんではありませんでした。どうやら戸刈は、またも女を取り換えたようです。前の女はうるさくなったので捨てた、こいつもそろそろ、と嘯く戸刈にその女は「片端が二人して、しょうもないことを話しているんが、お腹が痛いほどおかしかったんや」と言い返します。逆上する戸刈。そこに女は追い討ちをかけます。「あんた、その片端の足が自慢なんやろ。あんたが片端やなかったら誰一人、振り向いてくれる人あらへんもんな」
ここにいたって、戸刈の皮肉屋の仮面も剥がれてしまいました。後に残っているのはゆがんだ優越感を打ち砕かれて、狼狽しているただの惨めな男が残っているだけです。吾市は、黙って部屋を飛び出しました。

寺に有名な禅海和尚が訪ねてきました。吾市は最後の希望を込めて、禅海に頼みます。「私を見抜いて下さい」しかし、禅海もまた普通の人間。「見抜く必要は何も無い。何も考えないのが一番いい考えだ」と言うのみでした。

もはや、吾市にはためらう理由がなくなりました。彼は人間とコミュニケートできないのです。彼が信じられるのは、驟閣のみ。彼は驟閣にを見ながら「誰も見抜いてくれへんな」とつぶやきます。そして驟閣に火を放ちました。燃え上がる驟閣。吾市は驟閣と共に死ぬために裏山に駆け上がります。火の粉がまるで地上から生まれた星のようにキラキラと舞い上がっています。吾市はそれを陶然と見ているのでした。

結局、自殺に失敗した吾市は取り調べを受けています。お母さんが泣いているぞ、とか月並みなことしか言えない刑事たち。揚げ句の果ては京都への観光客の数は大丈夫だろうか、と相談をしている始末。もう、吾市にとっては、どうでもいいことです。吾市は実地検証で、驟閣寺に連れてこられます。数本の柱を残して、完全に燃え尽きてしまった驟閣。しかし、吾市は見ました。池の水面に在りし日の驟閣が、堂々とその姿を止めているのを。

吾市は、東京へと護送される汽車から飛び降りて命を絶ちました。しかし、満足だったのでしょう。吾市がこれから向かう世界には驟閣が、この世とは思えない美しさで立っているのでしょうから。

なかなか、微妙な話です。なにしろ実話がベースですから。
映画を大ざっぱにまとめると、分裂症気味の男が、母の浮気をキッカケに人間不信から対人恐怖へといたり、発作的に寺に放火。その後自殺した、ということでしかありません。(ちなみに実際の金閣寺放火犯は「病死」。小説の犯人は死にません、というか単なる変態)

しかし、それでは再現フィルムにはなっても、映画にならないので、無理やりにテーマを設定する必要があります。
強いて言えば、この映画のテーマは障碍者と健常者の対立、刹那の美と永遠の美の対立。それに戦後における宗教の堕落、と言えるかも知れません。

まず、障碍者と健常者の対立ですが、これは新珠三千代があっさりと看破したように、そもそも対立は有り得ないのです。障碍者にとって世界は障碍者と健常者の2つに分けることができますが、健常者にとってはまったくそんな意識はないのです。そもそも、そんなことを言っていたら、異性愛者と同性愛者、金持ちと貧乏人、邦画好きと洋画好き、無限の対立項が見つかってしまい、全ての点で被差別の対象となる人間なんて存在しないのですから。だいたいが、異性愛者で金持ちの障碍者と、貧乏な同性愛者って、どっちが差別されるのか分かりませんし。結局、他人との違いに必要以上のコンプレックスを感じるのは愚かだけど、そのコンプレックスを自分の存在意義にしてしまうのは、もっと愚かだ、ということでしょう。

次に、刹那の美と永遠の美の対立です。これは、もともと性質の違うものなので、比べることに意味がありません。映画の中で吾市は、母の下劣な行為、老師の変貌、戸刈に篭絡される令嬢などを見て、人に幻滅していきます。そして、かわらぬ美の象徴として驟閣を見いだし、崇拝すらするのですが、これって何か意味があるのでしょうか。そもそも同じ種類のものであれば比べることは可能です。若尾文子と長澤まさみのどっちがキレイ、いくらおにぎりと梅干しおにぎりのどっちがおいしい。人によって答えは異なるけど、比較可能です。でも、いくらおにぎりとエビスビールのどっちがおいしいとか、若尾文子と柴犬のどっちが可愛いと言われても困ってしまいます。

では、戦後における宗教の堕落はどうでしょう。これはけっこう良いテーマかも知れません。観光地化した京都の有名社寺は正直どうだろうと思います。祈りの場所であるべきところに、拝観料を払って入るというのが、まずもって不愉快ですし、京都の有名料亭の最大の顧客が寺関係者などと言うのを聞くにつれ、いっそう怒りはつのります。そんなところからは、がんがん課税してしまえ、とすら思います。しかし、問題なのはこのテーマがあまりにも昔からあるテーマだということ。なにしろ、聖書にもイエスさまが神殿の観光地化を怒って、露店を蹴り倒しているシーンがあるくらいですから、「戦後の日本」に限定した問題でないことは言うまでもありません。それに、これがメインテーマだと、つまりは老師が実質的な主人公となってしまいます。

いくらなんでも、市川雷蔵と仲代達矢を差し置いて中村鴈治郎が主人公の映画というのはありえませんよね。

仲代達矢は、はまり役でした。天真爛漫な正直者などをやらせたら最悪の結果になると思いますが、世の中を斜にしか見れないひねくれ者というのは、まさに作り込み演技の帝王・仲代達矢にとってぴったりの役です。実際見ていて、いかにも気持ち良さそうに、この役を演じているという印象を持ちました。

中村鴈治郎は、わりとあっさり老師役を演じたなという感じです。もっとネットリと演じてくれると、余計に人間の表裏が表現できたと思うし、市川雷蔵が人間不信になって放火するのに説得力が増したと思うのですが。まあテーマが三つもあるので、優先度を考えて演出した結果だとは思うので、納得はできますけど。

現代劇初主演の市川雷蔵は、ほぼ完璧な演技です。頭を丸坊主にして、イッてしまった目付きで熱演しています。どちらかというとクールな雷蔵がファンクラブの会報に「二人でも三人でもお友達を誘って」「本当に私を愛していてくださるのなら、こうした作品を皆さんのお力でぜひ成功するように」とまで書いているくらいですから、その入れ込み具合が分かるというものです。もちろん、ここには美男子スターの雷蔵はいませんが、俳優市川雷蔵がいると思いました。





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4 コメント

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池袋で見ました (シャケ)
2007-04-29 04:15:48
どうもです。
今日(というか昨日)池袋で見てきたんで、まずこちらにコメントを。

確かに技術は素晴らしいです。撮影・照明・美術と文句のつけようがないです。さすが大映京都撮影所。

この年(1958)雷蔵は15本もの作品に、ほぼ似たような役柄で(笑)出演しています。加えて『炎上』は初の現代劇。こういうのもできるんだという「俳優」の面を見せたかったんだと思います。けれど撮影所自体がなくなり、映画スターのいない今となっては、「俳優」雷蔵の芸術作品より、「スター」である雷蔵のプログラムピクチャーの方がいとおしいんですよね、正直。

もちろん逆に、当時は雷蔵=時代劇の二枚目っていうのが定番も定番だったとも言えるわけで、その意味では非常に珍しい(なのに凄くクオリティの高い)作品だと言えそうですね。なにせあのエロい眠狂四郎のくせに、中村玉緒に何もしないで帰ってきちゃうんですから。
中村玉緒 (いくらおにぎり)
2007-04-30 16:39:08
シャケさん、こんちは

>あのエロい眠狂四郎のくせに、中村玉緒に何もしないで

確かに、眠狂四郎なら、手を出したうえで、寄ってくる玉緒ちゃんをバッサリですよね。でも、玉緒ちゃんが活躍した「眠狂四郎 炎情剣」は、猟奇風味が少なくてあんまり面白くなかったなあ。安部徹と西村晃が「出ただけで」、どんな映画だろうと、普通の時代劇に変わってしまうんですから。
猟奇趣味(笑) (シャケ)
2007-05-02 02:26:19
まあ、それも「眠狂四郎」シリーズの魅力の一つではありますけどね。

個人的には「眠狂四郎 勝負」あたりが好きですね。
ヘンタイ映画 (いくらおにぎり)
2007-05-02 14:52:49
ぼくは、個人的には女妖剣が好きです。猟奇趣味満点でサイコー。あとは無頼剣で、天知茂が贋円月殺法を使うのもいかがわしさ満点で好き。

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