いくらおにぎりブログ

邦画中心の映画感想ブログです。ネタバレがありますのでお気をつけ下さい。

【映画】あ・うん

2006-08-24 | 邦画 あ行

【「あ・うん」降旗康男 1989】を見ました。

おはなし
中小企業の社長の門倉修造(高倉健)とサラリーマンの水田仙吉(坂東英二)は大の親友。水田の娘さと子(富田靖子)は、そんな二人のことを神社の狛犬になぞらえてあ・うん(阿吽)みたいだと思っています。門倉は実は水田の妻たみ(富司純子)のことを愛しています。そしてたみもそんな、門倉の感情にうすうす気づいてはいますが、3人の危うい関係は続いていきます。
ある日、さと子に縁談話が持ちあがり、帝大生の石川(真木蔵人)と見合いをしますが……


勝手ながら、向田邦子作品は久世光彦のドラマ化に止めを刺します。ということで、素晴らしかったなあ。田中裕子と小林薫のゴールデンコンビがたみと門倉を演じ、水田は串田和美、さと子は池脇千鶴、そして石川は窪塚洋介でした。特に小林薫の持つ軽妙洒脱な雰囲気が、まさに門倉にピッタリで「人妻に惚れてしまった自分を持て余している」男を、重くなりすぎずに上手く演じていました。もちろん田中裕子が向田邦子ワールドのディーバであることは間違いないし。

と、テレビドラマの話をしていても仕方ないので、映画版について書きますが、まずキャスティングが微妙すぎます。高倉健と富司純子と言えば、昭和残侠伝や緋牡丹博徒シリーズで何本も共演し、常に愛し合いながら結ばれなかった二人。すると一見、この映画でも結ばれない二人を演ずるのは適役かと思うけど、実はそうじゃない。
だって、本当に愛し合ってる二人なのに、不器用な健さんがどこかに殴りこんで絶対に結ばれない。そんな姿をさんざん見せられてきたんですよ。なんで、いまさら、結ばれない二人を演じなければならないのか。というか、穏やかな結婚をして、ともに年を重ねてきた二人の姿をどうして見せてくれないのか、いじわる、といった気分になるんです。

それに生真面目な水田と、遊び人の門倉を演ずるのが坂東英二と健さんってのは、どう考えても逆な感じです。健さんは、いくら遊び人を演じても「眼光が鋭すぎ」るので、何か裏にありそうな気がしてしまうんですよね。そう、例えば「仇討ちの大望を隠して遊びまくる大石内蔵助」のように。


(鋭い視線)

ところで、この映画は健さん、富司純子、そして坂東英二の危うい三角関係と同時に、富田靖子と真木蔵人、二人の一途な、でも許されない恋愛を描くことによって話に広がりを出しています。
入営の挨拶に来た真木蔵人。アカの思想を持った兵隊は、まず生きて帰ってくることのできなかったこの時代、それは富田靖子との永遠の訣別を意味します。雪の中、去っていく真木蔵人。
そこで、健さんは自分ができなかったことを、若い二人に託すのです。
「さと子ちゃん行きなさい、追っかけて。今晩帰ってこなくてもいいよ。おじさんが責任持つ」
これは、健さんから富司純子への、血を吐くような愛の言葉でもあったのでしょう。


(挨拶に来た真木蔵人)

でも、その気持ちは、この時代認められるはずもありません。
ジャワへの異動が内定していた、坂東英二に富司純子は言います。
「ジャワ行きませんね、あなた。門倉さんの行く場所が無くなっちゃう。」
二人が愛することのできる日は来ない。だったら、せめて近くにいたい。見えるところにいて欲しい。手を伸ばせば届くところにいて欲しい、たとえ手を伸ばして触れることがないにしても。いや、悲しい純愛でした。

ところで、坂東英二と富司純子が軍歌の「戦友」を歌うシーンがありますが、これがすごかった。
緋牡丹博徒シリーズで藤純子の歌うテーマ曲。一歩、間違えれば、すべてをぶち壊しにしてしまいそうな迫力でしたが、相変わらず変わってません。大きな声では言えませんが、調子っぱずれ。ヒソヒソ話で言えば、音痴なんです。

 

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